2月20日の礼拝の内容です。

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讃美歌は、394(1)484(1)です。教会の工事が安全に行われますように、お祈りください。

礼拝説教      マタイ22:34~40「2つの大切な教え」     2022.2.20

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝します。神のみ言葉をいただいて、この1週間の歩みが感謝と喜びにあふれたものになりなすように祈ります。

 マタイによる福音書を読んでいます。イエス様がエルサレムに入られました。まもなく十字架の時は近づいています。そのような時に、イエス様と律法学者との戦いが続いています。今日のところは、ファリサイ派の人々とサドカイ派の人々が一緒になっています。ふだんは考え方の違いから交わることはありませんでしたが、対イエス様ということで、一緒になっています。そのうちの一人の律法の専門家がイエス様を試そうとして尋ねました。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」と。

すると、イエス様は言われました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。」と。これは、旧約聖書の申命記の中にある言葉です。次のようになっています。

申命記6:4~9

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

 これは、イスラエルの人々の信仰告白と言われるもので、特に大切な教えにもなっています。人がすべてをささげて、神を愛することが求められています。ここに書かれているように、日常生活の中で、この言葉を語り、教えることが求められています。更に、この言葉を書いて、印として自分の手にも、自分の額にも結んでおくのです。このイエス様が語った第一の重要な掟については、誰も反論することがないものとなっています。

 実は、これでは終りません。もう一つを「第二も、これと同じように重用である。『隣人を自分のように愛しなさい。』と、いっています。そして、律法全体と預言者は、この二つの基づいているとまでいっています。これが、レビ記の箇所にあります。

レビ記19:18

復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

 祈祷会でレビ記を学びましたが、レビ記17章~26章は、神聖法集といわれるものになります。イスラエルの人々が大切なこととして守るべきことが書かれてあります。復習をしてはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。次に、この教えが書かれてあります。多くの教えの中の1つと考えてしまいますが、そうではなく、イエス様は律法の掟の中で第二に重要な掟であるといっています。そして、この第一の教えと第二の教えはつながっているのです。決して離れて考えるものではなく、一緒に考えられるべきものだというのです。

 考えてみれば、律法の中心は十戒です。これをよく見ると、第1戒~第4戒までは、神を愛することが書かれてあります。第5戒~第10戒までは、隣人を愛することが書かれてあります。神の教えは、神を愛することと隣人を愛することを大切にしているのです。この2つの教えのことを、イエス様は、律法全体と預言者を表しているといっています。

 でも、これで終るものではありません。律法の教えが神を愛することと隣人を愛することをいっているのですが、もっと大切なことがあるのです。先に読んだ申命記の中に、それが書かれてあります。

申命記6:10~13

あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。

 イスラエルの人々が約束の地に入って、幸せな日々を送る時に、あなたは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないように注意しなさいといっています。人々は幸せの中で、神を忘れてしまうことがあるので、注意しなさいといっているのです。人のことをよく分っているなあと思います。この内容は、十戒の全文にも書かれてあります。神があなたを深く愛してくださったこと、具体的に、エジプトの国、奴隷の家から導き出してくださったことです。神の愛、それがあることです。

 神の愛を考える時に、やがて、イエス様は十字架につくことになるのですが、それがどうして、神の愛につながっているのでしょうか。レビ記を読んだ時に、人の罪をどのように赦すか、贖うかが書かれてあります、本来ならば、人は自分の罪を、自分自身で負うことになります。命を神に差し出すことになります。それを回避するために、神はレビ記の中で、身代わりの動物を用意してくださったのです。家畜として牛や羊などです。牛をささげることによって、人の罪の贖いになるようにしてくださったのです。

 でも、それは準備のためでした。完全な罪の贖いをするためでした。その完全な罪の贖いが、神の子イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとして、十字架で死んでくださるということです。このイエス・キリストの十字架の死は、完全な罪の贖いになってくださるのです。イエス様が、まもなく十字架についてくださるのは、そのためだったのです。神は、イスラエルの人々を愛し、私たち全てを愛してくださっています。それが、独り子イエス・キリストを十字架につけてくださることです。これが神の愛なのです。次のような聖書の言葉があります。

ローマ8:32.38~39

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 この聖書の言葉があります。十字架の愛です。神の愛です。この十字架の愛があって、2つの大切な教えがあるのです。どれほど、私たちは、神から愛されているのでしょうか。この十字架の愛によって、復活の命、永遠の命が与えられているのです。神の愛は、私たち自身を深く包んでくださっています。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを深く感謝します。聖書から2つの大切な教えについて学びました。それ以上に、あなたの愛が、どれほど大きいのかを、イエス・キリストの十字架について知ることによって知ることができました。どうか、私たちが神の愛から、十字架の愛から離れることがありませんように、守り導いてください。私たち一人一人は、とても弱い者です。これらの願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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