8月31日の礼拝の内容です。

green leafed tree beside body of water during daytime 礼拝
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8月31日の礼拝の内容です。讃美歌は、7.533.535.518.88です。

8月31日の礼拝  エレミヤ書7:1~15「礼拝という名の誘惑」(小椋実央牧師) 2025.8.31

礼拝の姿を見ていると、その人が日頃どんな生活を送っているのか、あらかた見えてくることがあります。イキイキとしていて何か楽しいことがあったのかな、とか。大変なことがあってずいぶん心をすり減らせているな、とか。逆もまた然りで、私たちのふだんの生活には私たちの礼拝の姿があらわれています。日頃熱心に聖書を読み、何よりも教会のことに心を砕いている方が、家庭や職場では野蛮なふるまいをしている、というのは考えにくいものです。全てがそうだ、とは言い切れませんが、ここでの礼拝の姿が、私たちの日常にもあらわれています。考えてみれば当たり前のことで、今ここにいる私たちと、家庭や各々与えられた場所で過ごす私たちは異なる体、異なる人格ではありません。同じ体を持ち、同じ心を持った私が今ここにいるのです。私たちは今教会にいますけれども、異次元空間に来たわけではなく、また何千年もタイムワープしたわけでもなく、ほんの1~2時間前はふだんどおりの生活をしていた。日曜日ですからふだんとは起きる時間も食事の内容も違うかもしれませんが、おそらく大半の方が寝床から起き上がって、食事や身支度を整えた後に各々の足で、あるいは車で、あるいは家族が運転する車でここまでやってきました。

ふだんの生活と、ここでの礼拝の姿は、何ら途切れることなく、分かちがたく一本の線でつながっている。家にいるのが本当の私で、ここにいるのはアバター、自分の分身だ、という方は今時点では多分ここにはおられない。しかし技術の進歩によってそのようなことが実現する日も近いのかもしれません。冒頭からおかしなことを申し上げているようですが、今日ご一緒に考えてみたいのは、今ここで礼拝をささげる私と、月・火・水・木・金・土・平日6日間の私は果たして同じかどうか、ということです。場所も時間も役目も違うのですから、完全に同じとは言えない。日曜日の私と、平日の私、違うところは当然たくさんあります。しかし、違うままでいいのかどうか。聖なる空間にいる私と、世俗の私は違って当然だと言い切っていいものかどうか。日曜日の礼拝にあずかる私たちの姿が、平日のどこにもあらわれないのだとしたら、日曜日と平日を結ぶ一本の線が、ややくたびれているか、もしくはぷっつりと途切れているのかもしれません。月・火・水・木・金・土・平日6日間を忙しい中にあっても、どうにもやる気がでない、力がでないという時であっても、日曜日から日曜日までの見えない糸をぴんと張って、神さまを頼りつつ、迷いの中にあっても祈りながら、隣人を支えながら、隣人に支えられながら歩んでいきたい。そのよりどころをこの礼拝の中で聖書に求めていきたいと思っています。

エレミヤ書を読んでいます。若き預言者、そして預言者の中では長く活躍した預言者。エレミヤは5人の王に仕えたと言われています。5人の王と言っても、2人目と4人目はそれぞれたったの三か月しか在任期間がありません。異様なことです。いくら歴史に疎い私でも、これは尋常ではない、ということが分かります。歴史的な背景をおさらいします。アッシリアからバビロニアの時代へと移りつつありました。バビロニアというのは後にバビロン捕囚、エルサレムの主だった人たちが戦争に負けて捕虜としてバビロニアに連れていかれるのですけれども、それを行うことになる国です。バビロニア、戦争に強く、勢いのある国でした。我らがイスラエルはどうなっていたかというと、すでに北と南に分裂をし、北はすでに滅んでいました。残っているのは、南王国だけです。王国なんていう立派な名前をもっていますが、イスラエルだけで日本の四国ほどの広さです。さらに分裂をしたので、四国の半分ほどの広さしかありません。ですから南王国というのは荒波にもまれる木の葉のようなもので、大国アッシリアの匙加減一つで転覆しかねません。これまで南王国は、アッシリアの顔色をうかがって、せっせと貢物をして生き長らえてきたのです。その頼みの綱であるアッシリアに陰りが見えてきたのです。バビロニアとの戦いでことごとく追いつめられるようになってきました。

