2月8日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記7:16~26「神をおそれること」    2023.2.8

 イスラエルの人々は、エジプトで400年以上に渡って奴隷の状態で苦しんでいました。そのイスラエルの人々の苦しみを知った神は、指導者モーセを送り、エジプトからの解放を成し遂げたのです。エジプトを出たイスラエルの人々は、神が与えると誓ってくださった約束の土地に向かって旅を続けて行きます。荒れ野では40年に渡って旅を続けることになってしまいました。ようやく、約束の地を目の前にする所までやってきたのです。そこで、モーセは、まもなく約束の土地に入るイスラエルの人々に、神の民として歩むことの意味を申命記で語っています。

 約束の土地には先に住んでいる7つの民がいます。彼らはイスラエルの人々よりも数が多く力も強いです。その彼らを、イスラエルの人々は追い払い、滅ぼし尽くさなければならないのです。モーセは、ここでどうして神がイスラエルの人々を選び、神の民とされたのかを語ります。それは、多くの民の中から、神の宝の民としてくださいました。神は心を引かれてイスラエルの人々を選ばれたのは、他の民よりも強く数が多かったからではありません。逆に、数が少なく、弱く、罪深いから選んでくださったのです。神の愛のゆえに選ばれたのです。

 約束の土地に入るイスラエルの人々は、ここに住んでいる7つの民を追い出し、滅ぼし尽くさねばならないのですが、その理由は彼らが偶像礼拝を行っているからです。彼らをそのままにしておくと、イスラエルの人々も彼らにならって偶像礼拝に走ってしまう危険性があるからです。イスラエルの人々にとって、偶像礼拝を行う罠になってしまうからです。ただ、7つの民は、イスラエルの人々よりも数が多く、強いのです。当然に、おそれてしまいます。イスラエルの人々が「これらの7つの民は、私たちよりも数が多い。どうして彼らを追い払うことができようか」と考えてしまいますが、モーセは、神がエジプトで行ってくださった数々のしるしと奇跡、力ある御手を伸ばしてくださったことを思い起しなさいといいます。

 振り返ってみますと、民数記13~14章で、同じようなことがありました。エジプトを出たイスラエルの人々は、まもなく約束の土地を目に前にするカデシュ・バルネアまでやって来ました。そこで、人々は12人の先遣隊を起り、これから入るべき約束の土地を偵察していくのです。12人が帰って来ていうことは、「神が私たちに示してくださった土地はとても素晴らしく乳と蜜の流れる土地だ。しかし、そこに住んでいる人々は強く、自分たちは弱く負けてしまうことは明白だ。だから、入るのをやめよう」としたのです。それで、神の怒りにあい、荒れ野を40年間さまようことになってしまいました。この40年は、世代交代を意味し、入ることを拒否した人々は、荒れ野で死に絶えるということです。今は、世代交代し、新しいイスラエルの人々が、約束の土地に入って行くことになっています。同じ過ちを繰り返してはならないということです。

 あの時は、エジプトで神がしてくださった大いなるしるしと奇跡が身近にありました。イスラエルの人々は神が行ってくださった奇跡を目の前にしていたのです。それは、過越し祭として、イスラエルの人々にとって、大切な祭りになっていきました。イスラエルの人々がエジプトで奴隷であった時、人々は弱く、自分たちを解放するために何もできませんでした。神は、エジプトに10の災いを下されました。1つ1つ、自然災害です。一気にではなくゆっくりとエジプトを苦しめていきます。そして、最後の災いが決定的なものになっていきました。死の使いがエジプト中を巡り、エジプト人の家の初めて生まれた子どもが死んでしまうというものでした。イスラエルの家では、子羊の血によって、死の使いは過ぎ越して行き、無事でした。これがきっかけとなって、エジプトを出ることができたのです。エジプトを出たイスラエルの人々は、葦の海を進んで行きました。エジプト軍が後から追いかけてきたのです。恐れおののいているイスラエルの人々、神は大きな御手を使い、目の前の葦の海を2つに分け、乾いた地をつくり、イスラエルの人々はその道を渡ることができました。後から追いかけてきたエジプト軍が来た時には海は元どおりになり、エジプト軍は溺れて全滅してしまいました。

 そのことがあったにも関わらず、最初の人々は、神の起った奇跡やしるしを忘れて、約束の土地を目に前にして、目の前の現実のみを見て、入ることを拒否したのでした。それから、40年後に、新しい世代のイスラエルの人々が、約束の土地を目に前にする所までやって来ました。40年前と同じ状況になっています。モーセは、イスラエルの人々に同じ過ちを犯すことなく、神の御手を信じて、雄々しくなり、約束の土地に入って行くようにいうのです。今や、イスラエルの人々には、神が与えてくださる約束の土地があります。この後、どのように入って行くのでしょうか。

 私たちには、神の国(天の国)が約束されています。その目の前には、私たちの死が待っています。私たちの現実です。さあ、私たちはその死をどのように乗り越えることができるでしょうか。私たちには何もできません。死を前に、私たちは無力です。しかし、神はイエス・キリストを送ってくださり、十字架の死と復活を成し遂げてくださいました。私たちは、このイエス・キリストを信じることによってのみ、神の国に入ることができるのです。神の大きな御手を信じて、歩むことも求められています。

祈り 神よ。祈りと聖書の学びをすることができましたことを、心から感謝します。かつて、あなたがイスラエルの人々にしてくださった大きなしるしと奇跡を知りました。イスラエルの人々は、神の言葉を信じて歩んでいきました。私たちも、イエス・キリストの十字架の死と復活のことを信じて、歩むことができますように守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。神の祝福を祈ります。(横山厚志)

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