1月11日の礼拝の内容です。

礼拝

1月11日の礼拝の内容です。讃美歌は、197.280.361.436.27です。

礼拝説教      使徒20:25~31「目を覚ましていなさい」   2026.1.11

使徒20:25 

そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないことをわたしには分かっています。

 今、パウロはエフェソの長老たちと会い、話し合っています。その時が、最後の時となるといっています。私には非常に重い言葉だと思うのです。忘れることのできないことがあります。まもなく、東日本大震災から15年になろうとしています。時々宮城県石巻市にある旧大川小学校に行きました。児童教職員が多く亡くなった場所です。そこで1人の被災者から「あの日は、前日に兄弟けんかをしたというのです。その日の朝、妹さんは「行ってきます」と自分にいってくれたけれど、自分は昨日のことがあって何も返事をしなかったというのです。そして、それが最後だったのです。妹さんは数日後に亡くなって遺体で自宅に帰って来たのです。なぜ、あの日に自分は「いってらっしゃい」ということができなかったのだろうと悔いていると話してくれました。

 一期一会という言葉がありますが、私たちの時間はそのような一期一会の連続でしょう。今、その人に会っている。次の時も会うことができると信じています。それが当たり前だと思い込んでいます。しかし、そうではないこともあるのです。私はホスピスでチャプレンをしていますが、毎回話すことのできる人がいます。その日が最後になるかもしれないと思いつつ、その時その時を過しています。ガンによってその方は弱っていっています。弱くなっていく人と話すこと、やがて、自分もそうなるかもしれないと思いつつ、今、できるだけその方の思いを聞こうと願って、その時を過しています。

 パウロは第3回伝道旅行を終えようとしています。場所はミレトスです。パウロはミレトスからエフェソへ人をやって、教会の長老たちを呼び寄せています。パウロは伝道旅行の中でエフェソに行き、3年間伝道していきました。パウロ自身は3回に渡る伝道旅行でいろいろな場所に行くのでした。その中でもエフェソは特別に3年間という時を過ごした場所です。

振り返ると、使徒19章にエフェソでの出来事が書かれてあります。19:1~10は、ここではヨハネの洗礼しか知らない人たちがいて、パウロは聖霊を受け、イエス様の名による洗礼を授けています。19:11~20は、パウロの手によって目覚ましい奇跡が行われていました。それを見ていた各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちが、悪霊に取りつかれている人々に向かって「パウロが宣べ伝えているイエスの名によって、お前たちに命じる」という者がありました。悪霊は彼らに「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、お前たちが何者だ」といって、悪霊に取りつかれている者が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられてその家から逃げ出したのです。そのことがエフェソに住むすべての人々に知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、イエス様の名前は大いにあがめられるようになりました。

19:21~40は、銀細工人デメトリオらの騒動が起ります。デメトリオはアルテミス神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていました。デメトリオはこの職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて「私たちはこの仕事でもうけているのだが、あのパウロが手で造ったものなどは神ではないといって、アジア州全体で、多くの人々と説き伏せて、たぶらかしている。これでは我々の仕事の章版が悪くなってしまう恐れがあるばかりではなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろうといいます。聞いた人々はひどく腹を立ててエフェソ人のアルテミスは偉い方と叫び出し、町中が混乱してしまうのです。その時に、町の書記官が丁寧な方法で治めていくことで解決していきます。エフェソでの3年間、パウロにとってどのようなことがあったのかをすべて知ることはできません。

使徒20:31

だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。

 パウロ自身がここで書いていますが、エフェソでの3年間、エフェソの教会の人たち1人1人に夜も昼も涙を流して教えて来たとありますように、パウロは全力で伝道していったのです。そして、パウロはこの後、エルサレムに行き、ローマに行き、イスパニアへ行こうとしています。イエス・キリストの伝道のために、自分の人生のすべてをかけて走って行こうとしています。パウロ自身はもはやエフェソの教会に留まることができず、目の前にいるエフェソの教会の長老たちに後を託していこうとしています。パウロがここでいっていることは、エフェソの教会だけのことだけではなくて、地上に存在するすべての教会の人々にいっていることです。教会の歩みの中でとても重要なことがいわれています。

使徒20:28

どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

 パウロはエフェソの教会の長老たちに、今まではパウロが教会の指導者でした。これからは、パウロはいなくなり、教会の長老たちが、エフェソの教会に指導者であることをいっています。神の教会は神ご自身がイエス・キリストの血によって御自分のものとなさってくださったのです。その神の教会の世話をさせるためにこの教会の群れの監督者に任命されたのだといいます。神によって選ばれたのです。重い責任を与えられています。そして、パウロがいなくなってからも、教会にはいろいろな問題が起って来ます。

使徒20:29

わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。

 これまでも教会にはいろいろな外的なものが入って来ました。ユダヤ人からの迫害、その他いろいろなものです。そして、パウロ後も様々な問題が起って来ます。残忍な狼どもが教会に入って来て、群れを荒らすことが、パウロには分かっているといいます。日本の教会でいえば、戦争中の迫害を思い出します。また、地域によってもいろいろな課題や問題が提示されて来ました。教会の問題は外的なものだけではありませんでした。

使徒29:30

また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。

 教会に起って来る様々な困難は外的なものもあれば、内的なものもあります。教会の中で、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者も現れるといいます。教会の歴史を見ていきますと、いろいろな教えとの戦いだったということもできます。教会の歩みは、イエス・キリストの福音をどのように受け止め、どのように伝えていくのかということで、そしてイエス・キリストの福音をどのように理解するのかという戦いでもありました。私たちは礼拝の中で、使徒信条や日本基督教団信仰告白を告白していますが、それが、私たちの教会がどのようにイエス・キリストの福音を信じているのかという内容となっています。そうではない教えと戦って、このような信条や告白となっているのです。

 私たちの教会も、これからの歩みの中で、パウロがいっているように外的な影響で様々な困難と向き合うことが起るでしょう。また、教会の中で違った教えを語るようなことが起り、教会は混乱するような時も起るでしょう。その時に、私たちは目を覚まして、イエス・キリストの福音の意味を十分に理解し、神の導きの中で、聖霊に助けられて、その時の教会の長老たちが支え、導くことができますようにと願います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロがいっているように教会の歩みはいろいろな困難が起って来ます。外的なことも内的なことも起って来ます。その時に、聖霊を送ってくださり、教会がイエス・キリストの福音を正しく理解し、告白していくことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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