8月6日の祈祷会の内容です。

aerial view of cloudscape 祈祷会
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祈祷会    サムエル記上16:14~23「サウルとダビデの出会い」   2025.8.6

 サムエル記は、イスラエルに初めて王が誕生する話です。最初に選ばれた王がサウルであり、次がダビデとなります。イスラエルに最初の王として選ばれたサウルは、最初は神に謙遜に歩み、神の導きを信じて歩んでいました。それが、途中から、自分の思いが強くなって、神への信仰心が薄くなってしまいます。それは、神に言葉に従っていかないということに発展していきます。アマレク人に対する対応では、その神への罪が決定的なものとなってしまいました。神もサムエルも、サウルの罪のために深い嘆きを味わいました。神はサウルをイスラエルの王として選んだことを悔やみます。サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆きました。

 神はサムエルに「いつまであなたはサウルのことで嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位からサウルを退けた。わたしはエッサイの息子たちの中から、新しい王となるべき者を見い出した。角に油を満たして、ベルレヘムのエッサイのもとへ出掛けなさい」というのです。神はサムエルに、新しい王の条件として、「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」といいます。「人の心を見る」と神はサムエルに、新しい王の条件としていいます。その流れで、選ばれたのがダビデでした。ダビデは、エッサイの8番目の息子となります。最初、父エッサイの目には、ダビデは一人前と見ていませんでした。サムエルの指示で、羊の番をしていたダビデが呼び出されていきます。ダビデが、サムエルのもとに来た時に、ダビデの特徴が書かれてあります。ダビデは血色が良く、目は美しく、姿も立派でした。神はサムエルに「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」といいます。サムエルは油をとって、兄弟たちに中でダビデに油を注ぎます。その日以来、神の霊が激しくダビデに降るようになりました。

 今日の聖書の箇所は、サウルとダビデが交わる場面が出てきます。サウルはダビデを深い愛を持って受け入れていきます。その後、サウルはダビデに対しての気持ちが、妬み、恨み、憎しみ、殺意と変っていきます。主の霊はサウルから離れてしまいました。主から来る悪霊が彼をさいなむようになっていきます。聖書を読んでいて、神から来る悪霊ということは、私たちに抵抗があります。神が悪霊を送るのかということです。サウルの場合は、サウルの罪によって、主の霊がサウルから離れていくのです。そして、主の霊が離れたことによって、サウル自身が心の病になって苦しんでいくということなのです。それを、主から来る悪霊と表現していると受け取っていきたいと思います。

 サウルの心の苦しみを見た家臣は、サウルに勧めます。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴が上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲う時、おそばで奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう」と。当時でも、今の音楽療法があったことに驚きです。音楽が人々の心を癒すことができることを知り、実践していたから、このようなことを王に申し出ることができたと思います。サウルは家臣に「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい」と命じています。従者の1人が答えます。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です」と紹介しています。

 ダビデはサムエルから油を注がれてから、どれほどの時間が過ぎていたのでしょう。サウルの家臣たちは、サウルの心の病を癒すために、竪琴を奏でることによって癒されることを知り、そして、竪琴の名手としてダビデを選んでいるのです。ダビデは成長して、竪琴を巧みに奏でることができるようになっていた。それをサウルの家臣たちが知っていたということで、かなり有名になっていたのでしょう。ダビデはそれだけでなく、勇敢な戦士であること、戦術に心もあること、言葉に分別もあり、それに外見も良いとなっています。

 すぐに、サウルはエッサイに使者を送り、「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしももとによこしなさい」といいました。聞いたエッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子ヤギを一匹用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送るのです。ダビデはサウルのもとに来て、サウルに仕えるようになります。サウル王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てました。サウルはエッサイに「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った」といい送るのです。神の霊がサウルを襲う度に、ダビデは傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が休まって気分が良くなり、悪霊はサウルを離れていくのです。ここまではよかったのです。サウルにとってダビデは、竪琴によって心を安らかにしてくれる存在だったのです。

 しかし後に、ダビデはペリシテの巨人ゴリアトを倒し、戦いに行けば必ず勝利をして帰ってくるダビデでした。イスラエルの女たちが「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌い交わします。この歌声を聞いたサウルは激怒して悔しがって「ダビデは万、わたしは千。あとは王位を与えるだけか」といいます。この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになっていきます。まもなくサウルはダビデの命を狙うようになってしまうのです。ダビデも悲しくなりますが、それ以上に悲しいのはサウル王そのものです。サウル王の悲しみ、深い孤独を受け止めていきたいと思います。人間の悲しみというのでしょうか。それをサウル王から学ぶことができます。神から離れていったサウル、神に捨てられたサウル、その歩みは、私たち人間の歩みそのものです。神から離れていった人間の行くべき道を見ることになります。 今日は広島に原爆が投下されてから80年になります。あの日の悲しみと苦しみを忘れることなく、同じ過ちを犯すことがないようと祈ります。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サウルの歩みを通して、神から離れていった者の苦難を見ることができました。サウルの歩みは、私たちの歩みと重なっていきます。サウルの歩みを通して、私たち自身の歩みを顧みることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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