12月1日の祈祷会の内容です。

empty highway overlooking mountain under dark skies 祈祷会
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祈祷会      レビ記27章「ささげものについて」    2021.12.1

 祈祷会では、レビ記の学びを続けてきました。本日は、レビ記の最後の章になります。レビ記は、神とイスラエルの人々が結ばれた契約の内容が書かれてあります。前半は、罪を犯し、汚れている人々がいかに、聖なる神に近づくことができるかということで、本来ならば、人自身が神に罪の贖いとして裁かれ、ささげられるはずでした。しかし、それでは終ってしまいますますので、身代わりに身近な家畜をささげることができることになりました。後半は、罪を清められた人が、神と共に歩む時に、どのような歩みがふさわしいかが書かれてあります。前回のレビ記26章では、この神から与えられた契約を守ることによる神からの祝福があり、守らなければ神からの呪いがあるということでした。神はイスラエルの人々が、神の掟や法や律法を守ることができなくても、契約を破ることはしないとあります。

 そして、今日のレビ記27章ですが、ささげものについてのことが書かれてあります。そのささげものについてですが、特別なものです。終身請願や満願のものです。終身請願は、人々が、自分の人生のすべてを神にささげるという誓いです。また満願のささげものは、自分の願いがすべて適い、それに対する自主的なささげものです。つまり、人々の自主的なささげものであるということです。強制的なものではありません。そのささげものですが、年齢的なことや性別で違いがあります。

・レビ記27:1~8、人

①20歳~60歳、男子の場合、聖所のシュケルで銀50シュケル、女子の場合、30シュケル

②5歳~20歳、男子の場合、聖所のシュケルで銀20シュケル、女子の場合、10シュケル

③1ケ月~5歳、男子の場合、聖所のシュケルで銀5シュケル、女子の場合、3シュケル

④60歳以上~、男子の場合は、聖所のシュケルで銀15シュケル、女子の場合、10シュケル

⑤人が貧しい場合、祭司がその人の支払い額を決めます。

・レビ記27:9~13、家畜

主へのささげものとして家畜の場合、すべて聖なるものになります。他の家畜に替えるならば、それも聖なるものになります。もし、それが主にささげることができない汚れた家畜である場合、祭司がそれを判断します。その家畜を買い戻したいと思う時には、その相当額に5分の1を加えて支払うことになります。

・レビ記27:14~15、家屋

自分の家屋を聖なるものとして主にささげる場合は、祭司がそのよしあしを判断します。もし、それを買い戻したい時には、その相当額に5分の1を加えて支払うことになります。

・レビ記27:16~25、土地

先祖伝来の畑の一部を主にささげる場合、そこに蒔かれる種の量に応じて相当額が決められます。1ホメルの大麦の種が蒔かれる土地は、銀50シュケルになります。その畑を売る場合は、ヨベルの年が基準になります。もしささげる人がそれを買い戻そうとするならば、その相当額の銀に5分の1を加えて支払えば、買い戻すことができます。しかし、それを買い戻さず、他人に転売するならば、再び買い戻すことはできなくなります。ヨベルの年が来ると、それは永久に神にささげられた畑と同じになり、祭司のものになります。もし、先祖伝来の畑ではなく、購入した畑を主にささげる場合には、祭司はヨベルの年までの年数によって相当額を決めます。ヨベルの年が来ると、その畑は、この先祖伝来の畑を売った元の所有者に戻ります。

・レビ記27:26~29、ささげることができないもの

家畜の初子は生まれた時から主のものであるから、ささげることができません。また、自分の持ち物の内から永久に主のものとしてささげたものは、買い戻すことができません。

・レビ記27:30~34、10分の1のこと

土地から取れる収穫量の10分の1は、穀物であれ、果実であれ、主のものです。また、牛や羊の群れの10分の1については、僕者の杖の下をくぐる10頭目のものはすべて聖なるものになります。もし、他のものと取り替えるならば、それも聖なるものとなります。

 自主的な神へのささげものについて、見てきました。やはり、人々の心の中から出てくる感謝の思い、それが満ち溢れていることが大切だと思いました。また、ささげものについての10分の1についてですが、私たちの考える献金の1つの目安になっています。ただ、それも強制的なものではなく、それぞれが心から感謝して、ささげることができることが大切です。

マラキ3:10

十分の1の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために、天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。

祈り 神よ。このように祈る時を与えてくださり、感謝します。あなたが、イスラエルの人々との契約の中でしてくださったこと、どのような時も、人々と共にあり、守り導いてくださることに感謝します。私たちも、人生の中で、あなたと共にあることを確信し、信仰を持って歩むことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありばとうございます。(横山厚志)

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