その時、エジプトから援軍がやってきます。詳しい経緯はここでは省力しますが、南王国のヨシヤ王はこのエジプト軍に戦いをしかけて戦死してしまいます。指導者を失った南王国は、一気に破滅への道へと転がり落ちていきます。エジプトに負けた南王国は、アッシリアだけでなくてエジプトにも貢物をするために、ますます国民に重い負担を強いて、税金をかけ、人々の暮らしは苦しくなっていきます。国家存亡の危機に直面して、人々が頼ったのは神殿でした。人々は列をなして神殿におしかけて、礼拝にあずかろうとしたのです。そこで語られたのが、今朝のエレミヤの言葉です。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」(2~4節)

聞き間違いではありません。1節にははっきりと「主からエレミヤに臨んだ言葉」とあります。間違いなく神ご自身が、エレミヤを通じて語ったのです。「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ、そして言え。」礼拝もせず、遊びほうけて、神をののしっているような人々にむけて、悔い改めて礼拝しなさい、と言っているのではないのです。救いを求めて、礼拝に集ってきた人々にむかって厳しい言葉を投げかけるのです。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」心のよりどころ、頼みの綱である神殿に頼ろうとする人々に「神殿にすがるな」と語るのです。

エレミヤが厳しい言葉を語ったのは、神から託されて厳しい言葉を語らざるを得なかったのは、理由があります。5節から9節です。寄留の外国人、孤児や寡婦を虐げること。無実の人の血を流すこと。盗み、殺し、姦淫、偽りの誓い、他の神々に従うこと。これらはすべてモーセの時代にさずかって大事にしてきた十戒にしるされている事柄です。守りなさいと命じられてきた十戒を、あなたたちはことごとく破ってきた。それでいながらのうのうと神殿にやってきて、救いだけをかすめとっていこうとしている。この神殿は強盗の巣窟に見えるのか。わたしにはそう見える、と神はお語りになっています。救いを受け取るに値しない生活を送っておきながら、神殿にやってきて救いだけを奪い取っていこうとしている。そのことを神さまは強盗と呼び、神殿のことを強盗の巣窟とおっしゃっている。本来神の名を呼ぶべき神殿が強盗のすみか、たまり場になってしまっているではないか。そしてそのことを引き起こしているのは、神殿を強盗の巣窟にしているのは、日頃は異教の神々に従って、救いだけを奪い取ろうとしてやってくるあなたたちが、神殿を侮辱しているのだ、と語るのです。神は厳しい怒りの言葉を語りつつも、シロの聖所を思い起こすように呼びかけます。12節です。「シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルのゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。」

シロはイスラエル12部族が定着した後に、かつて神さまがご自分の名前を置いた場所。ご自分の名前を呼ぶようにと整えてくださった場所のことです。エジプトでの奴隷生活から救い出されて、40年荒れ野を旅して、ようやく神さまの名前を呼ぶ場所を整えてくださった。神さまが与えてくださった。それなのに、人々は礼拝することを、主の名を呼ぶことを大切にしなかったがゆえに、神はペリシテ人にシロを奪われるままにされました。異邦人によって礼拝の場を荒らされてしまったのです。それと同じように、かつてシロにしたのと同じように、この神殿はあなた達の目の前から奪われる。あなた達はやがて神殿を失うだろう。お前たちをわたしの前から投げ捨てる、というかなり厳しい表現で語られています。神の名を呼ばなかったがゆえに、礼拝が礼拝として守られなかったがゆえに、神ではなく他の神々を拝み、神を退けていたがために、神殿にやってきたにもかかわらず、人々は神から拒絶されてしまいます。これまで神様を求めずに全く正反対のことをしていたのだから、あなた達は救いにはあずかれません。アリとキリギリスのたとえではありませんけれども、種もまかず、水もやらず、手入れもせずにいて、さぁ収穫の時期になったからと言っても収穫するべき実りは育っていないのですから、当然手に入れるべき実りはありません。国の状況がおもわしくなくて、兵役や重い税金ばかり要求されて、南王国の人々は藁にも縋る思いで、神殿にやってきた。勿論ここが礼拝をささげる場所だということはわかりきっています。だから最後の望みを託してやってきたのです。しかしこれまで真逆のことをやってきて、すなわち盗み、殺し、姦淫し、異教の神を拝み、ことごとく神をないがしろにしてきたのですから、本来なら受けるべき救いにはあずかれません、というのは、当然といえば当然の結果なのかもしれません。

