祈祷会 サムエル記下1:1~16「サウルの死を悲しむダビデ」 2026.1.7
新しい年が始まって最初の祈祷会です。昨年でサムエル記上の学びを終えて、これからサムエル記下の学びをしていきます。サムエル記は、イスラエルに王が誕生する話です。サムエル記上は、イスラエルの最初の王であるサウルのことが書かれてありました。このサムエル記下はダビデのことが書かれてあります。サムエル記上31章で、サウル王の戦死が書かれてあります。イスラエルはペリシテ人との戦いで、敗北をします。その時に、サウル王とその息子たち、ヨナタンの死もありました。サウル王の死ですが、ペリシテ人の射手たちがサウルを見つけ、サウルは射手たちによって深手を負ったのです。サウルは武器を持つ従卒に「お前の剣を持ち、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者に襲われて刺し殺され、なぶりものになりたくない」といいました。従卒は非常に恐れて、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏しました。そのようにしてサウル王は死んだのです。
サムエル記上1章には、サウル王とヨナタンの死を知ったダビデの悲しみが書かれてあります。ダビデはアマレク人を討ってからツィクラグに帰って来ました。2日間過ごしたのです。3日目に、サウルの陣営から1人の男がたどり着きました。衣服は裂け、頭は土をかぶっていました。男はダビデの前に出ると、地に伏して礼をするのです。ダビデはその男に「どこから来たのか」と聞くと、男は「イスラエルの陣営から逃れて参りました」と答えます。ダビデは「状況はどうか、話してくれ」といいますと、男は「兵士は戦場から逃げ去り、多くの兵士が倒れて死にました。サウル王と王子のヨナタンも亡くなられました」と告げます。ダビデは知らせをもたらしたこの若者に尋ねます。「2人の死をどうして知ったのか」と。若者は「わたしはたまたまギルボア山におりました。その時、サウル王は槍にもたれかかっておられましたが、戦車と騎兵が王に迫っていました。王は振り返ってわたしを御覧になり、お呼びになりました。はいと答えると、お前は何者だと尋ねになり、アマレクの者ですと答えると、そばに来て、とどめを刺してくれ。痙攣が起ったが死にきれないといわれました。そこで、おそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思われたからです。頭にかぶっておられた王冠と腕につけておられた腕輪を取って、御主人様に持って参りました。これでございます」と答えました。
サウル王の死に対して、31章の内容と、この1章の男の証言が違っています。どちらが正しいのでしょうか。また、31章のサウルの死では、まだ死にきれなかったということも考えられます。そこに1章の男が来て、サウルの死を手伝うこともできることです。そもそもこのアマレク人の男はどうして、ダビデのもとに来て、サウル王とヨナタンの死を告げようとしたのでしょうか。アマレク人の男はサウル王とダビデが争っていたこと(サウルがダビデの命を狙っていた)ことを知っていて、サウル王の死を告げて、次のイスラエルの王となるダビデに、功績を得るために来たのだと想像することができます。サウル王の死はダビデにとって喜ばしいことだと思っていたのでしょう。でも実際は違っていたのです。
ダビデはサウル王の死を知って深く悲しむのです。ダビデは自分の衣をつかんで引き裂きました。共にいた者も皆それに倣うのです。彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食をしました。あれほどダビデの命を狙っていたサウル王に対して、サウル王の死を喜ぶどころか、深く悲しんでいる。二度もサウルの命を狙うことができたこともありましたが、主が油を注がれた方として尊敬を持っていたのです。サウル王の死、イスラエルの敗北は、ダビデにとって大きな悲しみとなりました。もし、これがサウル王の死をダビデが喜んだとしたら、次のイスラエルの王となることは難しいものとなっていたと思います。
ダビデは知らせをもたらした若者に「お前はどこに出身か」と尋ねました。若者は「わたしは寄留のアマレク人の子です」と答えます。ダビデは「主が油を注がれた方を、恐れもせずに手をかけ、殺害するとは何事か」といいます。そして、ダビデは従者の1人を呼び、「近寄って、この者を討て」と命じます。従者は若者を打ち殺します。ダビデは「お前の流した血は、お前の頭に返る。お前自身の口が、わたしは主が油注がれた方を殺したと証言したからというのです。
この後に、ダビデはサウル王とヨナタンの死を悲しむ哀悼の歌「弓」をサムエル記下1:17~27であります。その内容は次回触れていきたいと考えています。2人の死をダビデは深い悲しみを歌っているいることが分かります。友情を持っていたヨナタンは分かりますが、あれほど命を狙われて苦しんでいたサウル王に対しても、深い悲しみを歌っています。ダビデの深い思いを知ることができます。
私がダビデなら、ヨナタンの死は悲しみますが、サウル王の死は悲しまず、大いに喜んでしまうと思います。やっと命を狙われなくてもすむ、そして、これからは自分の時代がやって来た、これからは自分がイスラエルの王となるのだと考えるでしょう。アマレク人の男の報告に感謝して、多くの御褒美を与えるのではないかと思います。ダビデと自分の違いを感じてしまいます。これからダビデはイスラエルの王としての歩みがスタートしていきます。新約聖書で、イエス様のことを、イスラエルの人々は「ダビデの子」と呼んでいました。その思いも知っていきたいと願います。ダビデ王、どのような歩みとなっていくのでしょうか。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。新しい2026年も、この祈祷会を祝福し、多くの者と共に祈り学び語り合っていくことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


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