12月24日の聖夜礼拝の内容です。

礼拝

聖夜礼拝        マタイ2:1~11「喜びにあふれて」     2021.12.24

 クリスマスイブを、このように皆様と共にお祝いすることができますことを、心から喜び感謝します。2021年のクリスマス、イエス・キリストの誕生日を心からお祝いしましょう。クリスマスは、イエス・キリストの誕生日です。教会では大切にしている本があります。それは、聖書です。聖書は神から、私たち1人1人への愛のメッセージが書かれてあります。神は、私たち1人1人に最高のプレゼントを与えてくださいました。これ以上にないプレゼントです。それは、神の愛する独り子イエス・キリストを、私たちが住む世界におくってくださったことです。今から2000年以上前の出来事です。

 ユダヤのベツレヘムの家畜小屋で、イエス様はお生まれになりました。そこにはヨセフとマリアがおりました。そこに、天使から呼ばれた羊飼いたち、星に導かれた東方の3人の博士たちがやってまいりました。彼らは、静かに、心から、神の子の誕生をお祝いしたのです。今日は、その3人の博士から、クリスマスのことを考えてみたいと思います。3人の博士たちは、遠く東方からやってきました。場所は、今のイラク方面だと考えられています。そのイラクから、今のイスラエルまで旅をして来たのです。いったい、どのくらいの時間をかけて来ることができたのでしょうか。そして彼らの移動は、夜だけ、それも星が出ている時、彼らを導く星を見つけ探しながらの旅でした。やっとの思いでやって来られたと思います。そして、博士たちは、黄金、乳香、没薬をささげて、礼拝し、自分の国に帰って行きました。

 実は、この3人の東方の博士たちですが、伝説では4人目がいたといわれています。今日は、その4人目の博士の話をさせていただきます。名前はアルタバンといいます。彼も、不思議な星の動きを見て、他の3人と同じように、旅に出ることにしました。その旅は、命がけの旅となるはずでした。星の動きが意味することを見つけるために、出かけていくのです。もしかしたら、二度と自分の国へ、自分の家に帰ることができないかもしれません。それだけの覚悟は必要だったと思います。アルタバンは医者だったといわれています。アルタバンは、今度の旅のために、仕事を捨てて、ある意味で家族も捨てて、しまうことになりました。アルタバンは、救い主の贈り物を準備するために、財産を売り払って、3つの宝石を手に入れます。サッファイア、ルビー、真珠です。

 アルタバンは旅の準備ができましたので、出発します。3人の博士と待ち合わせの場所まで、急ぎます。道の途中で、重い病気で死にかかっている人に出会います。急がなければ間に合わないと思い、一度は無視して通り過ぎましたが、思い直して、戻って、その病人を治療し、看病するのです。少し時間はかかりましたが、その人は回復し、元気になることができました。でも、そのために、すっかり遅くなってしまいました。急いで、待ち合わせの場所に行きましたが、間に合いませんでした。待ち合わせの場所には手紙があって、「しばらく待っていたが、申し訳ない。先に行きます」と書いてありました。アルタバンは仕方がないと思い、1人で旅をしていきます。その時に、サッファイアを売って、ラクダを買いました。ラクダに乗って、旅を続けていくのです。

 やっとの思いで、ユダヤのベツレヘムまでやってきました。とても静かでした。やさしい歌声が聞こえてきます。その声を頼りに、家に入っていきますと、若いお母さんが、赤ちゃんを寝かしつけています。そのお母さんから、イエス様の誕生のことやエジプトに行ったことを聞きました。救い主の誕生には残念ながら、間に合わなかったのです。それでも、救い主の会いたいと思って、旅を続けようとします。

 急に叫び声が起ってきます。女性たちの悲鳴が聞こえてきます。泣き叫び声がしています。何と、ヘロデ王から、ベツレヘムの2歳以下の子どもたちを皆殺しにせよとの命令が出され、兵士たちがやってきます。お母さんは恐怖におびえ、赤ちゃんを抱いて、奥の部屋に隠れます。血まみれの剣を持った兵士たちが、この家までやってきました。アルタバンは隊長に、ルビーを渡すと、「この家には誰もいない」といいます。隊長はルビーをひったくると、「他の家をさがせ」と命令します。1人の赤ちゃんが助かりました。アルタバンはエジプトに行きます。でも、救い主を探し出すことはできませんでした。

 アルタバンは、決して諦めることなく、救い主を探し続けるのです。その間に、病気の人を治したり、困っている人がいたら、助けたりしていきました。そのようなことをずっとやっていて、33年が過ぎていきました。アルタバンを年老いていきました。自分の国に戻ることなく、探し続けたのです。アルタバンは、イエス様の処刑のことを聞きます。アルタバンは思いました。「イエスさまこそ、わたしが探していた救い主だ」と。アルタバンの手には残る1つの真珠がありました。この真珠で、イエス様の処刑を止めることができるかもしれない思い、処刑場に急ぎます。

 すると、道の途中で、若い娘が引きずられていきます。娘は助けを求めています。「お父さんが死んで、お父さんの借金のために奴隷として売られているの、助けてー」と。アルタバンは一瞬迷いましたが、真珠を出して、その娘を助けるのです。すると大きな地震が起こり、アルタバンの頭の上に、屋根瓦が落ちて来て、大けがをしてしまいました。娘がアルタバンを抱き起すとどこからか美しい声が聞こえてきました。

マタイ25:35~36

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。

 その声にアルタバンは答えます。「いいえ、主よ。わたしは33年間、あなたを探し求めましたが、一度もあなたにお会いしたことも、あなたの役にたったこともないのです」と。すると、またあの美しい声が聞こえてきました。

マタイ25:40

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

 アルタバンの顔は笑みに輝き、安らかに息を引き取りました。救い主を探し求めていたアルタバンは、ずっと前から、出会っていました。初めは、瀕死の病人で、2度目は、殺されようとする赤ちゃんの姿で、3度目は、売られていく娘の姿で、です。イエス様にとって、そのような小さな者にしたことは、イエスさま自身にしてくれたことと同じことだといっているのです。

 私たちは今、クリスマスイブの時を過しています。イエス・キリストの誕生日を祝うために、ここに集まっています。クリスマスは、神からの最高のプレゼントです。この以上のプレゼントはありません。私たちは、その神からのプレゼントを、心から感謝して、受け取りましょう。そして、受け取ったら、私たちは感謝の気持ちとして、何を神に何を差し出すのでしょうか。身近にいる、苦しんでいる人に、悩んでいる人に、悲しんでいる人に、何かをすることができるでしょうか。そのような思いを持って、クリスマスイブを過していきたいと思います。

祈り 神よ。クリスマスイブをこのように祝うことができましたことを心から感謝します。あなたは、私たちに最高の贈り物を与えてくださいました。独り子イエス・キリストです。このイエス様によって、私たちは救われ、あなたの御国に行くことができ、永遠の命をいただくことができるのです。本当にありがとうございます。あなたに感謝の思いとして、何かをできるように力を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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