7月17日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、463 532 91です。礼拝の中で一人の姉妹の入会式を行います。

礼拝説教       マタイ25:14~30「いっしょに喜ぶ」     2022.7.17

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝したいと思います。神の言葉を受けて、それぞれがよりよい1週間の歩みをすることができますように、心から願います。

 今日は「タラントンのたとえ」です。イエス様は最初に、天の国は次のようにたとえられるといいました。この話の内容は次のようです。ある家の主人が旅行に出かけます。すると主人は、僕たちを呼んで、自分の財産を預けます。それぞれの力に応じて、預けます。ある人は5タラントン、ある人は2タラントン、もう1人には1タラントンです。その家の主人は旅行に出かけていきます。早速、5タラントン預かった者は出ていき、それで商売をして、他に5タラントンもうけました。同じように2タラントン預かった者も、他に2タラントンもうけました。しかし、1タラントン預かった者は、出て行って、穴を掘り、主人のお金を隠しておきました。

 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めました。まず、5タラントン預かった者が進み出て、他の5タラントンを差し出して、「御主人様、5タラントンお預けになりましたが、他に5タラントンもうけました」といいました。主人は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実だったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」といいます。次に、2タラントン預かった者も進み出て「御主人様、2タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに2タラントンもうけました」といいました。主人は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」といいました。ところで、1タラントン預かった者も進み出て「御主人様、あなたは蒔かない所からから刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなたのお金です。」と答えています。主人は「怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それならわたしの金を銀行に入れておくべきだった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらったのに。さあ、そのタラントンをその男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。」といっています。

 このタラントンですが、よくタレントという言葉を耳にします。有名タレント、テレビタレントなどと使われていると思います。そもそもは通貨の単位と、聖書の後ろにあります表に出ています。お金の単位ということです。ギリシャで用いた計算用の単位、6000ドラクメに相当となっています。ドラクメも新約の通過の単位です。デナリオンと等価となっています。デナリオンはローマの通過で、1日の賃金にあたるといいます。1デナリオンは、当時のローマの時代の労働者の1日分の賃金となります。現在で考えてみると、労働者の1日分の賃金は、約1万円でしょうか。そうなると、1タラントンは6000万円になるということです。このたとえ話に出てくる5タラントンは、3億円になります。2タラントンは、1億2千万円になります。10タラントンは、6億円です。4タラントンは、2億4千万円ということになります。

 このタラントンのたとえに出てくる金額は大金です。私とすれば、理解を超える金額です。家の主人は、それぞれの僕に、お金を渡すのですが、3億円、1億2千万円、6000万円となります。これだけの大金をもらったら、いったいどうしょうとなります。怖くて使えません。最初に戻りますが、このタラントンのたとえは、イエス様が天の国とは次のようなものであるという説明の流れでいわれています。神は、私たちに様々な能力や才能を与えてくださっています。私たちは学生の時や社会人の時に、周りの人を見て、その与えられた才能をうらやましく思ったことがあると思います。あの人はあんなに素晴らしいタレントがあり、いいなあ、それに比べて、自分はそういうタレントがない、自分はダメな存在だと感じたものです。タラントンからトンをとって、「タラン、タラン」といつも嘆いているのでしょう。

 しかし、神から与えられたタレントという視点で、このたとえ話をみますと、その金額が半端ではありません。神から与えられた能力といえば、そのほどにたくさんの能力や才能が与えられているということです。1円とか、5円とか、10円の話ではありません。3億円、1億2千万円。6000万円です。神からの与えられたタレントはそのように十分以上のものだといっています。そのことに、私たちは気づきたいと思います。

 それから、5タラントン、2タラントン、1タラントンと人によって、与えられたものは違います。5の人は商売して、また5増やしました。2の人は、商売して、また2増やしました。しかし、1の人は使わず、土の中に埋めて隠していました。この1の人を神は怒っています。どうしてでしょうか。商売して、事業に失敗して、すべて失うよりもいいような気がします。私なら、1の人のようにしてしまうかなあと考えてしまいます。商売の才能はまずないからです。きっとすべてをなくし、もしかしたら、大きな借金を抱えてこんでしまうかもしれません。今でいえば、破産宣告です。

 このタラントンのたとえは、金儲けの話ではありません。天の国とは何かを説明するためのものです。1タラントンもらった人が問題になったことはいったい何だったのでしょうか。それを知るのに、キーワードは「厳しい方、恐ろしくなり」です。神が厳しいお方で、わたしは恐ろしくなり、1タラントンを地の中に隠して置いたのです。否定的な感情といいますか、神は恐ろしいお方、だから、いただいている恵みを土の中に埋めざるを得なかったということです。事業に失敗して責められたら、6000万円を使ってすべてなくしてしまったら、責任を追及される、それくらないなら何もしないという選択です。マイナス思考です。もっといえば、あれもだめだ、これもだめだと思う。もう何もできなくなって、自分の人生は終りだ。私たちはそのような恐れの感情に縛られていて、自分はもうダメなんだという自分勝手に決めてしまい、自分のよいものを土の中に埋めて、何もないかのようにしてしまっていることが多いように思います。

 このマイナス思考からいかに抜け出すことができるでしょうか。イエス様の言葉には次のようなものがあります。

ヨハネ9:1~3

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が、生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

 生まれつきの盲人を目の前にして、この人が病気なのは、両親が罪を犯したためでもない。本人が罪を犯したためでもないと、イエス様ははっきりといっています。この人に神の業が現れるためなのだというのです。私たちは、それぞれの思いの中に、親の責任だと思っていたり、自分が悪いんだと思っていたり、結局何かが悪いから、こうなってしまったという運命論、因果応報にとらわれていて、これがこうなったから、自分はこうなってしまった、親の育て方が悪い、いろいろなことが自分のせい、親のせいとマイナス思考になってしまう。タラントンを土の中に埋めてしまうようになっているのです。

 ここで大切なのは、自分のことを見ることではなく、親のことを見ることではなく、神の方に目をやることなのです。神が私たち一人一人にたくさんの恵みを与えてくださっている。それは当方もない恵みです。私たちの想像以上のものです。そして、忘れてはならないことは、このように私たちのために、神は、イエス・キリストを十字架につけてまで、愛してくださっているのです。恵みの上に恵みを増し加えて与えてくださっています。神の恵みの中で、私たちは生きているのです。神からの視点を大切にして、前向きに、希望と感謝をもって、歩んでいきましょう。

祈り 神よ。あなたのみ言葉をありがとうございます。私たちは自分たちの思いの中で生きて、苦しんでいます。この世界をつくってくださった方、私たち一人一人を創造してくださったお方は、はるかに恵み深く、たくさんの恵みを与えてくださっています。そのことを、聖書の言葉が教えてくださいました。感謝して、その神のみ言葉を受け止めることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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