11月16日の礼拝の内容です。

礼拝

11月16日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.18.461.484.24です。

礼拝説教      使徒19:35~40「静かにしなさい」    2025.11.16

 今日は、情報について考えてみたいと思います。私たちは日々、いろいろな情報の中で生きています。私たちは、日常生活の中で、何から情報を入れているのでしょうか。スマホから入る情報、テレビ、ラジオ、新聞などからです。毎日、いろいろな情報が私たちの社会は溢れています。世界中の情報がライブで入ってくる時代です。たくさん溢れている情報の中で、何を大切な情報として受け取っているでしょうか。また、世界中のニュースで起っている戦争や様々な問題から、私たちの日常生活は振り回されているのではないかと自分自身も反省を込めて、日々考えています。

 情報のことで忘れてはいけないのは、戦時中の情報です。戦時中に、流れてくるニュースは、日本軍の有利な情報だけでした。本当は負けているのに、勝っているかのように情報を流したのです。戦時下という状況の中で、そうする必要があったのでしょう。でも、間違った情報というのは、戦時下だけでなく、今でも、私たちの社会ではあふれているのです。何が必要な情報なのか、それさえも私たちは判断することが難しい状況にあると私は思います。私たちにとって必要な情報を正しく受け止めることを考えていきたいと思います。

 今日の聖書の箇所は、そのような間違った情報の中で、混乱するエフェソの市民のことを描いています。この個所は、パウロの第3回伝道旅行の中にあります。エフェソの町での出来事が書かれてあります。パウロはエフェソで約3年間伝道していきました。その間の出来事です。エフェソにはアルテミス信仰というのがありました。多くの恵みを与えてくれる女神といっていいと思います。このアルテミス信仰はエフェソを中心にアジア地方で広がっていたといわれています。エフェソには当時、大きなアルテミス神殿がありました。ここにデメトリウスという銀細工人がいて、アルテミス神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていたのです。デメトリウスは、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて「諸君、御承知のように、この仕事の陰で、我々がもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは、手で造ったものなどは神ではないといって、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは我々の仕事の評判も悪くなってしまうおそれがあるばかりではなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう」というのです。

 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出すのです。そして、町中が混乱してしまったのです。人々はまずパウロの同行者たちを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んでいきます。パウロ自身は群衆の中に入って行こうとしましたが、近くにいる人々によって止められます。劇場の中では、群衆はあれやこれやとわめき立ちます。集会は混乱するだけで、集まった大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかったという状況でした。この時に、エフェソに住むユダヤ人たちは、自分たちがパウロたちの仲間だと思われたくないので、1人の男を押し出して、群衆の中のある者たちが話すように促したので、その男は手で制し、群衆に向かって弁明しようとしましたが、彼がユダヤ人であることを知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と2時間ほども叫び続けるのです。

 銀細工人デメトリオの訴えは、自分たちの造っているアルテミス神殿の模型が、パウロがいった手で造ったものは神ではないといったことで、売れなくなったというものでした。それで、エフェソの人々が信じている女神アルテミスがないがしろにされていると思いを重なって、このような騒ぎになってしまったのです。エフェソの町中が混乱し、劇場に集まった大多数の者は何のために集まったのかさえ分からない状態でした。その騒ぎが約2時間も続くのです。ここには情報が拡大し、間違った情報に変って、町中が混乱していく様子が出ているのです。

 ここからが今日の聖書の箇所です。ここに町の混乱を静めようとして、町の書記官が登場して来ます。この書記官はエフェソの町の治安を治める役割を持っていました。エフェソの町の人々は、町の劇場に集まって、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び続けているのです。書記官は群衆をなだめて「エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことはしてはならない」となだめていうのです。この書記官は、エフェソの町の人々の信仰の対象であるアルテミスを肯定し、混乱している人々をさだめることから始めています。

 そして、書記官は、この町の人々の混乱の原因をしっかりと把握していました。それで、「諸君がここに連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、この女神を冒涜したのでもない」といい、パウロの同行者の問題ではないことをはっきりと訴えています。そして、問題の発端になった銀細工人デメトリオとその仲間の職人に「だれか訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいるのだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるのなら、正式な会議で解決してもらうべきである」といい、正式な訴えるべき場があるから、それを利用するようにいいます。この内容は人々が日常的に知っているものです。そして、最後に、書記官は「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ」と締めくくります。当時の世界はローマ帝国が支配していました。ローマ帝国は何よりも、その地の安定を求めていました。その地が安定しているなら、自由な自治が与えられていたのです。しかし、いったん暴動が起れば、ローマ軍が出て来て鎮圧し、その地の自治はなくなり、ローマ帝国の完全な支配下に移ることになり、特に、暴動を起した者は厳しく罰を受けることになっていくのです。そのことを群衆に訴え、書記官は群衆を解散させたのです。

 エフェソの町の混乱、それを町の書記官が冷静な対応で、暴動になることを抑え、群衆を解散させることができました。今日の聖書の箇所は、パウロたちの活躍ではなく、町の書記官の活躍が書かれてあります。この書記官の正しい情報があって、その上で、問題を処理したことで解決することができたのです。ここでも正しい情報と的確な行動があって、問題や混乱を静めることができました。

 この聖書の箇所と読みながら、次の聖書の箇所を思い出しました。旧約聖書の出エジプト記のイスラエルの人々がエジプトから出て行く時の様子です。

出エジプト記14:10~14

ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」

 この前に、イスラエルの人々はエジプトで長く奴隷の生活をして苦しい生活を送っていたのです。神はイスラエルの人々の苦しみを知り、モーセを送って、エジプトからの解放、奴隷からの解放を成し遂げていきます。やっとエジプトの地を出て行くことができたイスラエルの人々、奴隷からの解放で、人々の顔には笑顔があふれていました。しかし、目の前には葦の海が広がり、後方からは、エジプト王が送った軍隊が迫って来ます。喜びから急に恐れと混乱の中に落とされました。人々の声はモーセへの批判へ、神への批判になっていきます。人々の混乱を見ていたモーセは神の指示があって、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」といいます。この後で、すぐに葦の海の奇跡が起るのです。目の前にある海が二つに分かれて、渇いた地が現れて、人々はその地を渡って行くことができたのです。後から追いかけて来たエジプト軍は海の中に沈められて全滅してしまうのです。ここでは、静かにすることが求められています。

 私たちの目の前に起っている様々な混乱、多くの情報、間違った情報、それに振り回されることなく、静かにすることが何よりも大切なのです。実際、自分が混乱している時に、静かにすることは難しいことだと思います。一歩下がり、深呼吸をし、神に祈り、心を静かにし、何が起っているのかを正確に見つけるようにし、最後は神の導きに委ねていくようにしていきたいと願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができますことを心から感謝します。エフェソでの混乱の様子と、それを的確に処理する書記官の働きを見てきました。私たちもいろいろな情報にあふれて生活をしていて、何が正しい情報かと見極めることが難しい場合が多くあります。そのような時に、冷静に静かにして、神の御心を祈り求める信仰を与えてくださいますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

コメント