2月6日の礼拝の内容です。

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讃美歌は、411(1)449(1)です。教会堂の建築が進んでいます。

礼拝説教       マタイ22:15~22「神の道を教える」    2022.2.6

 新しい1週間が始まります。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることを心から感謝します。神の言葉をいただいて、この1週間も希望と喜びを持って歩んでいきたいと願います。

マタイによる福音書を読んでいます。イエス様はエルサレムに入られました。そして、十字架の時が迫っています。ここでは、イエス様対祭司長や律法学者の対決が起っています。特にファリサイ派の人々が出て来ています。イエス様は祭司長や律法学者が神を信じていると言いながら、実は信じていないと3つのたとえ話を通して語りました。自分たちを批判していると気づいた彼らは、イエス様と捕えようとしましたが、群衆を恐れてやめました。

 それからファリサイ派の人々は出て行くと、どうにかしてイエス様の言葉じりをとらえて、罠にかけようと相談したのです。相談の結果、ヘロデ派の人々と共に、イエス様のところに行って、尋ねさせます。丁寧な言葉で語りかけます。「先生、わたしたちはあなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。」と。ファリサイ派の人々がヘロデ派の人々と一緒になって、イエス様のところに行く。それは、イエス様の言葉じりをとらえて、罠をかけるために行ったのです。

普段、ファリサイ派の人々とヘロデ派の人々は考え方が違って、一緒に行動することはありませんでした。ファリサイ派の人々は、神の教えである律法を守り、実行することにすべてをかけていました。この後で、ローマ帝国への税金を納めることが問題になってきますが、イスラエルの人々は神の民であり、異邦人であるローマ人に税金を納めることに反対していました。逆に、ヘロデ派の人々いうのは、イエス様が誕生された時に登場してきたヘロデ王がいます。ヘロデ大王と言われ、優れた王で、ローマ帝国から信任を受けて、パレスチナ地方を治めることができていました。しかし、ヘロデ大王が死んで、息子が治めるようになったのですが、失敗して、ローマから自治を取り上げられ、ローマ帝国の直轄地になってしまっていました。ヘロデ派の人々は、もう一度、ヘロデ大王の時のような状態に戻りたいと考え、行動していました。ローマ帝国に従い、ローマへの税金も賛成の立場でした。

それが、イエス様をなき者にしようということでは一致して、行動しているのです。ファリサイ派の人々にすれば、イエス様の行動は、律法を破り、神の名を汚す者だと考えていました。ヘロデ派の人々にすれば、イエス様がユダヤ人の王になることは反対でした。立場の違いがあっても、利害の一致することで、同じように行動しています。

そして、彼らは、イエス様に質問して来ます。「ところで、どうお思いでしょうか。お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」と。この問いは、深い問題を抱えていました。当時の、イスラエルの人々の大きな課題だったともいうことができます。イスラエルの人々は、ローマ帝国の支配下にありました。そのような苦難の時にあったのです。そのような状況下で、自分たちは、神から選ばれた民であり、自分たちこそ、世界を支配すべきだと思っていました。しかし、現実はそうではなかったのです。それでも、自分たちを支配するローマ人に対して、強い反感を持っていました。自分たちの税金をローマ人に渡す時にこそ、その屈辱を深く味わう時でした。多くのイスラエルの人々は、そのような思いでいたのです。しかし、ローマ帝国の支配下でよい思いをしていた人々もいました。その中の1つがヘロデ派の人々です。ローマの支配が自分たちの利益につながると思っていました。

そして、彼らのイエス様に対する質問はよくできていて、どちらに答えても、罠にかかってしまうものでした。イエス様がもし、「皇帝に税金を納めるべきだ」と答えれば、ヘロデ派の人々は満足しますが、ファリサイ派の人々は黙っていません。そして多くの群衆も黙っていなかったでしょう。ローマ人に対して、強い反感を持っていたから、神の民が異邦人に従うことがよしとされるはずはないと思っていたからです。逆に「皇帝に税金を納めなくてもよい」といえば、ファリサイ派の人々や多くの群衆を満足させることはできますが、ヘロデ派の人々にすれば、ローマ帝国に従わない、とんでもない存在だと思われてしまいます。さあ、イエス様は何と答えるのでしょうか。

イエス様は彼らの悪意に気づいていわれます。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金を納めるお金を見せなさい。」と。すると、彼らが、デナリオン銀貨を持ってきました。このエルサレムにあっても、ローマの硬貨は満ち溢れていました。そのデナリオン硬貨には、当時のローマ皇帝の肖像が彫られていたのです。ローマ皇帝は、自分が神であるかのように、ローマのお金に、自分の名と肖像を彫らせていました。そして、イエス様は彼らに聞きます。「これは、だれの肖像と銘か」と。彼らは「皇帝のものです」と、答えました。

そして、イエス様はいわれます。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と。彼らはこれを聞いて驚き、イエス様をその場に残して、立ち去ったと書いています。イエス様の答えに驚き、最初の目的であるイエス様の言葉じりをとらえて、罠にかけることができなかったということです。ローマへの税金を納めるべきかどうかという難しい問題に、みごとに答えたということでしょう。

イエス様の言葉である「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という内容は、すべての時代に関わってくる内容です。イエス様の時代のイスラエルの人々は、ローマ帝国の支配の中で生活していました。これは、ローマ帝国の支配下ということですが、一方でローマ帝国の保護のもとで生活しているともいえるのです。そして、一方で、神を信じ、生活しています。

私たちも、日本という国に生きていて、様々な保護の下で生活しています。教会に加わり、信仰生活をしていますが、神に従うということと、日本政府に従うということです。日本という国の保護といった方がいいかもしれません。大きな意味で従うということです。

ローマ13:1.7

人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

黙示録2:10

あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。

 国の支配に対して、従うこと。パウロはローマ13章において、上に立つ権威について、従うべきだと書いています。上に立つ権威は、神に由来しているからだいいます。パウロがこのローマ書を書いた時は、まだローマ帝国が教会に対して、好意的な状況にあったのです。パウロの伝道旅行は、ローマ帝国の保護がなければできませんでした。また、ヨハネの黙示録が書かれた時代は、教会がローマ帝国の迫害下にあった時に書かれたものでした。このように状況下では、ローマ帝国に従うのではなく、神への信仰を守っていくことをいわれています。今の私たちは、このイエス様の問いをどのように受け止め、答えているのでしょうか。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができますことを、心から感謝します。いろいろな時代にあって、あなたを信じ、従っていうことは、どのように受け止めていけばいいのでしょうか。良き知恵とあなたへの信仰を確かなものとしてください。私たちは、とても弱い存在です。私たちが、最後まであなたを信じ歩んでいくことができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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