4月11日の礼拝の内容です。

礼拝

礼拝説教       マタイ15:29~31「神を賛美しよう」       2021.4.11

 先週は、教会でイースターの礼拝を守ることができました。神に感謝です。そして、新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、教会に集まり、また、それぞれの場所で、神を礼拝することができることを感謝したいと思います。この1週間、希望と喜びと感謝を持って過していきたいと願います。

 イエス様の活動範囲は、イスラエルの人々が住んでいる地域に限られていました。それが、一時的に、異邦人の地ティルスとシドン地方に行かれたのです。それは次への歩みの準備のためでした。イエス様の働きはまずガリラヤ地方でした。次にガリラヤからエルサレムに向けて旅立ちます。そして、エルサレムでの十字架と言うことになります。エルサレムに行き、十字家におつきになるのが活動の最後でした。エルサレムに向かうと言うことは十字架を見ていることでした。ガリラヤからエルサレムに向かう前に、休息の時間、また準備の時が、イエス様には必要だったのです。そして、弟子たちだけと過ごす日々も必要でした。異邦人の地での日々、どのようなことがあったのでしょうか。

 ティルスとシドンでは、カナンの女性との出会いがありました。娘が悪霊に取りつかれてひどく苦しんでいたのです。その女性が、イエス様に助けを求めて来たのです。必死に、イエス様に助けを求める姿があり、イエス様の冷たい態度を見ることがありました。イエス様は、このカナンの女性の求めに対して、自分はイスラエルの家の失われた羊のところしか遣わされてはいない。子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけないと言って、否定しているようでした。しかし、この女性の必死の求めに、イエス様は答えて、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と言って、娘の病気を癒されたのでした。

 マタイは29節で、「イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた」と書いて、すぐに、イスラエルの人々の住んでいる場所に戻ったように書いています。しかし、マルコによる福音書では、7:31に「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカホリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」と書いています。デカホリス地方はまだ異邦人の地です。ガリラヤ湖の東側にあります。まだまだ異邦人の地にイエス様と弟子たちはいたのです。マルコでは、カナンの女性とのこと、耳が聞こえず舌の回らない人の癒しの記事があります。

前に、5千人の給食の記事があり、また後に、4千人の給食の記事があります。5千人の給食の記事の中に、マルコ6:39「青草の上に座らせ」とありますので、この時は春だったようです。4千人の給食の記事の中に、マルコ8:6「地面に座るように」とあり、この時期は真夏だったと言うことなのです。簡単に考えると、約半年間、イエス様と弟子たちは、この異邦人の地にいたと考えられるのです。

 イエス様の公の活動は約3年と言われていますので、その半年の間、イスラエルの人々の土地ではなく、異邦人の土地にいたことになります。それが、今日の聖書の箇所になります。異邦人の土地でイエス様は何を行われていたかです。ガリラヤ湖のほとりに行かれて、山に登って座っておられました。そこには大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来たのです。それは、イエス様がイスラエルの人々の土地で行ったこととまったく同じことです。

マタイ9:35~36

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

 イエス様は、イスラエルの人々のところでは、弱く苦しんでいる者の所に行き、一緒に苦しみ、その苦しみを取り除かれたのでした。これが、イエス様の神の子として歩みでした。それは、イスラエルの人々だけだと思われていました。イエス様ご自身もそのように言われていました。カナンの女性とのやり取りで、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところからしか遣わされていない」「子どもたちのパンを、小犬にやってはいけない」などと、答えています。

 しかし、実際は、カナンの女性の苦しみを取り除かれ、娘の病気を癒されました。そして、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、多くの病人を癒されたのでした。病気や障害のある人たちを、群衆が一緒に連れて来たのです。山の上にいるイエス様の所まで連れて来たのです。異邦人の群衆は、イエス様ならば、必ず、私たちの病気の人や障害を持っている人を癒してくださると信じて、連れて来たのです。この異邦人の土地で、人々は、イエス様の行われた奇跡を見ることができました。自分たちが連れて来た苦しむ人々が次々に癒されていくのです。口の利けない人が話すようになり、体が不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになっていくのです。その様子を見ていて、異邦人の群衆は、イエス様の行う奇跡を見て驚き、イスラエルの神を賛美しています。この後に4千人の給食の奇跡が起こります。この4千人は異邦人なのです。5千人の給食の時のかごは、イスラエルの人々が使っているかごでした。しかし、4千人の給食の時のかごは、異邦人が使っているかごなのです。

 イエス様はイスラエルの人であり、まず神の救いは、イスラエルの人々から始まるのでした。イエス様の働きは、イスラエルの人々だけに起ると考えていましたが、実際は、このように異邦人にも及んでいることが分かります。マタイによる福音書は、イスラエルの人たちに向けて書かれていると言われています。読んでみると、やはり、神の救いは、まだイスラエルの人々だけかと思ってしまいます。しかし、丁寧に読んでみると、イエス様の働きは、異邦人にも及んでいることが分かりました。そして、私たち1人1人に、神の救いは及んでいるのです。感謝です。

祈り 神さま、イエス様の働きが、イスラエルの人々だけではなく、異邦人にも及んでいることを知ることができました。今、ここにいる私たち1人1人にも、神の救いの中にあることを知ります。神の大きな愛を、本当に知ることができますように、教え導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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