12月17日の祈祷会の内容です。

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祈祷会    サムエル記上31章「イスラエルの王サウルの歩み」  2025.12.17

 いよいよサムエル記上の学びも終えようとしています。サムエル記上は、イスラエルに最初の王が誕生した話です。イスラエルの人々は多くの民族と戦いを続けていけなければなりませんでした。そのために、戦いのリーダーとしての王と求めたのです。神はイスラエルの人々の王を求める声に反対でしたが、すぐに応じて、最初の王としてサウルが選ばれるのです。今日の聖書の箇所は、サウル王の最後の場面が書かれてあります。

 イスラエルはペリシテ人との戦いの中にありました。全面戦争といっていいぐらい激しい戦いになっていきます。ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵は、ペリシテの前から逃げ去り、傷ついた兵士たちはギルボア山上で倒れます。ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アブナダブ、マルキ・シュアを討ちます。サウルに対する攻撃も激しくなっていきます。射手たちがサウルを見つけ、やがてサウルは深手を負います。サウルは彼の武器を持つ従卒に命じます。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない」と。しかし、従卒は非常に恐れ、そうすることができませんでした。サウルは剣を取り、その上に倒れ伏しました。従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏して、サウルと共に死んでいきます。この日に、サウルとその3人の息子、従卒、兵は皆死んだのです。

 イスラエル兵は逃げて行きます。サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去って行くのです。ペリシテ人はそこに留まります。翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその3人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけます。ペリシテ軍は、サウルの首を切り落とし、武具を奪います。ペリシテ全土に使者が送られ戦勝が伝えられます。ペリシテ軍はサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体を城壁にさらします。イスラエルは戦いに負けてしまって、このようなことになっています。悲しいことです。

 ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞きます。戦士は皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体を城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょうりゅうの木の下に葬り、7日間断食をしたのです。これで、サムエル記上は終っています。サウル王の死によって終っているということです。

 このサウル王とサウルの息子たちに死については、サウルが口寄せを使って、死んだサムエルを呼び起こした時に「主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテの手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる。主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される」(サムエル記上28:19)といわれていました。イスラエルの最初の王として選ばれたサウルは、美男で誰よりも背が高かったのです。神ご自身によって王として選ばれていきました。サウルは最初、神に従っていきましたが、途中から神の御声に従うことはせず、自分の思いの中を歩んで行きました。そのために、神に見捨てられてしまったのです。神に見捨てられた結果が、ペリシテ軍との戦いで、イスラエル軍の敗北と、サウルと3人の息子たちの戦死が、ここで語られていました。

 神に見捨てられたサウル、神はその次の王として選ばれたのがダビデでした。ダビデはサムエルによって油を注がれていますが、イスラエルの王とはなっていません。神に見捨てられたといっても、イスラエルの王はサウルだったのです。戦いにおけるダビデの活躍、ダビデの命を狙い続けるサウル、イスラエルの王としてふさわしいのかと思う場面は多くありました。しかし、それでも、サウルは戦死するまで、イスラエルの王であり続けたのです。何がそうさせたのでしょうか。やはり、神が見捨てたといっても、一度は神ご自身によって王として選ばれた結果だということもできるのでしょう。

 サムエル記下1章には、ダビデによって、サウルやヨナタンの死を哀悼する弓の歌があります。その中に「サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人、鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。命ある時も死に臨んでも、二人が離れることはなかった。泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。紅の衣をお前たちに着せ、お前たちの衣の上に、金の飾りをおいたサウルのために」(1:23~24)と歌われています。ダビデはサウルによって、命を狙われ続けられました。もうイスラエルの地では逃げることはできないとして、敵地であるペリシテ人の地にまで逃げて行ったのです。それでも、ダビデにとって、サウルは神に油を注がれたイスラエルの王とあり続けたのです。

 私はサムエル記上を読んで来て、ダビデを中心に書いていると感じて来ました。サウルは、悪者のように書かれてあると感じて来ました。サウルが可哀そうだと何度も感じて来たのです。もう少し、神はサウルに慰めの光を当ててもいいのではないとさえ思っていました。サウルに対しては何の希望も見い出すことができないと感じていました。でもそれは、私自身の読みが浅いからかもしれません。

ヨハネ3:16

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 この神の言葉の中に、世を愛されたとあります。世にはいろいろな名前が入って来ます。私の名もあなたの名もです。そして、サウルの名も入っていると信じています。まもなくクリスマスを迎えます。すべての人々の希望としてクリスマスはあるのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サムエル記上の学びを終えることができました。深く感謝を申し上げます。この書に書いていることで、多くの新しい発見もありました。また、どのように理解していけばいいのかも、多くありました。神の言葉である聖書を読むことによって神の御心を少しでも知ることができると信じています。次のサムエル記下での学びも豊かな時を持つことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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