7月19日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記27章「神の教えを石に書き記すこと」     2023.7.19

 イスラエルの人々は、神が与えてくださる約束の土地を目の前にしています。神の民となったイスラエルの人々が、約束の土地に入ってすべきことは1つです。それは、神の教えと掟を守って生きていくことです。神の教えを守ることによって祝福が与えられ、神の教えを破ることによって呪いが与えられるのです。ここでは、イスラエルの人々が約束の土地に入った時にすべきことが書かれてあります。

27:1~8、石に掟を書き記せ

 モーセはイスラエルの長老たちと共にイスラエルの人々に次のように命じます。今日、わたしが命じるすべての戒めを守りなさい。あなたがたがヨルダン川を渡って、神が与えてくださる約束の土地に入る日には、大きな石をいくつか立て、しっくいを塗り、その上にこの律法のすべての言葉をすべて書き記しなさいと命じます。イスラエルの人々は、神が与えてくださる乳と蜜の流れる地に入ることができます。これらの石をエバル山に立て、しっくいを塗り、神のために祭壇を築くのです。それは石の祭壇で、自然のままの石です。その祭壇の上に、神のために焼き尽くすささげものと和解のささげものをささげるのです。人々は、そのささげものを屠ってそれにあずかり、神の前で喜び祝うことができます。そして、繰り返し、人々は石の上に、この律法の言葉をすべてはっきりと書き記しなさいといいます。律法の言葉とは、申命記5章~26章に書かれている内容です。

27:9~26、呪いの掟

 モーセは祭司と共に、イスラエルのすべての人々に向かっていいます。イスラエルよ、静かにして聞きなさい。あなたは今日、神の民とされた。あなたは神の御声に聞き従い、今日わたしが命じる戒めと掟を行わなければならないといいます。

 次に、モーセは人々に次のように命じます。あなたがたがヨルダン川を渡ったならば、人々を祝福するために、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンはゲリジム山に立ち、また人々を呪うために、ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリはエバル山に立つのです。レビ人は、大声でイスラエルのすべての人々に向かって宣言することになります。ここからは12の呪いの掟がいわれています。職人の手の業にすぎない彫像や鋳像は神のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者、父母を軽んじる者、隣人との自境を動かす者、盲人を道に迷わせる者、寄留者や孤児、寡婦の権利をゆがめる者、父の妻と寝る者、どんな獣とも寝る者、異母姉妹であれ、異父姉妹であれ、自分の姉妹と寝る者、妻の母と寝る者、隣人をひそかに打つ殺す者、賄賂をとって、人を打ち殺して罪のない人の血を流す者、この律法の言葉を守り行わない者、これらの内容の者は、すべて呪われることになります。イスラエルの人々は、この呪いの言葉を聞いて「アーメン」といわなければならないのです。

 ここまで、イスラエルの人々が約束の土地に入ってすべきことをみてきました。考えてみれば、とても大変なことだと想像します。ヨルダン川を渡ります。すると、エバル山に大きな石をいくつか立てるのです。そこに申命記5章から26章の律法の言葉をすべて書いていくのです。どのくらいの時間がかかるのでしょうか。いくつの石が必要で、何人がその作業をするのでしょうか。神の教えである律法、それは、イスラエルの人々の将来がかかっていました。彼ら自身が、その神の言葉をどれくらい真剣に聞き、実行するかにかかっているのです。私たちの想像以上に、イスラエルの人々にとって、大切なものとなっていきました。人々は、日々、その神の教えを読み、大切な教えとして日常生活の中で守られ、実行されていったのでしょうか。

 また、シケムをはさんで北はエバル山、南はゲリジム山に各6部族集まります。エバル山では呪いがあり、ゲリジム山では祝福があります。レビ人はその間に立って、この12の呪いの言葉を大声でいうことになります。1つ1つの呪いの言葉が大声で宣言されます。そして、イスラエルの人々全体で、「アーメン」と答えていくのです。これは、礼拝の中の交読文のようなものだと思います。

 約束の地に入ったイスラエルの人々には、自然の石に書かれた神の言葉がありました。今日の私たちには聖書があります。聖書はまさに生きた神のみ言葉が書かれてあります。

マタイ4:4

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる。

 イスラエルの人々にとっても、私たちにとっても、神の言葉は、いのちのパンそのものです。そのことを大切にしながら、神の言葉である聖書を読んでいきましょう。

祈り 神よ、祈る時と聖書の学びの時をこのように与えてくださり、ありがとうございました。イスラエルの人々にとって、律法の言葉は、生きるために必要な内容でした。神の教えを守ること、実行していくことは彼ら自身の幸福と平和につながっていくものでした。それは、私たちの場合も同じです。私たちも、神の言葉である聖書を大切にし、日々の信仰生活の中で、日々聖書を読み、神に祈っていくことができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                  」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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