祈祷会 レビ記24章「目には目を、歯には歯を」 2021.10.27
レビ記23章では、イスラエルの人々が守るべき、主の祝祭日について学びました。過越し祭、除酵祭、七週の祭り、贖罪日、仮庵祭などです。それぞれの祭りを祝う時に、神の守りの出来事を感謝する機会となりました。そして、今日のレビ記24章ですが、日毎の礼拝の大切さを語っています。
・レビ記24:1~4、常夜灯(出エジプト27:20~21)
神はモーセを通して、祭司に語ります。オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持ってくる。聖所と至聖所の幕の近くにあるところに常夜灯として、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておくのです。それは純金の燭台の上のともし火皿に灯すのです。
・レビ記24:5~9、12個のパン(出エジプト25:23~30)
上等の小麦粉を用意し、それぞれ10分の2エファの分量の輪型のパンを12個焼きます。それを一列に6個ずつ二列に並べ、純金の机の上に置いて供えます。これは、12部族を意味して、神がイスラエルの12部族を養うという意味があります。このパンは安息日ごとに変えます。このパンは祭司だけが聖所に食べることになります。
・レビ記24:10~23、神の御名を冒瀆する者
出エジプトしたイスラエルの人々の中には、エジプト人などと結婚した者が含まれていたようです。1人の男性が出てきます。この男性は、母はイスラエル人で、父がエジプト人でした。母の名はシュロミトといい、ダン族のディブリの娘であるとなっています。この男性が、1人の生粋のイスラエル人を争いました。宿営においてとありますので、宿営の中で起ったことでした。
申命記23:8~9
エドム人をいとってはならない。彼らはあなたの兄弟である。エジプト人をいとってはならない。あなたはその国に寄留していたからである。彼らに生まれる三代目の子孫は主の会衆に加わることができる。
この聖書の箇所から、この男性は、2代目になるので、宿営の中に入ることは許されなかったと考えられます。すると、自分には宿営の中に入ることができると主張したのでしょうか。このイスラエル人とそのような内容で争ったのでしょう。入れないということで、主の御名を口にして冒瀆してしまったのです。イスラエル人以外の場合は、まだ決まっていなかったので、主御自身の判決を待つことになりました。結果は、石打の刑です。主の御名を冒瀆する者は、イスラエル人でもそれ以外でも、同じように石打の刑ということになりました。そして、この男性は石打の刑になってしまいました。
レビ記24:19~20
人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。
この聖書の箇所は、律法の基本的な考えが示されています。人に何か傷害を与えた場合、同一の傷害を受けることになるということですが、これは、それ以上の報復があってはならないということです。人間の争いが起った時には、報復がエスカレートして際限なく、傷つけ合うことになってしまう危険性があることを知って、やられた以上のことをしてはならないと歯止めの意味が含まれています。この内容が、イエス様によっていわれています。
マタイ5:38~39
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
イエス様の教えは独特なものでした。誰も語らなかった内容です。私たちは普通、殴られたら、殴り返しますね。場合によって2倍も3倍もなってしまうことがあります。倍返しということばがありましたが、それが人間の現実です。それを、右の頬を殴られたら、反対の頬を向けなさいというのです。私たちにはとても難しいことですが、イエス様の教えは、このようになっています。このイエス様の教えが、やがて、十字架につながっていきます。イエス様の教えと行動は一緒になっています。
祈り 神よ。祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。レビ記の学びの中で、神の愛とは何かと考えます。私たちが、この聖書の学びから、あなたの知恵を少しでも知ることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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