祈祷会 サムエル記下4章「ダビデの判断を考える」 2026.2.18
イスラエルの最初の王サウルは、ペリシテ人との戦いで戦死しました。サウル王の死後、イスラエルはサウル家とダビデ家の争いが続いていました。サウル家はアブネル、ダビデ家はヨアブとおりました。戦いの中でサウル家は弱っていき、ダビデ家が力を持つようになっていくのです。サウル家が弱くなっていくと感じたアブネルは、ダビデ家と手を結ぼうと動いていきます。アブネルはサウル家とダビデ家が契約を結んで1つになることを望むようになっていきます。実際に、アブネルは行動し、イスラエルの長老たちとベニヤミン族の了解を取って、ダビデと接触し、契約を平和のうちに結ぶことに成功しました。このアブネルとダビデの契約の時に、ヨアブはいなかったのです。アブネルがダビデのもとを平和のうちに帰って行くのです。その後に、ヨアブが多くの戦利品を携えて略奪から帰って来ました。ヨアブとその全軍が到着すると、アブネルが平和のうちに帰って行ったことをヨアブは知るのです。
ヨアブはダビデにも内緒で、アブネルを引き戻し、静かなところで話したいといって、城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺しました。ヨアブは自分の弟アサエルがアブネルに殺されて復讐を成し遂げたのです。ヨアブがアブネルを殺したことを知ったダビデは深く悲しみます。ダビデはアブネルを丁寧に葬ります。また哀悼の歌を詠みます。ダビデの悲しみを知ったイスラエルの人々は、アブネルの死は、ダビデの意図によるのではないことを認めるのです。ダビデはヨアブに対して複雑な思いを持つようになっていきます。
アブネルが殺されたことを聞いたサウルの子イシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルはおびえるのです。このサウルの息子のもとに、2人の略奪隊の長がいました。名をバアナとレカブといい、共にベニヤミンの者で、ベエトロの者でした。ベエロトの人々はかつてサウル家に対して複雑な思いを持っていたのです。サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいました。サウルとヨナタンの戦死を知ったのはその子が5歳の時でした。乳母が抱いて逃げましたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になってしまったのです。名前をメフィボシェトといいました。
レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来ます。イシュ・ボシェトは昼寝をしていました。レカブとバアナは、小麦を受け取るふりをして、その家に入り、イシュ・ボシェトの下腹を突き刺して殺し、逃亡します。殺してその首をはねます。彼らはその首を携えてアラバの道を夜通し歩き、ヘブロンのダビデのもとに、その首を持参します。2人はダビデに「御覧ください。お命を狙っていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、王のために、サウルとその子孫に報復されました」といいます。
サムエル記下1章で、サウル王の死をダビデに告げたアマレク人は、サウル王の死を知らせることによって、自分自身がダビデから何か有利な状況になると思って行動したのですが、逆にダビデの怒りを買い、殺されてしまいました。それと同じようにことがここで起ります。ダビデは、2人に答えて「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしにはその者を捕らえ、ツィクラブで処刑した。それが彼の知らせの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちに手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除く去らずにおられようか」といいます。次に、ダビデの命令によって、ダビデの従者は2人を殺して、両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木に吊るすのです。イシュ・ボシェトの首はヘブロンに運ばれ、アブネルの墓に葬られます。
ダビデにとって敵だったサウル王の死を告げたアマレク人は、ダビデの手によって殺されてしまいました。また、アブネルによってイスラエルの王とされたイシュ・ボシェトを殺したレカブとバアナもダビデの手によって殺されてしまいました。そして、アブネルもヨアブの手によって殺されてしまいました。ダビデが王として歩みために、障害となるサウル王、イスラエルの王イシュ・ボシェトと将軍アブネルもいなくなってしまったのです。これらはダビデにとって都合のいいことでした。全イスラエルの王となっていくための障害が取り除かれたからです。ダビデ自身の手によってではなく、他人がそれを実行し、ダビデは何もしないでもよかったのです。それなのに、サウル王の死を告げ知らせた者、イシュ・ボシェトを殺した者も、ダビデは殺してしまいました。しかし、アブネルを殺したヨアブには何もすることができていません。ヨアブはダビデ自身の手に余るものでしたが、ダビデが全イスラエルの王となるためには必要な人物でした。
ダビデはイスラエルの王となる前は、弱い部分もありましたが、神に従っていく者でした。しかし、王となっていくと自分の思いが強く出て来る部分が出て来ます。また、神の前で罪を犯していくことも多くありました。これからのイスラエルの王としてのダビデを見て行く時に、ダビデ自身の弱い部分を多く見ることになっていきます。人間ダビデの苦しみや悲しみが出て来るのです。教会暦は、今日は灰の水曜日です。イエス・キリストの受難を覚える受難節を過すことになります。イエス・キリストの受難、人間ダビデの受難、そして私たちの受難、その受難が重なっていくのです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。ダビデがイスラエルの王となって行きます。その時に、様々なダビデの思いと行動があります。神に従う時と、従わない時があります。強いダビデ、弱いダビデがあります。ダビデを通して、私たち人間の現実の弱さを見るのです。それは、私たち自身の現実の姿です。イエス・キリストの受難をしっかりと受け止めて過ごすことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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