4月9日の礼拝の内容です。

礼拝

4月9日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.325.394.575.91です。

礼拝説教       詩編30:1~13「神はわたしの助け主」    2023.4.9

 イースターおめでとうございます。イエス・キリストの復活を心から喜び祝いましょう。イエス様は、日曜日の朝に墓の中から出て復活されました。このイエス様の復活は、私たちキリスト者にとって特別なことです。ここに神の救いの完成があるからです。イースターの日に、改めて、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味を考えていきたいと思います。

 今日の聖書の箇所は、詩編30編を選ばせていただきました。この詩編30編は、1節に賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。となっています。どのような状況で、この詩編30編がうたわれたのでしょうか。内容を読んでいくと、次のようなことが分かってきます。それは、この詩編の作者は、重い病気になってしまったのです。それも、治ることの難しい病気で、死の危機が迫っている、その中で神への祈りといいますか。命を助けて欲しいと願っているものであり、そして、神への祈りが聞かれて、危機的だった病気は癒され、回復することができたのです。その重い病気に関しての、神のへの祈り、そして讃美が書かれています。

詩編30:3~4

わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを、あなたは癒してくださいました。主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、わたしに命を得させてくださいました。

 詩人は、突然、重い病を負うことになりました。重い病の苦しみの中で、詩人は、神へ、その苦しみを訴えています。苦しみを叫び求めています。神は、詩人の叫びに応えてくださり、病を回復させ、癒してくださったのです。死の前にありながら、墓に入る寸前だったところを、死から墓から引き戻してくださったのです。回復の喜びが、ここではあふれています。

詩編30:6

ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも

喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

 詩人は、突然に重い病を負ってしまった。旧約聖書では、神から、そのような病が与えられるという考えがあります。神の怒りとは、その詩人は突然に重い病になったことを、神の怒りとして受け止めたからです。それでも、神の憐れみによって、命を得させてくださるのが神のみ旨だといっています。突然の思い病のために、泣きながら夜を過ごす人も、朝には喜びの歌として迎えさせてくださる、つまり、病が朝には回復していることをいっています。

詩編30:7~8

平穏なときには、申しました。「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。主よ、あなたが御旨によって、砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると、わたしはたちまち恐怖に陥りました。

 この詩人は、神を信じて生活していたのでしょう。詩人が平穏に暮らしている時は、神が自分を守ってくださるから、自分はとこしえに揺らぐことはないといっていました。しかし、突然の病になって、神の御顔を見ることができず、詩人はたちまち恐怖に陥ってしまったのです。人間というのは、平穏な時は、神の助けを必要としていません。神を信じているといいながらも、神を本当に信じ求めることをしなくなるのです。自分は安心に生きているために、神の助けを必要としないからです。しかし、一度、突然の重い病になってしまうと、自分ではどうすることもできず、神にすがっていくようになるのです。

詩編30:9~11

主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。わたしが死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ、あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。

 突然の重い病になって、この詩人の素晴らしいところは、すぐに神に苦しみを訴えているところです。神にのみに救いがあると確認しているのでしょう。重い病になって、死の苦しみの中で、死にたくない、死にたくないと神に助け求めています。神だけは、この病を癒すことができると確信しているから、このような祈りをすることができるのです。

詩編30:12~13

あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ、とこしえにあなたに感謝をささげます。

 神は詩人の重い病を回復し、癒してくださいました。その喜びを大胆に、神に現わしています。神が火との重い病を癒してくださる。本当に苦しい時に、私たちは神に助け求めるのです。私は今まで、死ぬような重い病になったことはないので、この詩人の苦しみを本当に理解することはできないと思います。先日、ある方の重い病からの回復の話を聞くことができました。経験された言葉はとても重いものでした。回復することのできた喜びがありました。

 今日は、皆様に教会総会資料を配布させていただきました。ここで、自分で書いたことですが、2022年度を振り返ってみて、私たちの教会では1人の兄弟を神のみもとにおくりました。振り返ってみれば、兄弟は突然の病に倒れ、病院に入院することになりました。病のために体が不自由になり、動かすことができなくなりました。意識はしっかりしておられ、しかし、体は自由に動かすこともできない。病のために、自由に話すこともできなくなりました。ずっとこのままの状態でした。どれほどお辛かったと思います。新型コロナウィルス感染症が広まる前は、週に一度は病院を訪ねることができました。しかし、感染が広がり、緊急事態宣言が出され、訪ねることができなくなりました。昨年、夏前に、家族と一緒の条件で、久しぶりに再会することができました。再会の喜びもつかのまに神のみもとに召されてしまいました。回復の祈りは叶いませんでした。それでも、苦しみからの解放ということで受け止めました。

 人は重い病になり、回復できる場合もありますが、そうではない場合もあります。私は牧師として多くの方の葬儀をしてきました。その1人1人の最後を看取りながら、いつか自分の時が来ることを意識しています。私たち1人1人は、今生きています。そして、それぞれの人生を歩んでいます。その人生は一度きりであり、やり直すことができないものです。今日の詩編30編のように、重い病になって、神への祈りによって、奇跡的に回復する場合もあるでしょう。それは本当に感謝なことです。しかし、生きている私たちは、いつかそれぞれの最後を迎える日がやって来ます。その時のための備えが必要だと思います。私たちは生きていますが、実は、生かされているのです。神によって、命を与えられ、生かされているのです。そして、いつか、その命を神に帰さなければならない時がやって来ます。

 その時のために、イエス・キリストの復活はあるのです。イエス・キリストが死から、墓の中から復活してくださった。私たちがイースターを祝うこと、それは、私たち自身の復活を祝うことなのです。

ヨハネ3:16~17

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

 この聖書の言葉があるように、イエス・キリストの十字架の死と復活は、私たちに、永遠の命を与えてくださるものです。人の死はそれでは、終るものではありません。次のステージがあります。神の国、そして、永遠の命です。この神の約束を信じて、これから先の希望を持って歩んで行きましょう。

祈り 神よ。あなたの御子、イエス・キリストの復活日であるイースターを、皆と共に祝うことができましたことを心から感謝します。私たちの復活、私たちに与えられる永遠の命を信じて、それぞれの人生を歩んでいくことができますように、どうぞ、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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