7月27日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会         民数記25章「イスラエルの罪」       2022.7.27

 イスラエルの人々は、エジプトで長い間、奴隷として苦しい生活をしていました。神はその苦しみを覚えて、モーセを遣わし、苦しみからの解放、エジプトからの脱出を成し遂げてくださいました。エジプトを出たイスラエルの人々は、約束の地カナンを目指して荒れ野の旅を続けていきます。シナイの荒れ野で、神はイスラエルと契約を結び、神の民としてくださいました。律法を与え、幕屋をつくり、祭司を備えてくださったのです。荒れ野の旅も40年が過ぎて、約束の地の近くまで、やってきました。いくつかの国々と戦って、勝利し、占領することができました。その様子を見ていたモアブの王バラクは、占い師バラムを呼んで、イスラエルを呪ってもらい、弱くし、滅ぼそうと考えました。でも、神の導きによって、占い師バラムは、バラムのために、イスラエルを呪うことができませんでした。神の強い導きがあったからです。バラムは自分の国に帰り、バラムも自分の土地に戻って行きました。

 一度は自分の国に戻ったバラムですが、思うことがあって引き返し、モアブの王バラクの所にやってきました。そして、いうのです。「わたしはあなたに頼まれて、イスラエルを呪うようにいわれました。しかし、神のために、それができず、呪いどころか祝福してしまいました。それで、よい方法をあなたに教えます。あなたの国の女性たちを、イスラエルの宿営に送り込むのです。そうして、イスラエルの自身の中で、問題を起し、弱らせるのです。」と。バラクは名案だと思い、モアブの女性たちに、また仲間であるミディアンの人たちにも参加してもらおう」としたのです。それは実行されました。それが、今日の聖書の個所です。イスラエルの人々がシティムに滞在していた時、モアブの女性たちが、イスラエルの人々の宿営にやって来て、男たちに近づきます。イスラエルの男性は、モアブの女性たちに興味を持ち、近づき、肉体関係を持つことになりました。モアブの女性たちは、自分たちの神々に犠牲をささげる時に、イスラエルの男たちを招き、その異教の食事に加わり、偶像を拝むようになってしまいました。ペオルのバアルといっています。この異教のバアルは、イスラエルの最大の異教になるのです。これから、このバアルに、イスラエルは何度も苦しめられることになります。

 主は、イスラエルの人々が、異教のバアルを拝んだことに対して、激しく憤られます。主はモーセに「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすればわたしの憤りはイスラエルから去るだろう」といわれます。モーセはイスラエルの裁判人たちに「おのおの、自分の配下で、バアルを慕った者を殺しなさい」と命じました。実際に、この通りに実行されたのでしょうか。主は厳しいお方です。

 その時に、モーセとイスラエルの人々の共同体全体が幕屋の入り口で嘆いている時に、その目の前で、一人のイスラエル人がミディアンの女性を連れて宿営に入って行きました。祭司エルアザルの子であるピネハスは立ち上がって、槍を手に取り、二人を追って奥の部屋まで行き、二人を槍で突き刺しました。これによって、イスラエルを襲った災害は治まったとあります。しかし、この災害で24000人が死んでしまいました。本当に大きな災害です。主はモーセに「ピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。それでわたしは、イスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。わたしは彼にわたしの平和の契約を授ける。彼の子孫は、永遠の祭司職の契約に預かる。彼がその神に対する熱情を表し、イスラエルの人々のために、罪の贖いをしたからである」といわれました。

 そして、殺された二人の名前が出ています。男性はシメオン族の家族の指導者であったジムリという人で、女性はミディアン人の部族の父祖の家の長であるツルの娘でコズビでした。主はモーセに「ミディアン人を襲い、彼らを打ちなさい。彼らは、お前たちを巧みに惑わして襲い、この事件を引き起こしたからである」といいます。このミディアン人に対する復讐ですが、民数記31章に出てきます。

民数記31:7

彼らは、主がモーセに命じられたとおり、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにした。

民数記31:8

5人のミディアン人の王を殺し、またぺオルの子バラムをも剣にかけて殺した。

民数記31:16

ぺオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがくだったのではないか。

 このようにイスラエルの人々は、自らの罪によって、このような悲劇を迎えることになりました。そして、その悲劇を招いた人々にも、その結果がもたらしたのです。律法に「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。」とあります。それを破った時に、神からの裁きがくだされるのです。ここでは、イスラエルの人々の24000人の犠牲がありました。神への罪への死です。悲しいことです。新約聖書で、神の子であるイエス・キリストが十字架について死ななければならなかった理由がここにあります。神は人の罪を決して赦されません。そのために、イエス・キリストの十字架が必要だったのです。このイエス様の十字架の死によって、私たちの罪はすべて赦されているのです。このことを忘れてはならないと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。人間の罪、人間の弱さを改めて知ることができました。そして、人の罪に対するあなたの厳しさをも知ることができました。あなたの人の罪に対する厳しさと愛が、あなたの御子イエス・キリストの十字架の死につながることを知りました。イエス・キリストの十字架の死がなければ、私たちの罪の赦しはなくなることはありませんでした。この十字架の死を、いつも覚えつつ歩んでいくことができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                         」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

コメント