10月17日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、405(1)544(1)です。今日は、教会創立記念日礼拝です。

礼拝説教    マタイ20:16~19「イエス様の復活を語る教会」   2021.10.17

 新しい1週間が始まります。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることを感謝します。神の言葉を受けて、よりよい1週間の歩みとなりますように祈ります。今日は、瀬戸永泉教会の創立記念日礼拝です。133周年になります。瀬戸永泉教会の歩みが133年になります。133年前に、教会の歩みが始まった。当時の人々はどのような思いで、キリスト教の伝道を始めていったのでしょうか。それから133年の間に、いろいろな困難な時がありました。困難な時も乗り越えて、瀬戸永泉教会の歩みが続いて来たのです。そして、今、私たちの教会は、教会堂の増改築工事を行っています。予定では来年の2月末には完成です。これは瀬戸永泉教会が、これからの未来のための働きのために行っていることです。この教会を通して、この地域の人々に、イエス様の福音を伝えるためです。地上の歴史の歩みが続く限り、この教会の働きも継続していくのです。

 教会の使命とは何でしょうか。それは、イエス・キリストの福音を地域の人々に伝えることです。

マタイ28:19~20「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このマタイによる福音書にあるように、教会は全世界に出て行って、イエス様の福音を伝えていくのです。そのイエス様の福音とは何でしょうか。それは、天の国へのメッセージです。マタイ4:17「悔い改めよ。天の国は近づいた」という内容です。天の国のメッセージは、人々の心の中に決して渇くことのないものです。ヨハネ4:14「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」この聖句は、私たちの教会の名前にも出てくるものです。瀬戸永泉教会を通して、多くの人々が、イエス様の福音を聞き、心の中に永遠の命に至る水がわき出てくるのです。

 さて、今日の聖書の箇所に入っていきたいと思います。ここにはイエス様の受難予告の3回目が出ています。イエス様の受難予告というのは、イエス様がエルサレムに行って十字架につくことを語っているものです。それも3回語られているのです。

1回目は、マタイ16:21「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」とあります。イエス様は、いよいよガリラヤからエルサレムに向かって歩みを始めようとする時に、弟子たちに尋ねました。「あなたがたはわたしを何者だというのか」と。すると、ペトロが「あなたはメシア、神の子です。」と答えました。その時に、イエス様がご自身の本当の目的である受難予告を語られたのです。しかし、ペトロの反応は厳しいものでした。「主よ、とんでもないことです。そのようなことはあってはならないことです。」と。ペトロだけでなく、イエス様の弟子たちのすべては、イエス様のことをイスラエルの解放者と思っていたのです。この時にイスラエルの人々は、長くローマ人の支配下にありました。ローマ人からの解放、イスラエルの人々が自分たちの国家をつくることを目的にしていたのです。それを成し遂げるのは、戦いによって成し遂げること、つまり戦争によって成し遂げるものでした。ペトロたちにとって、イエス様がエルサレムで十字架につけられて殺されることはあってはならないことでした。それは、自分たちの目的が果たせないことになるからでした。

2回目の受難予告は、マタイ17:22~23「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。」です。イエス様は3人の弟子たちを連れて高い山に登られました。そこで、モーセやエリヤにあい、自分の目的である十字架を確認したのです。山から下りて、すぐに弟子たちに、受難予告を語ったのです。弟子たちは非常に悲しんだという言葉が強く強調されていることに気づきます。

そして、今日の聖書の箇所、3回目の受難予告になります。まもなく、イエス様はエリサレムに入ろうとしています。十字架は目の前にあるといってもいいでしょう。エルサレム入場を前に、イエス様は弟子たちだけを呼び集めていわれます。「今、わたしたちはエルサレムに上って行きます。わたしは祭司長や律法学者たちに引き渡されます。彼らは、わたしの死刑を宣告します。わたしは異邦人であるローマ人に引き渡されます。わたしは侮辱を受け、鞭うたれ、十字架につけられます。そして、わたしは3日目に復活します。」と。ここでは、弟子たちの反応ですが、今日の聖書の箇所の次ですが、イエス様のもとにゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親がやって来て、お願いをしています。「あなたが王座につく時に、二人の息子たちをあなたの右と左の座につかせて欲しい」というものでした。後で、この話を聞いた10人の弟子たちも腹を立てています。まだ何も始まっていないというのに、戦争に勝利した後のことの権力争いをしているのです。

イエス様の弟子たちは、イエス様が3回にわたる受難予告をしても、その意味を何も理解することができませんでした。弟子たちの立場からすれば、自分たちの願いは、自分たちの国をつくるということでした。その思いがとても強かったのです。イエス様の弟子として従っていくのも、その目的を果たすためでした。ある意味で、イエス様を利用しているのです。時期は過越し祭を目前にしています。多くのイスラエルの人々がこの過越し祭を祝うために、エルサレムに集まっていきます。過越し祭は、出エジプトを祝う祭りです。エジプトからの解放、奴隷からの解放です。今まさしく、自分たちはローマ人からの解放の時だと、弟子たちは願っていました。エルサレムで、イエス様をリーダーとして、ローマ人への戦いを始めるのだと興奮していました。戦争が始まる、自分の命をかけて戦う決意をしていたと思われます。その時に、イエス様の口から出た受難予告は受け入れることができません。理解することができません。おそらく、弟子たちは大きな不安を抱えて、エルサレムに向かって行ったと思います。

イエス様は、そのような意味で、本当に孤独でした。誰も、イエス様の思いを理解することのできる者はいませんでした。この後、イエス様はご自身で言われた通りになっていきます。エルサレムに行ったイエス様はまず、弟子に裏切られ、祭司長たちや律法学者たちに売られます。ずっと側にいた弟子たちに裏切られ、見捨てられます。イエス様は死刑を宣告されます。そして、ローマ人の手に渡されます。イエス様は裸にされ、侮辱され、鞭で打ちます。40回になる前に、鞭打ちは終ります。それは、これ以上打つと死んでしまうからです。死ぬ直前に止めてしまう。それはとても残酷なことです。自分が負う十字架を背負いながら刑場まで歩かされます。そして刑場につくと、十字架につけられます。死ぬまでそのままにされるのです。十字架刑は人間が考えた死刑の方法で最も過酷なものです。このイエス様の十字架刑を通して、この世に与えられたあらゆる苦しみを、その身に負われたということができます。

イエス様の十字架はそれで終わりではありませんでした。十字架で死なれて墓に葬られました。そして、3日目に復活されたのです。このイエス様の十字架の死と復活によって、私たちのすべての罪は赦され、天の国に入ることがゆるされ、永遠の命を与えられるのです。イエス様の十字架はその厳しい死を強調されますが、それも大切ですが、その後の復活も大切な内容です。

今年、私たちの教会は1人の兄弟と1人の姉妹を、天の国に送りました。11月7日には、永眠者記念日の礼拝が行われますが、その復活のことを覚えていきたいと思います。私たち生きる者はいつか自分の死を迎える時がやってきます。それは避けることのできないものです。しかし、その先にある天の国と永遠の命を望みながら、歩んでいきたいものです。瀬戸永泉教会、創立133周年記念日の時に、イエス様の福音をしっかりと受け止めて、歩む者でありたいと思います。そして、この教会を通して、多くの人々に、イエス様の福音を伝えていきましょう。

祈り 神よ。瀬戸永泉教会は、133年の歩みを続けることができました。そのことをまず感謝します。また、教会が、この地域に立ち、この地域の人々にイエス様の福音を伝えていくことができますように導いてください。そのために、今、教会堂の増改築の工事が行われています。事故もなく、完成できるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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