3月22日の礼拝の内容です。讃美歌は、351.402.452.474.29です。
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礼拝説教 使徒22:8~11「天からの強い光」 2026.3.22
先週の月曜日と火曜日に、ある方のお連れ合いの葬儀を近くの葬儀会場で行いました。約10名が集まりました。家族葬です。そのお方を除いては、皆様、キリスト教徒ではありませんでした。亡くなった方とはその時初めて対面しました。葬儀説教でどのように語ればいいのだろうと深く悩みました。私は愛知国際病院でチャプレンをしていますが、ある時に、入院している方に、「死んだ後、天国ってあるんですか」と聞かれました。その方は自分の病気を知っていて、覚悟を持って入院されて来たのです。その方はキリスト者ではありませんでした。そのように突然に聞かれて、どのように答えればいいのか深く悩みました。人の死と関わることがありますが、人が死んで、その先はどうなっているのだろうかと、自分や家族の死と向き合う時に、真剣に考えるのです。いつも思うことですが、自分がその場面になった時に、いったいどのように受け止めることができるのだろうと思います。
使徒言行録を読んでいます。使徒言行録は、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心地であるローマにまで伝わっていく様子が書かれてあります。使徒言行録の主人公は聖霊です。聖霊の導きで、イエス・キリストの弟子たちが伝道活動をしていくのです。前半はペトロ、後半はパウロということができます。パウロはここまで3回に渡る伝道旅行を終えて、エルサレムにやって来ました。3回に渡る伝道旅行で、当時の世界の半分は伝道して行ったとパウロは理解しています。その3回に渡る伝道旅行で、パウロは、貧しいエルサレム教会のための献金を、異邦人教会に呼びかけて、多くの献金が集まりました。パウロは自分で献金を呼びかけたこともあって、自分自身の手で直接エルサレム教会に献金を届けたいと考えていました。でも、パウロのエルサレム行きは、非常に困難で、苦難や投獄が待っていることが分かっていました。そのことで、周りの人々は、パウロにエルサレムに行かないように説得するのですが、パウロは聞こうとしません。ついに、パウロはエルサレムに着いたのです。
エルサレムで、パウロはエルサレム教会の人々に献金を渡すことができたのでしょうか。使徒言行録はそのことを書いていなので分からないのです。パウロはエルサレムに着くと、すぐにエルサレム教会の人々、そして教会の指導者であるヤコブに挨拶に行きました。ヤコブはパウロの働きを感謝しつつも、ユダヤ人キリスト者の中で、パウロにある誤解があることをはっきりと話しました。その誤解を解くために、ヤコブの指示をそのままにパウロは実行していきます。それは、エルサレム教会の中で神への誓願を立てていた4人の人の頭の毛をそるための費用を出すことでした。パウロとその4人は身を清めるために、神殿に入って行きます。パウロは神殿を出たり入ったりしていました。当時、エルサレムには多くのユダヤ人たちが世界中から集まっていました。それはペンテコステを祝うためです。アジアから来たユダヤ人たちが、パウロを見つけ、パウロが異邦人を神殿に入れたと誤解して、大騒ぎになりました。エルサレム中が大混乱の中、パウロはユダヤ人に捕まって殴られ、殺されそうになっていたのです。
エルサレム中が混乱状態にあるという報告がローマ軍の守備大隊の千人隊長のもとに届きます。千人隊長は直ちに兵士たちを率いて、その場に駆けつけます。群衆はローマ兵を見ると、パウロを殴るのをやめるのです。パウロは命の危機をローマ軍によって守られたのです。大混乱の中、千人隊長はパウロをユダヤ人の手から守るために、兵営に行くように兵士に命じます。その時に、パウロは、千人隊長に自分を殺そうとしていたユダヤ人たちに話をしたいと願い出ました。千人隊長が許可したので、パウロはユダヤ人たちにヘブライ語で話しかけていきます。
ここでパウロは熱狂しているユダヤ人たちに、自分自身の回心の出来事を話していくのです。自分はキリキア州のタスソスで生まれたユダヤ人であること、このエルサレムで育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受けたこと、今は皆さんと同じように、熱心に神に仕えていたこと、そのために、キリスト教徒を迫害し、男女を問わず、縛り上げて、獄に投じ、殺すことさえしたといいます。このことについては、大祭司も長老全体も、自分のために証言してくれると。実は、大祭司からダマスコにいる同志に当てた手紙までもらい、その地にいるキリスト者を縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけていたといいます。ここまで、パウロはユダヤ人たちに、かつては自分もあなたがたと同じだったということを伝えているのです。パウロにとって、目の前にいるユダヤ人たちに対する深い同情と愛情を感じていたのでしょう。
