3月23日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会      民数記12章「モーセ、ミリアムとアロン」   2022.3.23

 イスラエルの人々は、エジプトを出て、シナイの荒れ野に来て、そこでモーセを通して、神と契約を結びました。その契約に基づいて、様々な内容のことを決めて、シナイの荒れ野から約束の地に向かって旅立つのでした。祝福に満ちた旅立ちのはずが、人々の不満が満ちていました。エジプトで豊かな食生活を送っていた人々は、荒れ野で飲む水がない、食べる物がないという環境に置かれ、不満が爆発したのです。人々はいいました。「肉が食べたい、野菜が懐かしい、マナばかりだから嫌だ。」と。そのような人々の不満を神は受け止め、肉としてうずらを与えてくださったのです。

 今日の聖書の箇所は、モーセの身内のからの不満が出ています。モーセの両親はレビ人であり、アムラムとヨケベドでした。この二人に、姉ミリアム、兄アロン、そして、モーセが生まれたのです。モーセの誕生の時に、エジプト王の命令の中で、男の子が生まれたら、ナイル川に流すことになっていました。モーセは葦の籠に入れられて、そのような状況になりましたが、エジプトの王女に見つけられ、エジプト人として生きることになりました。その時に、姉のミリアムが手助けしたことがありました。

 ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで批判しました。つまり、イスラエルの人ではなく、異邦人だったということです。モーセはエジプトから、ミディアンの地に逃れて、ミディアンの祭司エトロの娘ツィポラと結婚していました。そのことを批判しているのでしょうか。この時にはツィポラは死んで、新しい妻を迎えていたのでしょうか。はっきりとは分かっていません。ミリアムは、アロンと共に、モーセを批判しているのです。

 ミリアムとアロンは更にいいます。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通して語られるのではないか」と。主は、モーセに対して特別の存在として扱っていました。それは、主が決めたことでした。それに対して、姉ミリアムと兄アロンが批判しているのです。どうして、モーセだけなのか。私たちにもそのようなことがあってもいいのではないかというのです。この時に、モーセは二人の批判を黙って聞いていました。主はこれを聞かれたのです。モーセは、地上の誰にもまさって謙遜だったと書いています。

 主は、3人を幕屋の前に来るようにいいます。3人は幕屋の前に出てきました。主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、いいます。「アロン、ミリアム。聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば、主なるわたしは幻によって自らを示し、夢によって彼に語る。わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。口から口へ、わたしは彼と語り合う。あらわに、なぞによらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか。」と。主は、この二人に対して憤り、去って行かれました。

 聖書は、人間の弱さと罪を、はっきりと語っています。モーセの身内から、それが出ているのです。主が去って行かれてから、ミリアムは重い皮膚病にかかりました。雪のように白くなっていたとあります。アロンはモーセに「わが主よ、どうか、わたしたちが愚かにも犯した罪の罰をわたしたちに負わせないでください。どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出てきた死者のようにしないでください。」と、訴えました。モーセは主に助けを求めて叫びました。「神よ。どうか、彼女を癒してください。」と。

 しかし、主の言葉は厳しいものでした。主はモーセに「父親が彼女の顔を唾したとしても、彼女が7日間、恥じて身を慎むべきではないか。ミリアムを7日間、宿営の外に隔離しなさい。その後、彼女は宿営に戻ることができる」と、いいました。ミリアムはそのように宿営の外に、7日間隔離されました。人々は、ミリアムが戻るまでは出発しませんでした。その後、人々は出発し、パランの荒れ野に宿営しました。

 ミリアムとアロンのモーセに対する不満によって、ミリアムは主からの罰がありました。しかし、アロンへの罰がないのです。その理由が、私には分かりません。モーセがエジプトに行くようにと主が命じた時に、モーセは非常に否定的でした。それに対して、主は、兄アロンをモーセの助け手として導くといいました。アロンにはそのような大切な役割が与えられているのです。でも、聖書を読んでいる限り、アロンはそのような役割を果たしたのだろうかと疑問に思います。出エジプト記32章の金の子牛の事件の時に、アロンが指導的な役割を果たしています。人々の願いがあっても、アロンが厳しく対応していれば、事件は起こらなかったと思います。それなのに、アロンに対する主からの罰はありませんでした。レビ記10章で、アロンの二人の息子が主の火によって焼く殺された事件がありました。アロンに対する神の罰なのでしょうか。

 これから、イスラエルの人々は荒れ野の旅を続けていくことになるのですが、約束の地カナンの近くまで来て、偵察に行くことになります。それが、荒れ野に40年間も放浪することになっていくのです。人間の弱さと罪、そのことがよく聖書には出ています。その人間の罪に、主がどのように対応していくのか、それが聖書の中心的なメッセージになっていきます。

祈り 神よ。祈る時を与えてくださり、ありがとうございました。人の現実とは何かを、よく知ることができる内容でした。人があなたと向き合って生きていく、どうして、このようになってしまうのか、どうして、悲しいものになっていくのでしょうか。それでも、あなたは、人と向き合い、守り導いてくださいます。やがて、イエス・キリストの十字架になっていきます。あなたの御心を知ることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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