9月27日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会    申命記33:18~29「モーセによるイスラエルの祝福」  2023.9.27

 イスラエルの人々はまもなく約束の地に入ろうとしています。目の前には、神が与えてくださる約束の地が広がっています。モーセはずっとイスラエルの人々をエジプトから荒れ野へと導いて来ました。80才から120才までの歩みです。モーセはこのモアブの地でその120年の生涯を閉じようとしています。最後に、モーセはイスラエルの人々に、神の民として歩むことの意味を話してきました。話を終えて、最後に、イスラエルの人々を祝福しています。この申命記33章は、神の人モーセがその生涯を終えるに先立って、イスラエルの人々に与えた祝福の言葉です。前回はその33章の前半を学びました。そこでは、ルベン、ユダ、レビ、ベニヤミン、ヨセフへの祝福の言葉がありました。ここでは、シメオンへの言葉はなかったのでした。特に、レビに対しては、祭司としての祝福の言葉があり、ヨセフに対しては豊かな実りがあることへの祝福のことばがありました。今日の後半の内容は、ゼブルン、イサカル、ガド、ダン、ナフタリ、アシュルへの祝福の言葉があり、最後はイスラエル全体への祝福の言葉で終っています。

・33:18~19、ゼブルンとイサカルへの祝福の言葉

 ここでは喜べという言葉が強調されています。ゼブルンに対しては海に漕ぎ出す時、イサカルへはあなたの天幕の中でとあり、彼らは諸国の民を山に招き、そこで正しい礼拝をささげるといいます。彼らは海の富、砂の隠れた宝を手に入れるとあります。海の幸とは魚などでしょうか。砂に隠れた宝とは金や銀をさすのでしょうか。豊かな実りがあるということでしょう。

・33:20~21、ガドへの祝福の言葉

 神はガドの土地を広げられるとあります。ガドは雌獅子のように待ち伏せ、獲物の腕や頭を引き裂く。彼は自分のために最上のものを選び出したとあります。ガドは、力強く土地を守り、しっかりと安定した生活を送ることができるということでしょう。

・33:22、ダンへの祝福の言葉

 ダンは獅子の子、バシャンの野から躍り出るとあります。ダンもしっかりと自分の土地を守っていくということでしょう。

・33:23、ナフタリへの祝福の言葉

 ナフタリは神の恵みに満ちたり、その祝福に満たされ、湖とその南を手に入れるとあります。ナフタリも神に祝福されて、土地を守り生活していくということです。

・33:24~25、アシュルへの祝福の言葉

 アシュルは子らのうちで最も祝福される。兄弟に愛され、その足に油を浸す。アシュルのかんぬきは鉄と青銅。アシュルの力はとこしえに続くとあります。アシュルには最上の祝福の言葉は語られています。オリーブ油も豊富にあり、鉄と青銅もあることによって、堅固な歩みをすることができるということでしょう。

・33:26~29、イスラエル全体への祝福の言葉

 イスラエルの人々の歩み、出エジプトから荒れ野の旅、そして約束の地と歩みは進んでいきます。振り返ると苦難に満ちた旅でした。神の大きな御手があり、その中での歩みでしたが、イスラエルの人々はその時々で大きな罪を犯し続けて来ました。それでも、神はイスラエルの人々を見捨てることなく、導いてくださったのです。ここでは、その神の愛の素晴らしさをたたえています。エシュルンとはイスラエルという意味です。イスラエルの人々を導く神は素晴らしいお方です。イスラエルを助けるために天を駆け、力に満ちて雲に乗って来られる。神は苦難を避けることができる場所でもあり、その神の御腕がそれを支えてくださるのです。イスラエルの人々は、約束の地で安らかに住み、その泉は枯れることはありません。穀物と新しい酒は豊かにあり、土地も雨が豊かに注いでくださるといいます。イスラエルの人々よ。あなたはいかに幸いなことでしょう。あなたのように神に救われた民があるでしょうか。神はあなたを助ける盾であり、剣が襲う時は神が力となってくださる。いかなる敵も打ち破ることができるといっています。

 モーセはイスラエルへの祝福の言葉で、神のイスラエルへの祝福がいかに素晴らしいものかを、その生涯の最後に、イスラエルの人々に話しています。これこそが、モーセのイスラエルの人々への最後の遺言の言葉です。イスラエルの人々への罪に対する厳しい裁きの面が強調されてきました。でも、その背後には神のイスラエルの人々に対する深い愛と恵みの思いがあふれているのです。そのことを私たち確認していきたいと思います。

1テサロニケ5:16~18

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに臨んでおられることです。

 このみ言葉は、私たちの教会の年間聖句です。私たちの人生はいろいろなことがあり、いつも喜んでいることはできません。絶えず祈ることもできません。どんなことにも感謝することはできないものです。それが悲しいですが、私たちの人生の厳しい現実です。でも、ここでいっていることは、神が、私たちのすべての罪のために、イエス・キリストが十字架についてくださって、すべてのことを解決してくださったのです。その上で、喜ぶことも祈ることも感謝することができるというのです。

祈り 聖書の学びと祈る時と与えてくださり、ありがとうございます。神がイスラエルの人々に対する深い愛を知ることができました。その神の愛は、今の私たち1人1人の上に注がれていることを確認しました。神の愛、イエス・キリストの十字架の愛を忘れることがありませんように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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