後半に出てくる名を置く、名を呼ぶ、という言葉に注目してみます。「かつてわたしはそこにわたしの名を置いた。」とあります。神さまが名を置くという時には、そこを神さまの名前を呼ぶ場所として定めてくださった、ということです。かつてはシロに名を呼ぶ場所を置き、やがてエルサレムに名を呼ぶ場所を置き、それはバビロニアと、ローマ軍と2回にわたって破壊されました。そしてとうとう、長い歴史を経て、私たちは瀬戸のこの地に神の名を呼ぶ場所を与えられました。神の名を呼ぶ、というのは、あまり聞きなれないかもしれませんが、平たく言えば礼拝のことです。いや、自分は神さまを呼んだ覚えはない、と言われるかもしれませんが、この礼拝そのものが神さまを呼ぶことであり、賛美歌がそうであり、祈りがそうです。賛美の中で神の名を呼び、祈りの中で神の名を呼ぶのです。ですから賛美は自分を喜ばせるために歌うのではありませんし、祈りは他人に聞かせるために祈るのでもありません。賛美も祈りも神の名を呼ぶ一つの行為です。自分は歌もあまり得意ではないし、お祈りもあまりしたくないし、説教中はだまって説教を聞いているだけだから神の名を呼んでるつもりはない、と言ってみたところで、説教もやはり神の名を呼ぶことです。説教の中で神との対話があり、慰めを受け、時には疑問をぶつけ、神の前にひれ伏したり、神に全力ですがってみたりするのです。説教の中で私たちは実にさまざまな神との交流があるのです。説教の間は口を開いてしゃべっていないから、私は神の名を呼んではいない、とは言い切れないのです。

先日、石川県金沢市にある北陸学院の学院長を招いて勉強する機会がありました。キリスト教学校において何が礼拝を礼拝たらしめるのか。北陸学院も金城学院も、キリスト者は1~3パーセント。毎年何百人と入ってきて、聖書と賛美歌の違いもわからないような子供たちが何百人もいて、しかし入学式からいきなり礼拝が始まる。果たしてこれが礼拝と言えるのかどうか。しかしそこに二人でも三人でも、み言葉を語り、神を信じ、共に神を見上げる者がいる。その中に右も左もわからないような子供たちをお招きする。そのことにおいて礼拝が成立するのだと。数字の上では招かれる子供たちのほうが圧倒的に多いのでお招きする、という表現はおかしいのかもしれませんが言わんとすることはご理解いただけると思います。そのことは教会の礼拝においても同じだと言えると思います。今日は説教を聞く気分がのらないから、疲れているから、私一人のせいで礼拝の雰囲気を乱している、そんなことはありません。求道者が混じっていたら礼拝にはならない、それもありません。どうやって神の名を呼ぶのか分からないという方であっても、どうも神の名を呼ぶ気持ちになっていないという方であっても、今ここでささげられている礼拝に共にあずかっている。み言葉を語り、神を信じ、共に神を見上げる共同体。共に神の名を呼ぶ共同体に招き入れられている、そのことに意味があります。瀬戸永泉教会の礼拝は、日曜日ごとに神の名を呼び続けている。そこに私たちは繰り返し招かれているのです。

