3月30日の祈祷会の内容です。

close up photography of green moss on rock 祈祷会
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祈祷会        民数記13章「約束の地の偵察」       2022.3.30

 エジプトで長い間、奴隷だったイスラエルの人々、モーセによって解放されて、約束の地へと旅立っていくのです。シナイの荒れ野において、神と契約を結び、神の民としての新しい出発をしました。神に祝福されての旅立ちのはずでした。ここからイスラエルの人々のたくさんの罪が出てきます。まず、荒れ野での食べ物への不満です。エジプトで人々は豊かな食生活をしていたようです。そのために、荒れ野ではマナばかり、肉が食べたい、魚が懐かしい、野菜もたべたいなどの多くの不満が満ちていました。そのために神は、人々のために肉であるうずらを与えてくださったのです。次には、モーセの身内である姉ミリアムと兄アロンからの不満が出てきました。神とモーセの特別な関係に不満を持って、どうしてモーセばかり、神は用いられるのだろうか、私たちはモーセの兄弟ではないか、自分たちももっと神に用いられていいはずだというのです。神は姉ミリアムに罰を与えたのでした。

 民数記13~14章は、イスラエルの人々の歩みの中でとても辛い場面になってしまいます。それは、荒れ野の旅が40年間もかかってしまうことになるからです。その原因が、ここには書かれてあります。イスラエルの人々は、約束の地の近くまでやってきました。そこで、神はモーセに、人々から12人の代表者を出して、約束の地を偵察するように命じるのです。実は、申命記1:22には、神からではなくて、イスラエルの人々からの申し出であったことが書かれてあります。

申命記1:22~23

あなたたちはそろってわたしのもとに来て、「まず人を派遣し、その土地を探らせ。我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう」と言った。それは名案だと思われたので、わたしは各部族から一人ずつ、合わせて12人を選び出した。

 イスラエルの人々はいったいどのような思いで、そのような提案をしたのでしょうか。それを神やモーセは了解しているのです。各部族から12人の代表者が選ばれています。民数記1章に出てくる人物とは違います。若い代表者が選ばれたのでしょうか。特にユダ族のカレブ、エフライム族のホシュアは覚えてほしいと思います。後に、ヨシュアに名前が変っていきます。モーセは、12人を約束の地に偵察に派遣するにあたって、細かい指示を与えています。どんな土地か、住民は強いか、人数はどうか、そして、その土地の果物を取ってくるようにいいます。12人は偵察に出かけていきました。約束の地を全部見て回ったと思われます。エシュコルという谷につくと、一房のぶどうのついた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いで来ました。偵察には40日間かかりました。

 40日後に、12人は帰って来ました。パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロン、及びイスラエルの人々の共同体全体に報告をします。そして、その土地の果物を見せました。「私たちは約束の地を見てきました。そこは乳と蜜が流れている所でした。これがそこの果物です。しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、たいそう大きいものでした。」と。人々が強いという言葉に人々は反応したのでしょうか。カレブが人々を静め、モーセに向かって進言します。「断然行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」と。しかし、一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々より強い。」といい、人々の間に、土地についての悪い情報を流しました。「我々が偵察した土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。我々は、自分がいなごのように小さく見えた。」と。

 旧約聖書は、イスラエルの人々の視点で書かれてあります。小さく弱く罪深い人々が、いかに神の民として歩んでいくかが書かれてあります。イスラエルの人々が、約束の地に入ることは、すでに住んでいる人たちを力で追い出して、入っていくことになります。平和をつくるという意味ではどうかと思われます。しかし、神の民イスラエルの人々がどう神に従っていくのかという視点でみることが求められていると思います。

 イスラエルの人々は、エジプトを出て、荒れ野の旅を経て、約束の地に入ることが求められています。カレブとヨシュアは以外の10人の人々は、約束の地に入ることを拒否します。それは、現実的な判断でした。人間的に見れば、強い民が住んでいる土地に入ることは、無謀なことだと思えたのでしょう。この判断は間違っていないと思います。しかし、問題は、神に従うかどうかなのです。神は、イスラエルの人々が、神の命令に従って、行動することが求められているのです。結果的に、人々は入っていくことに反対しました。その結果として、神の裁きとして40日間の偵察の期間が、40年間ということになっていくのです。反対した人々は、この40年間で、荒れ野で死んでしまいます。でも、その子どもたちが約束の地に入っていくことになっていきます。

祈り 神よ。祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々の歩みを見ながら、神を信じて歩んでいくことの意味を考えています。人の判断、冷静な視点、それはとても大切なことと考えます。しかし、それが時には大きな過ちになってしまうことを知りました。神の御心はどこにあるのか、信仰の視点で見ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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