2月16日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会    民数記7:66~89「イスラエルの指導者のささげもの③」 2022.2.16

 この民数記7章は、全部で89節あり、とても長いものです。それで3部に分けて、みています。今回は、3回目です。この民数記7章は、幕屋が完成して、モーセが、幕屋とすべての祭具に油を注いで聖別しました。その中で、祭壇に油が注がれる日に、イスラエルの12部族の指導者たちが、祭壇奉献のためのささげものを携えて来ました。この時に、1日1人ずつささげることになるのです。

民数記7:66~83、各指導者のささげもの

第1日目はユダ族のナフション、第2日目はイサカル族のネタンエル、第3日目はゼブルン族のエリアブ、第4日目はルベン族のエルツル、第5日目はシメオン族のシュルミエル、第6日目はガド族のエルヤサフ、第7日目はエフライム族のエリシャマ、第8日目はマナセ族のガムリエル、第9日目はベニヤミン族のアビタンです。今日の内容は、第10日目はダン族のアヒエゼル、第11日目はアシュル族のパグイエル、第12日目はナルタリ族のアヒラです。

各部族の代表者のささげものですが、すべて同じものです。130シュケルの銀の皿1枚、70シュケルの銀の鉢1個、穀物のささげものとして、オリーブ油を混ぜた上等の小麦粉、香をもった10シュケルの金のひしゃく1個、焼き尽くすささげものとして、若い雄牛1頭、雄羊1匹、1歳の雄の小羊1匹、贖罪のささげものとして、雄山羊1匹、和解のささげものとして、雄牛2頭、雄羊5匹、雄山羊5匹、1歳の雄の小羊1匹です。同じささげものをささげていることは、神の前でささげものをする時に、すべての者が平等であることを示しているのです。

民数記7:84~88、ささげものの総計

 祭壇に油を注がれる日に、祭壇奉献のためにイスラエルの指導者のささげたものの総計が書かれてあります。銀の皿12枚、銀の鉢12個、金の柄杓12個。焼き尽くすささげものの動物の総計は、雄牛12頭、雄羊12匹、1歳の雄の小羊12匹。その他に穀物のささげもの。贖罪のささげものの動物の総数は、雄山羊12匹。和解のささげものとしての動物の総数は、雄牛24頭、雄羊60匹、雄山羊60匹、1歳の雄の小羊の60匹です。

民数記7:89、神はモーセに語りかける。

 モーセは、神と語るために幕屋に入りました。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語られる声を聞いたのです。神はモーセに語りかけたのです。幕屋とは、神と人とが出会う場所でした。

出エジプト記25:8~9.22

わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。

 ここには幕屋の役割がはっきりと語られています。幕屋において神はイスラエルの人々の中に住んでくださるのです。

出エジプト記40:34~35

雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。

 幕屋に神の栄光が満ちている時に、モーセは幕屋に入ることができませんでした。幕屋は神が住んでいると考えられていたからです。幕屋を通して、モーセは神と出会うことができるのです。やがて、幕屋から神殿に変っていきます。イスラエルの人々が約束の地に入り、落ち着いた時に、ソロモンが神殿を建てることになりました。幕屋は移動式神殿ということができます。イスラエルの人々が約束の地に定住したので、幕屋に変って神殿になっていきました。列王記上5章~8章にかけて、神殿の建築のことが書かれてあります。ソロモンは神殿が完成した時に、このような献堂の祈りをしています。

列王記上8:27~29

神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。

 このソロモンの神殿の完成の時の献堂の祈りは、神は人が造った建物に住むはずはない。しかし、神ご自身が、神殿において、ここにわたしはいるといってくださった場所です。この神殿を通して、人は神と出会い、祈ることができることを喜んでいます。新約聖書においては、教会を通して、神と出会い、交わっていくのです。(実際には、場所を選ぶことなく、どこでも人は神と出会うことができます。)

祈り 神よ。あなたに祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。あなたは、人があなたと出会う場所として、幕屋や神殿、教会を与えてくださいました。弱い人間のために、そのような出会う場所を用意してくださったのです。私たちは、教会を通して、信仰生活を守り、続けていくことができています。これらの感謝を、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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