祈祷会 レビ記25:1~28「安息の年とヨベルの年」 2021.11.3
レビ記25章は、安息の年とヨベルの年のことが書かれてあります。神の教えとはどのようなものであうのかがよく分かる内容だと思います。まず、安息日についてから考えてみます。律法の中心である十戒では、安息日を守ることがいわれています。
出エジプト20:8~11
安息日を心に留め、これを聖別せよ。 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
申命記5:12~15
安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。
安息日を守ることですが、出エジプト記では、神が6日間働かれて、7日目に休まれたからとあります。申命記では、人々がエジプトで長い間奴隷だったからとあります。内容は違いますが、安息日を守ることは同じです。その流れから、安息の年とヨベルの年が考えられています。
レビ記25:1~7、安息の年
神はモーセを通して、イスラエルの人々に語られます。神が与える土地に入った時に、神のための安息を人々だけはなく、土地にも与えることがいわれています。人々は畑に種を蒔き、収穫します。それが6年間です。次の7年目は、種も蒔かないことになります。人々はその時に、畑に自然に生じた物を食べることになります。土地に全き安息を与えるためです。
レビ記25:8~28、ヨベルの年
安息の年を7回、その7倍、つまり49年目の第7月10日の贖罪日に、角笛を鳴らします。この50年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をします。これがヨベルの年です。ヨベルとは角笛をいう意味です。この年は、種を蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならないのです。人々は野に生じた食べ物を食べるのです。(ヨベルの年は、実際に行われたどうか分からないところもあります。)
ヨベルの年には、おのおのの所有地の返却を受けます。人々が土地を売買する時は、互いに損害を与えないようにします。土地の値段は、ヨベルの年以来の年数を数えて人から買うことになります。その人は残る収穫年数に従って他人に売ります。その年数が多ければ、それだけ土地の値段も高くなり、少なければ、それだけ安くなります。
神は、イスラエルの人々に語ります。あなたたちはわたしの掟を行い、わたしの法を忠実に守りなさいと、そうすれば、この国で平穏に暮らすことができるといいます。土地は実りを生じ、十分に食べ、平穏に暮らすことができるのです。また、あなたがたは「神は、7年目に種を蒔くな、収穫もしてはならないという、私たちはどうして食べていくことができるか」というだろう。しかし、何も心配することはない。わたしは、6年目に祝福を与え、その年には3年分の収穫を与える。9年目に新しい収穫を得るまでは、それに頼ることになる。安心しなさいと神をいわれます。
土地を売る場合、買い戻す権利を放棄してはならないというのです。この土地は本来、神の土地だからです。人々は神の土地に寄留し、滞在者にすぎないからだというのです。人々の中に、貧しくなって土地を売る場合、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならないのです。そういう人がいない場合、ヨベルの年まで待つことになります。ヨベルの年がくれば、土地が手離されるので、自分の所有地の返却を受けることができるようになります。
この安息の年やヨベルの年という考えはとても素晴らしいと思います。貧富の差が生まれても、それがこの年がくればなくなるかからです。この世界でも、そのような考えは広まれば、より平和になり、争いは少なくなるでしょう。
祈り 神よ、共に学び、祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。神の教えは、本当に私たち人間のためにあります。私たちがどう生きれば、幸せで平穏に暮らすことができるかが分かります。どうか、私たちが少しでも神の教えを守り、行っていくことができるように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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