12月21日の礼拝の内容です。

礼拝

12月21日の礼拝の内容です。讃美歌は、258.260.263.264.78.26です。

礼拝説教       ローマ1:1~7「神の恵みを受ける」    2025.12.21

 クリスマスおめでとうございます。イエス・キリストの誕生を心からお祝いしたいと思います。今から2000年前に、神の子イエス・キリストはユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。イエス・キリストの誕生日を祝うクリスマスは世界中でお祝いされています。でも、どうして、イエス・キリストはこの世に誕生をする必要があったのでしょうか。

 今日はローマ書の最初のところを読んでいただきました。ローマ書を書いたパウロは、他にも多くの手紙を書いています。ローマ書は他の手紙と比べて独特です。ローマ書の次にあるコリント書と比較していきますと、その違いがはっきりと見えてきます。コリント書はパウロとコリントの教会の間の実際の問題があり、その解決のためにパウロは、コリント書を書いているのです。パウロとコリントの教会とは目に見える関係にありました。パウロは実際にコリント教会の人々の顔を思い浮かべながら書いています。コリントの教会の人々も、実際にパウロを知っていて書いている内容も具体的です。それに比べて、ローマ書は表現がかなり違っています。それは、パウロはローマ書を書いた時には、まだローマに行っていないのです。この時にはすでにローマにキリストの教会は誕生したといわれています。無名のキリスト者によって、ローマに教会は誕生したのです。パウロはローマに行きたいとかなり前から考えていたことは分かります。当時の世界はローマ帝国が支配していました。そのローマ帝国の首都がローマだったからです。

 パウロがローマの教会に行きたい思いが2つあったと考えられます。1つは、イスパニア伝道です。当時の世界地図の半分を、パウロはイエス・キリストの福音を伝えていったのでした。しかし、西側はまだ、伝道はなされていませんでした。ローマにある教会を拠点に、西側伝道、イスパニア伝道を真剣に考えていたのです。そして、まだ行っていないローマの教会の人々に、自分の教えといいますか、福音の内容を具体的に書いて、伝道者としての自分を知ってもらう必要があったのです。

 考えてみれば、パウロは熱心なユダヤ教徒でした。礼拝で、使徒言行録を読んでいますが、パウロがいかにキリスト教徒の迫害者であったのかが分かります。それが、使徒9章のダマスコ途上でのイエス様との出会いによって、キリスト教徒の迫害者から伝道者に変えられています。どうして、急にこのように変化することができるのだろうと思います。熱心な迫害者であったパウロが、命をかけたイエス・キリストの伝道者となっていくのです。その理由を考えると、もちろん、聖霊の働きによるのが一番です。天からの光の中で、イエス様がパウロに語りかけていくのです。強い光を浴びたパウロはその場所で倒れてしまいます。まぶしい光の輝きの中で、自分自身目が見えなくなってしまいました。それまで見えていたのが、急に見えなくなったのです。人より先に進んでいたパウロが、目が見えないために、人の手を借りて歩くことになっていきます。

 そして、私はダマスコに住んでいたキリスト者アナニアとの出会いが大きかったと考えるのです。目が見えないパウロに、主はアナニアに会いに行くようにいいます。アナニアにパウロの上に手を置き、元どおり目が見えるようにするようにと促しています。主の言葉を聞いたアナニアは、パウロを恐れているのが分かります。これまで多くのキリスト者がパウロに捕えられて、投獄されていったことからです。主は「行け。あの者は、異邦人や王たち、イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう」とアナニアに伝えています。聞いたアナニアはすぐに行動します。出かけて行って、パウロの上に手を置いて「兄弟パウロ、あなたがここに来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と答えます。すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、パウロは元どおり見えるようになっていきます。

 敵だったパウロを、キリスト者アナニアは友のように受け入れています。「兄弟パウロ」といっています。きっとパウロはこのアナニアの行為に、非常に驚いたと感じるのです。それまで、熱心なユダヤ教徒として歩んで来たパウロ、キリスト教徒を迫害することは神の御心に適ったことだと信じて疑ったことはないのです。でも、ユダヤ教徒以外は、受け入れる要素はなかったのです。敵を愛することなどなかったということでです。それがキリスト教徒アナニアは、迫害する自分を兄弟として受け入れてくれたことに驚きと、本当の教えを感じたのです。それが、パウロが迫害者から伝道者に変わった大きな理由だと私は考えます。

