12月13日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会    ヨシュア記10:1~21「神に喜んで従うこと」  2023.12.13

 少し前の話ですが、学校に勤めていた時に、劇団四季のアラジンを全校生徒と共に観劇したことがありました。学校行事での芸術鑑賞だったと思います。主人公のアラジンがある日、魔法のランプを発見します。ランプから魔人で出てきて、3つの願いを適えてくれるという物語でした。皆さんは3つの願いはどのようなものでしょうか。このアラジンの物語はアラジンが主人公で魔人が僕として登場して来ます。 しかし、聖書の世界ではそうではありません。神が主人公であり、私たち人間は僕ということになります。旧約聖書に出て来る神とイスラエルの関係は、神が主人公であり、イスラエルが神の僕ということになっています。

 ヨシュア記は、イスラエルの人々が神から示された約束の地に入る話です。イスラエルの人々が約束の地に入るということは、約束の地に住んでいる先住民をすべて滅ぼしてしまうということを意味しています。いわゆる聖戦という考えです。イスラエルの人々にとって神へのささげものがあります。最初に出て来るのが、焼き尽くすささげものです。ささげものである牛や羊などをすべて焼いてしまうということです。これは神への全き献身を表しています。私自身はすべて神のものですという意味です。私は心から神を信じて従って行きますというものです。イスラエルの人々が約束の地に入って来ました。そこには2つの困難が待っていました。ヨルダン川を渡ること、エリコの町への攻撃です。神の力強い導きがあって、その困難を乗り越えて行きました。エリコとアイの町への攻撃も無事に終えることができました。

 これからは本格的な戦いの始まりを意味しています。ヨルダン川西岸に住む王たちがイスラエルの人々がエリコとアイの町の攻撃に成功したことを知ると一致団結して戦いを仕掛けてくることになります。その前に、ギブオン人は賢く立ち回り、ヨシュアの率いるイスラエルの人々と和を結ぶことができました。イスラエルの人々の中にギブオン人が入るこということです。エルサレムの王は周りの4人の王に声をかけます。エリコとアイの町を攻撃して滅ぼしたこと、またギブオン人がイスラエルと和を結び、イスラエルの中に許されたことを聞き、非常に恐れました。ギブオンは大きな町であり、そこの人々は皆、勇士だったというのです。エルサレムの王をはじめとする5人の王とその連合軍はギブオンに向かって陣を敷き、戦いを仕掛けて来ました。

 ギブオンの人々はすぐにギルガルにいるヨシュアに助けを求めています。「あなたの僕から手を引かず、早く上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人のすべての王たちが私たちに向かって集結しています」と。ヨシュアはすぐに行動しました。ヨシュアは兵士全員、すべての勇士を率いてギルガルから出陣していきます。この時に、神はヨシュアに「彼らを恐れてはならない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は1人もいない」と告げるのです。ここで大切なことは、神の言葉といいますか、神からの指示があったということです。

 5人の王たちが、ギブオン人を攻めて来ることですが、いくら助けて欲しいという願いがあったとしても、ヨシュアやイスラエルの人々に助ける義務はなかったと私は考えます。そのまま助けることなく、何もしないでいることもできたはずです。神は約束の地に住むすべての人々を滅ぼせと命じているからです。それにギブオン人は巧妙な手を使ってヨシュアとイスラエルの人々を騙して、協定を結んだからです。それでも、ヨシュアとイスラエルの軍隊はすぐに助けに行くのです。ぞれも全軍を出して行きます。また、神はヨシュアとイスラエルの人々の行動を支持しています。

 ヨシュアはギルガルから夜通し軍を進め、5人の王とその軍隊を急襲しました。ヨシュアは彼らを追撃します。また、神は天から大石を降らせます。その大石というのは雹です。5人の王の軍隊は、その雹に打たれて多くの者が死んでしまいました。それは、イスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かったと書いています。この日に、ヨシュアはイスラエルの人々が見ている前で神を称えて「日よ、とどまれ、ギブオンの上に、月よ,とどまれ、アヤロンの谷に」「日は、とどまり。月は、動きをやめた、民が敵を打ち破るまで」とヤシャルの書(失われた文書)に記されているといいます。日はまる1日、中天にとどまり、急いで傾こうとされなかったとあります。神がこの日のように人の訴えを聞き届かれたことは、後にも先にもなかったというのです。神はイスラエルのために戦われたのであるとあります。

 最初にアラジンの話をしました。誰が主人公で誰が僕かということでしたが、聖書では、神が主人公です。人間は神の僕ということになります。聖書を読んでいて、そのことをしっかりと意識することが大切だと考えます。私たち人間は神の僕だといいましたが、奴隷という意味ではありません。神は私たち1人1人に、自由な意志を与えてくださっています。神は人間をご自身に似せて、かたどって造ってくださいました。私たちはそれぞれの自由な意志を持って、神に従っていくことが求められているのです。そのことを神は何よりも大切にされています。

祷り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神の前で、私たちがいかに生きるのかということを考えて来ました。神は私たち1人1人に自由な意志を与えてくださいました。神はその人間に与えた自由意志によって、神を愛することを求めておられるのです。私たちが心から神を愛して仕えることを求めることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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