8月の第一日曜日から、月に一回、名古屋市中川区にあります中川ぶどうの木伝道所で説教奉仕をすることになりました。ほんの少し車で走るともう三重県という、愛知県の西のほうにあります。今日はみなさんにこの中川ぶどうの木のことを覚えていただきたいと思いまして、少し分かち合いたいと思います。中川ぶどうの木伝道所の尹先生が今年の6月に辞任をされて、もともと3月で辞任される予定だったのを6月までのばしてくださった、という経緯があるのですが、韓国の方で国にお帰りになりました。次の牧師が決まるまで、とりあえず今年度8月から3月まで、第一日曜日の説教を私が担当することになりました。今回中川ぶどうの木伝道所をお訪ねするのは初めてのことで、自信がなかったので平日に一回下見に行きました。下道で一時間半、高速を使っても一時間ほどかかります。以前は庄内川でしょうか、川の近くにありました。そのころに一度お邪魔したことがあります。ご存じの方は多いと思いますが、あのあたりは川の水位よりも土地が低いところにある。そのようなところに教会がありました。数年前に現在の場所に移転をするのですけれども、その時に教会の名称もがらりと変わりました。以前は津島日光川燈台伝道所という一度聞いただけでは覚えられないような名前でした。この津島日光川燈台伝道所という長たらしい名前には理由があって、いくつかの教会が合併してできたために、おそらくそれぞれの名前をつなぎあわせてできたのではないかと思われます。よく銀行が合併すると、三菱東京UFJのように長たらしい名前になるのですが、おそらく津島日光川燈台伝道所もそうだったのではないか。そして移転する際に、その長い名前をきっぱりと脱ぎ捨てて、中川ぶどうの木という全く新しい名前に代わりました。何故名前を変えたのか、どうしてこの名前になったのかという経緯はお聞きしなかったのですが、場所の移転と同時に名称も変更した、とお聞きしています。

先日礼拝の後に、教会員の手作りの冷やしうどんをいただきながら、教会移転、名称変更あたりの経緯について今私が申し上げたようなことをうかがっていました。その時に私が不思議に思ったのは、以前の教会は、つまり津島日光川の時は便利だったねとか、あそこがよかったね、という話が全くでなかった。現在の中川ぶどうの木は建売住居で、オシャレで今風なんですけど、悪く言うとこじんまりして手狭になった。以前の会堂は古いけど広くて、礼拝も集会もやりやすかったのではないかな、と思ったわけです。何故かというと、住居のリビングに相当する部分で礼拝を守っているのですが、礼拝が終わるといっせいに片付けをして、大きなテーブルを出して、テーブルクロスをひいて、食事の用意を整える。私たちの教会ですとおとなりのCS館にうつって食事、というわけですが、ぶどうの木はそういうわけにはいかない。以前の会堂はもう少し広かったので、そのあたりがもっと便利だったのではないかな?と思ったわけです。ところがそういう話題は全くなく、それどころか、以前の会堂のことはきれいさっぱり忘れているようで、こじんまりとしてオシャレになった教会をとても大切にしている、という印象を受けました。そして、津島日光川伝道所から中川ぶどうの木伝道所という名称変更について、さぞかし色んな議論があったのではないかと思ったのですが、前任牧師である尹先生がこれがいい、とおっしゃたものを、みなさんがすんなりと受け入れた、ということでした。津島という名前を残したい、燈台という名称を入れたい、という議論にはならなかったようです。

