祈祷会 レビ記12章「出産に関する規定」 2021.7.21
新しい命が生まれること、それはいつの時代でもうれしいこと、感謝すべきことだと思います。レビ記では、出産に関することをどのように考えていたのでしょうか。
神はアロンに直接に言いました。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れていることを区別すること」(レビ記10:10)神は聖なる方であり、人間は罪を犯し、汚れているのです。罪に汚れている人間が神に近づくためには、人間自身が清くなる必要があったからです。聖と俗、清いものと汚れているものを分けることが必要となってきます。レビ記11章では、清いものと汚れているものに関する規定が書かれてありました。その内容は、食べてよい生き物と食べてはならない生き物が区別されていました。イスラエルの人々はずっとこの規定を守り続けています。それほどに、清いものと汚れているものを分けることは大切なことと考えられていました。
さて、レビ記12章では、出産に関する規定が書かれてあります。女性が妊娠して男の子を産んだ場合、女性は7日間汚れているとされます。8日目には割礼をすることが求められています。女性は出血の汚れが清まるのに33日間を家に留まることになります。その清めの期間が終るまでは、聖なるものに触れたり、聖所にもうでたりすることはできませんでした。女性が妊娠して女の子を産んだ場合、女性は14日間汚れていることになります。出血の汚れが清まるのに必要な66日間、家に留まることになります。
女性が子どもを出産し、清めの期間が完了したら、焼き尽くすささげものとして1歳の雄羊の一匹と家鳩または山鳩一羽を贖罪のささげものとして祭司に渡します。祭司はそれを主のみ前でささげて、産婦のために贖いの儀式を行うと出血の汚れから清められるということです。なお産婦が貧しくて小羊には手が届かない場合には、二羽の山鳩または二羽の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くすささげものとして、もう一羽を贖罪のささげものとします。祭司が産婦のために贖いの儀式を行うと、産婦は清められるということです。
このレビ記12章の出産の規定をみると、子どもの出産が汚れているとなっています。出産を汚れているということを受けとめることが私自身は難しいと思います。子どもの誕生は祝福があっても汚れているということないと思いますが、聖書の流れを確認してみますと、子どもの誕生は、最初は祝福に満ちたものでした。
創世記1:28,31
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上に這う生き物をすべて支配せよ。」神はお造りになったすべてを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
神は人間を創造し、祝福しました。「産めよ、増えよ」とあるように、子どもの誕生は祝福の中にありました。神の天地創造は完全なもので、何の問題もなかったのです。出産が汚れているということはなかったのです。しかし、人間の罪によって、出産は大きく変わっていきました。
創世記3:16
神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する。」
この箇所から、出産は汚れているものになってしまったのです。その流れに、レビ記12章もあるのです。そして、イエス様の誕生の時も、この内容に沿って行われていることが分かります。
ルカ2:22~24
さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
イエス様の両親であったヨセフとマリアは貧しい家庭だったのです。でも、そこに神の子イエス・キリストが生まれたのも大きな意味があるのです。イエス・キリストは神の身分にありながら、自分を無にして、人間と同じになられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、十字架の死に至るまで従順に歩んでくださったのです。
祈り 神よ、レビ記の学びに感謝します。イスラエルの人々が日々の生活をどのように考えて行動して行ったのかを知ることができます。その中で、神と共に歩むことがどのような意味であったのかを知ることができます。そして、イエス・キリストを通して、あなたがしてくださった救いの出来事をしっかりと受け止めていくことができるように導いてください。イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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