11月9日の礼拝の内容です。

礼拝

11月9日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.60.197.412.78.91‣1です。

礼拝説教    使徒19:28~34「アルテミスとの戦い」   2025.11.9

 先週は、聖徒の日(永眠者記念日)の礼拝を多くの方々と行うことができましたことを心から感謝しています。また、午後からは十字ヶ丘復活苑で墓前礼拝を行うこともできました。多くの信仰の先輩方がいたことを改めて確認をすることができました。教会堂の周りに多くの信仰の先輩方の写真がありました。1人1人といろいろな人生を歩まれて、神の御許へと召されて行かれたのです。キリスト教の信仰を持って、キリスト教でといいますか、教会で葬儀を行うこと、いろいろな困難があったのではないかと想像します。私たちはいろいろな宗教の影響下で過ごしています。キリスト教、仏教、神道や他の宗教もあるでしょう。特に、人の死に関わる時に、この宗教との関りが出てきます。本人の信仰もそうですが、家族の宗教というものもあります。人の死に際して、何の宗教で葬儀をするかは大きな問題です。また、葬儀の後に、納骨があります。どのような墓地に入れるかということでもいろいろな課題が出てきます。

 私たちの日常生活と宗教との関りということを話しましたが、それは今日の聖書の箇所に関わってくるのです。パウロの第3回伝道旅行のエフェソでの伝道の様子が書かれてあります。パウロはこのエフェソで約3年間という長い時間をかけて伝道していきました。その時に起った事件です。

 当時のエフェソにはアルテミス信仰というのがありました。アルテミスというのは女神のような存在といっていいかもしれません。母のように人々に豊かな実りを与えてくださる女神です。今から20年ぐらい前に、エフェソに行ったことがあり、アルテミス神殿跡に行ったのです。たった一本の柱しか残っていませんでしたが、当時の神殿の大きさを想像することができました。当時、ここでは多くの人々がアルテミスの神殿に来て礼拝をしていたのでしょう。

 デメトリオという銀細工人が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていたと書いてあります。デメトリオは、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは、手で造ったものなどは神ではないといって、エフェソばかりでなく、アジア州のほとんど全域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている」というのです。更に「このままでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう」と加えます。

 銀細工人デメトリオの訴えは、エフェソの人々が信じている女神アルテミスが、パウロの宣教するイエス・キリストの福音によって、ないがしろにされてしまうということに聞こえてきます。もちろん、エフェソの人々にとって、女神アルテミスへの信仰がなくなってしまうことは大きな脅威に感じられたでしょう。しかし、問題の本質が違うのです。これは銀細工人の仕事がなくなってしまうこと、仕事をなくし、経済的な支えを失うことを背景としています。自分たちの収入のこと、つまり経済的な生活ができなくなる危機を指しています。

 今まで、エフェソの町の人々は女神アルテミスに対する深い思いがありました。そのために壮大なアルテミス神殿が造られ、多くの人々が礼拝や巡礼にやって来たのでしょう。そのために、アルテミス神殿のところで、銀細工人たちは、アルテミス神殿の模型を銀で造り、それで経済的な繁栄を受けていたのです。それが、パウロたちの伝道活動によって、イエス・キリストの福音が宣べ伝えられて、アジア州に住む者は、誰もが神の言葉を聞くようになったのです。また、パウロの手によって目覚ましい奇跡が行われていました。パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気や癒されて、悪霊も出て行くほどでした。パウロの癒しの出来事を知った各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、試しに、パウロが行っていることをまねして、悪霊に取りつかれている人々に向かい、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」というのです。特に、ユダヤ人の祭司長スケワという者の7人の息子たちが、このようにしていました。悪霊たちは、ユダヤ人の祈祷師たちに「イエスのことも知っている。パウロのことも知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」といい返して、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目にあわせたので、彼らは裸にされ、傷つけられ、その家から逃げ出して行きます。

 このことがエフェソに住むすべての人々に知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになりました。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきりと告白していきます。魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てます。その値段を見積もると銀貨5万枚にもなったのです。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していきます。

 このようなキリスト教の影響が強まる中で、銀細工人デメトリオの言葉を聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出していき、町中が混乱してしまいます。町の人々はパウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえて、一団となって野外劇場になだれ込みます。そのことを知ったパウロも群衆の中に入って行こうとしますが、弟子たちはそうさせなかったのです。また、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んでいます。パウロの行動を守っている人々のことが出ています。私たちはパウロの行動だけを見ているような感じですが、実は周りで支えている人々がいかに多くいるのか知るのです。さて、群衆はあれやこれやとわめき立てています。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなくなったとあります。

 その時のことです。ユダヤ人たちは、この騒ぎの原因であるパウロの語るイエス・キリストの福音とは違うことを証明したいと考え、前に押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中で話すように促します。自分たちはパウロたちとは違い、全く関係のないことを証明しようと考えたのです。アレクサンドロは手で制し、群衆に向かって弁明しようとしました。しかし、彼がユダヤ人であることを知った群衆は一斉に「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と2時間ほども叫び続けたとあります。群衆が混乱にある時に、何をいうのも難しい状況であることを知ります。

 エフェソの町の人々にとって、女神アルテミスはずっと崇拝してきた存在でした。やはり、自分たちが大切にしてきたものをないがしろにされることには抵抗があったのでしょう。群衆の怒りが混乱と共に表現されていると感じます。また銀細工人デメトリオにしても、自分たちの商売がうまくいかない状況に腹が立って、このような行動になったのでしょう。

 かつて私も同じような経験をしました。今から50年以上も前に、イエス・キリストと出会い、信仰に入りました。まだ若く、ある意味で、キリスト者になることの意味を十分に理解していなかったと思います。家に帰って親にいったら、理解してもらえませんで、逆にすぐに止めて欲しいといわれました。若気の至りでしょうか。反対されれば、逆に燃えて、やめることをしませんでした。今、この年になって、親の混乱を理解することができるようになりました。私の田舎は、神社を中心に生活そのものが回っていました。その関りから離れることは生きていくことができないということになります。私は高校を出てから、東京に行ってしまったので、その影響から離れ、関係のない生活を送って来ました。親は私の歩みをどのように受け止めていたのでしょうか。悲しい思いをしていたのでしょう。

 皆さんが教会に来て、信仰者として生きることは周りとの戦いがあるのかもしれません。自分の大切にしていることをまず確認をしたいと思います。エフェソの人々が2時間も「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫んでいるように、「イエス・キリストこそ真の救い主」と2時間も叫びことができるでしょうか。それと共に、自分とは違う方のその在り方を尊重して生きていきたいと思います。この瀬戸という地域で生きること、そして、その中でキリスト者として生きていくということ、自分の大切なものを守りながら、違う歩みをしている人々への尊敬を持って歩む者でありたいと願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。エフェソでの出来事を見てきました。イエス・キリストの福音が伝えられていくことの影響を見てきました。エフェソの町の人々が大切にしてきた女神アルテミスを、神への信仰によって、手で造ったものは神ではないとパウロは答えています。その通りですが、エフェソの町の人々の混乱を受け止める感性を持ちたいと思います。神は私たちと共に歩んでくださいます。また、私たちは他の人々とも共に歩んでいるのです。ただ、神の導きを祈っていきたいと思います。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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