この話を聞いた時に私は妙な胸騒ぎを覚えました。と申しますのも、同じことをこの瀬戸永泉教会にあてはめてみた時に、場所や名称が変わるという未来をその時点では全く想像することができなかったからです。数年前、私たちは会堂建築を経験しましたが、例えばその時に地盤に決定的な問題を発見して移転せざるを得ない、という状況が仮にあったとして。瀬戸市内であっても全く別の場所に、姿形も全く異なる、例えば尾張瀬戸駅の向かいぐらいに鉄筋コンクリート3階建ての教会で礼拝をささげる自分たちというのが全く想像できませんでした。また、教会の名称についてですけど、この先そんなことが起こるはずはありませんけれども何か理由があって、瀬戸永泉教会という名称が使えなくなったという状況を仮定して、それなら、たとえばここは住所が杉塚町だから杉塚教会とか、中橋と記念橋の間にあるから中橋記念教会とか、教会の名称が以前と全く違うものに変わった時に、これまた今と同じ信仰を持ち続けることができるだろうか、という不安を感じました。中川ぶどうの木伝道所の方々とお話をしながら、私が心にざわざわと覚えた妙な胸騒ぎは、果たして私は今、ここで神の名を呼ぶ礼拝を守れているのどうか。神の名ではなくて、瀬戸永泉教会という名を呼ぶ礼拝にすりかわってしまっているのではないだろうか、という不安です。このことは歴史の長い教会ほど陥りやすい矛盾かもしれません。神の名を呼ぶのか、教会の名を呼ぶのか。勿論教会はイエス・キリストの体であって、教会が信仰の対象になりうるのですけれども、その時に考えなければならないのは瀬戸永泉教会というこの教会ではなくて、瀬戸永泉教会を含む、カトリックや他の教派の教会も含む、そして世界のいたるところにある教会、さらには時代を超えて、パウロやペトロが仕えていた教会もすべて含む公同の、公の教会です。

神の名を呼ばずに、瀬戸永泉教会の名を呼ぶ信仰になってしまっているのではないだろうか。このことは今後自分自身の課題にしていきたいと思います。しかし、手掛かりが全くないわけではありません。毎回司式者の祈りは個人的な祈りではなくて、公同の、公の祈りがささげられています。若いころは礼拝の祈りがあまりにも長くて正直なところ辟易としていましたが、牧会祈祷は日本や世界で起きている様々なこと、教会に集う兄弟姉妹のこと、何よりも天地万物の造り主である神へと私たちの狭くなりがちな視野を広く高くしてくれます。司式者と共にアーメンと祈る時、私たちの心はこうべを垂れる自分自身とその隣人から地球の裏側の人まで、何千年も昔を振り返ったかと思えば、いまだ到達していない終わりの時まで、どこまでも広がっていきます。そして、交読詩編を読む時、ダビデの時代の、神殿での礼拝を思い起こしつつ、当時の信仰者たちと同じ信仰の喜びに生きることができます。賛美歌はいろんな国、さまざまな時代につくられています。特に54年半からこの賛美歌21に改定される時に、それまで欧米に偏りがちであった賛美歌ではなくて、各国でつくられた賛美歌を入れるということも一つの目標であったようです。まだ行ったこともない国、経験したこともない時代の信仰者たちとともに賛美をし、アーメンと唱えることができるのです。このたった一時間半の時間は、ともすれば自分の教会の名前を拝むだけの身内びいきで終わってしまう危険性もありますけれども、少し目を上げれば神が備えてくださった豊かな交わり、公同の教会の中に身を置くことができるのです。そして礼拝で活力を得た私たちは、その恵みをこぼさないようにしっかりと蓄えて、時にはその恵みを隣人に配り歩きながら、また新しい一週間を歩んで、この場所へと戻ってきます。そして日曜日ごとに公同の教会に連なる喜びを味わい、いにしえのキリスト者と共に、また日本や世界のいたるところに連なるキリスト者と共に、神の名を呼ぶ、公同の礼拝にあずからせていただきたいと思います。

<祈り>ご在天の父なる神さま。心からあなたに礼拝をささげたいと願っています。祈りを忘れ、あなたに背き、しかし主イエスの十字架ゆえにあなたの前にひざまずいて祈る私たちをどうぞ受け入れてください。この一週間、あなたから離れず、再びこの場所へと呼び戻してください。この祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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