 パウロがここまで伝えて来たイエス・キリストの福音は、敵をも愛するものです。なぜ、神は自分の独り子イエス・キリストをこの世界に送る必要があったのでしょうか。どうして、クリスマスが起ったのでしょうか。神はこの天地を創造してくださいました。宇宙とこの地球を造ってくださったのです。天地創造によって、この世界は造られ、私たち人間をも造ってくださいました。この天地創造において、神は私たち人間を特別な存在として創造されたのです。それは、神に似る者として造られたということです。神によって自由意志を持った存在として造られたのです。神はその人間に与えた自由意志によって、神を愛する存在として造ったのです。しかし、人間は神から与えられたその自由意志によって、神を愛さない道を選び、神から離れた道を歩んで行きました。ここに罪が入って来たのです。罪の結果として、人間は死ぬべき存在になってしまいました。

 神から離れた人間、罪を犯して死ぬべき存在となった人間をどのように神は救おうとされるのでしょうか。まず、神は、神の民としてイスラエルの人々を選び、律法を与えました。神の教えである律法を守ることによって、神のもとに帰って来ることができるものでした。しかし、人間は、神の与えた律法を守ることができなかったのです。その内容は、旧約聖書全体を通して書かれてあります。でも、旧約聖書はそれがすべてではありませんでした。律法を守ることができない人間を救う方法が書かれてあるのです。それが、罪の贖いとして、自分に代って家畜を神にささげるのです。自分が負うべき罪の裁きを、家畜が代って負うことによって、人間の罪が赦されていきます。旧約聖書を読みますと分かりますが、何度も、イスラエルの人々は家畜を神にささげています。

 そして、新約聖書に入って、神の子イエス・キリストの誕生、クリスマスの出来事となっていきます。イスラエルの人々は、自分たちの罪を贖うために何度も家畜を神にささげてきました。でも、それは完全な罪の贖いではなかったのです。不十分なささげものだということができるでしょう。でも、それは完全なささげものへの準備だったのです。

 神によって創造された人間、罪を犯した人間、本来なら救われるはずのない人間です。神の裁きの前で滅ぼされる存在にすぎないのです。それを、神は何とかして救おうとされるのです。神の敵であった人間を、愛する者としてくださるのです。そのために、必要なのが完全な罪の贖いです。それが、神の御子イエス・キリストが、私たちの住む世界に人間として来てくださり、私たちの負うすべての罪を背負って十字架につく必要があったのです。私たちが神によって救われて神の子となるためには、私たちは何もできないのです。どんなに人間的な努力をしても、神の救いを得ることはできないのです。人間にできないことを神ご自身がしてくださったのです。それが、クリスマスの出来事です。神は一方的に私たちを愛してくださっているのです。何もできない私たちを深く愛してくださっているのです。敵であった私たちを友として呼んでくださり、神の友としてしてくださっています。

 パウロは、そのイエス・キリストの福音を伝えるために伝道者として立てられて、ローマ書を書いています。今日の聖書の箇所は、パウロ自身の紹介が書いてあります。パウロは自分のことをキリスト・イエスの僕といっています。神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロが、書いています。イエス・キリストの福音は、神がすでに聖書の中で預言者を通して約束されたものです。それは、イエス・キリストに関することです。イエス・キリストは肉によればダビデの子孫から生まれています。聖霊によれば、死者からの復活によって力ある神の子と定めされています。このイエス・キリストの福音を語るために、パウロは伝道者として活動して、ローマ書を書いています。

 クリスマスの日、私たちは神が御子イエス・キリストを私たちの世界に送ってくださったこと、イエス・キリストの誕生日を祝うことが許されています。神からの最高のプレゼントであるイエス・キリストの誕生日を心から祝いましょう。

祈り 神よ、クリスマスの礼拝を皆と共に祝うことができましたことを心から感謝します。あなたが、私たちを救うためにしてくださったことを改めて確認をすることができました。深く感謝します。一方的な神の働きを知りました。私たちは感謝して、この神のプレゼントを受け取ることができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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