そして、今日の聖書の箇所です。イエス・キリストを信じる者たちを迫害し、縛り上げて、エルサレムに連行するために、ダマスコに向かっていたパウロ、神の御名を守るために、信じての行動でした。イエス・キリストを信じる者を迫害することが神の御心を信じて疑うことにない行動だったのです。そのパウロに神の御手が降り注ぎます。旅を続けて、ダマスコに近づいた時でした。真昼頃です。一番光が強い時です。突然、天から強い光がパウロたちを照らしたのです。パウロは地面に倒れます。すると「パウロ、パウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞くのです。パウロは「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねますと、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがあったのです。一緒にいた人々はその光を見たのですが、パウロの話しかけた声は聞こえなかったといいます。イエス・キリストは強い光の中で、パウロだけに語っていきました。パウロは、イエス様に「主よ、どうしたらよいでしょうか」と申しますと、イエス様は「立ち上ってダマスコに行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」といわれました。パウロは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちの手に引かれて、ダマスコに入って行きましたと答えています。
どうして、パウロだけが、イエス・キリストによって選ばれたのでしょうか。そして、どうして、パウロは、イエス・キリストを信じていくことができるようになっていったのでしょうか。神の御心としかいうことができません。私たちには神の御心を知ることができません。知るのは、その神の御心が起った後で、知ることができるのみです。実は、この後、ダマスコで1人のキリスト者と出会います。その出会いがパウロのイエス・キリストを信じる道を決定していきます。その人の名はアナニアといいます。アナニアはダマスコに住んでいて、律法に従って生活する信仰深い人だといいます。聖霊はアナニアに事前に働きかけていました。迫害者パウロの所に行き、彼の目を開けるようにというのです。最初、アナニアは不安をいいましたが、聖霊の導きを信じて、パウロの所に行き、「兄弟パウロ、元どおり見えるようになりなさい」といい、パウロはアナニアを見えるようになっ
たのです。そして、アナニアからパウロは自分がこれからすべきことを告げられています。イエス・キリストの教会に対して、迫害者から伝道者になるようにと導かれていきます。特に、異邦人への伝道者として派遣されていくのです。
パウロの回心の出来事を見る時に、不思議に思うのです。どうして、このように迫害者だった者が、伝道者として変えられていくのだろうかということです。聖霊の働きが直接、パウロ自身にありました。そして、キリスト者アナニアの関りがあってことです。この2つの働きがあって、パウロは変えられていったのです。最初の話に戻りますが、私は伝道者でありながら、初めての人に、キリスト教の話をする時に、イエス・キリストの福音について、理解してもらうことはできないだろうという思いが心のどこかにあったのだろうと考えます。
振り返れば、私も最初は、イエス・キリストの福音について何も知りませんでした。自分の受洗のことを何度か、この場でいいましたが、私は教会に行って2日目で、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、今日まで歩んでいます。そこには、イエス・キリストの福音を語る者がおりました。そして、目には見えませんが、聖霊の働きが確かにあったのです。ここにいる皆様も、最初はイエス・キリストの福音について知らなかったと思います。しかし、それを聞くことができたのです。福音を語る者がいたのです。そして、そこには確かに聖霊が働いてくださったのです。初めて、キリスト教の話を求める人がいるとします。私たちはまず、イエス・キリストの救いである福音を語るのです。後は、聖霊の働きに委ねていくのです。その人を変えることのできるのは、聖霊だけです。聖霊の働きを信じて、福音を伝えていきましょう。
祈り 神よ、イエス・キリストの受難を覚える受難節を私たちは歩んでいます。まず、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。私たちには福音を聞くチャンスがありました。また、福音を語る者がおりました。目には見えませんが、確かに聖霊の働きがあったのです。福音を信じて、洗礼を受けて、キリスト者となることができました。確かに、福音を待ち望んでいる方々がおられます。その方々に、福音を語ることができますように導いてください。聖霊の働きを信じて歩むことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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