3月16日の祈祷会の内容です。

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祈祷会        民数記11章「今あることに感謝すること」   2022.3.16

 先日、北京でパラリンピック大会が終了しました。なくなったものを見るな。できるものを最大限に生かせという言葉が印象的でした。選手が力の限りを尽くしてスポーツする姿に感動しました。どれだけの準備をして、大会に臨んでいるのだろうと思います。

 イスラエルの人々はエジプトを出て、約1年が過ぎて、シナイの荒れ野で神の民としての歩みをスタートすることになりました。それまでにいろいろな準備がなされてきました。いよいよイスラエルの人々は神の民として、神が示された約束の地に向かって旅を進めていくはずでした。祝福に満ちたスタートのはずなのに、イスラエルの人々は神の耳に達するほどに激しい不満をいったのです。その内容は書いてありませんので分かりませんが、スタートでつまずいてしまいました。神はそれを聞いて憤られ、神の火が人々に向かって燃え上り、宿営の端から焼き尽くそうとされました。人々はモーセに助けを求めました。モーセが神に祈ると、火は鎮まったのでした。

 イスラエルの人々のつまずきはそれで終わりません。人々に加わっていた他国人は飢えと渇きを訴え、人々もそれを受けて、再び泣き言をいったのです。「誰か肉を食べさせてほしい。エジプトでは魚をただで食べていたし、キュウリやメロン、ねぎやたまねぎやにんにくが忘れられない。今ではマナばかりで、何もない。」と。人々はマナをいろいろな料理方法で食べることができていたのです。モーセは人々がどの家族もそれぞれの家で泣き言をいっているのを聞いたのです。

 神が激しく憤られたので、モーセは苦しむことになります。モーセは神に「あなたはなぜ、わたしを苦しめるのですか。この人々のすべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。人々はわたしに、泣き言をいい、肉を食べさせよというのです。わたし一人では、とてもこの人々すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。どうしてもこのようになさりたいのなら、どうかむしろ、わたしを殺してください。どうか、わたしを苦しみにあわせないでください。」と、訴えているのです。モーセは人々のことでもう限界に来ているのです。人には限界があります。モーセは、ここでそのような状況になっているのです。

 モーセの訴えに、神は「イスラエルの長老から70人を集め、あなたを支える者として立たせなさい。わたしは彼らに霊を授ける。そうすれば、彼らが人々の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなた一人で負うことはなくなる。」といってくださいました。モーセを助けているのです。また、神はモーセに「人々に告げなさい。明日のために自分自身を聖別しなさい。あなたたちは肉を食べることができる。神の耳に達するほど、泣き言をいい、誰が肉をたべさせてくれないか、エジプトでは幸せだったと訴えたから、神はあなたたちに肉をお与えになり、それを食べることができる。食べるのは1ケ月に及び、あなたたちの鼻から出るようになり、吐き気を催すようになる。」と、いうのです。

 その神の言葉に、モーセは「わたしの民は男だけで60万人います。あなたは、肉を彼らに与え、1ケ月食べさせようといわれます。本当にできるのでしょうか。」と疑問をいいます。それに対して、神は「神の手が短いというのか。わたしの言葉通りになるかならないか、今、あなたに見せよう。」と、いいます。モーセは出て行き、人々に神の言葉を伝えました。イスラエルの長老の中から70人が選ばれ、神からの霊が授けられ、預言状態になりました。モーセを助ける70人が加わったことになります。そして、神のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落としました。うすらは広範囲に渡り、1m近くの高さに積もりました。人々は、終日終夜、そして翌日にも集めました。

 うずらの肉がまだ歯の間にあって、噛み切らないうちに、神は人々に対して怒りを発して、激しい疫病で打ちました。そのためにその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれています。貪欲な人をそこに葬ったとあります。

 イスラエルの人々にとって、エジプトでの奴隷の日々は、厳しい労働の時でした。しかし、衣食住は満たされていたのです。厳しい奴隷と日々に苦しみ、神に助けを求めました。モーセによって、助けられ、エジプトを出ることはできました。奴隷という状態からの解放を意味していました。それはよかったのですが、エジプトを出た人々を待っていたのが、荒れ野という厳しい自然環境でした。飲み水、食べ物がないという厳しい環境に置かれ、神への不満がたまっていったのです。イスラエルの人々の歩みを見ながら、私たちの歩みはどうなのだろうと思います。いろいろな思いの中にあります。今、あることが、自分の力によってではないことに気づき、神によって支えられていることを再確認したいと思います。

祈り 神よ。祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。私たちは今、新型コロナウィルスの影響下にあります。かつてできたことが、今ではできないことがたくさんあります。できなくなったことを嘆くのではなく、今、できることを見つけて、行うことができるように導いてください。ウクライナでの戦争を早く終わらせてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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