12月24日の礼拝の内容です。

礼拝

12月24日の礼拝の内容です。讃美歌は、263.258.262.27です。

礼拝説教     ルカ2:8~20「羊飼いたちのクリスマス」    2023.12.24

 クリスマス、おめでとうございます。今日はイエス・キリストの誕生日を祝うクリスマスです。2023年のクリスマスです。クリスマスを私たちはどのような思いで迎えるのでしょうか。

 今年のクリスマスは、教会学校で人形劇「迷子の羊」を制作しました。礼拝後の祝会で上演されると思いますが、この人形劇はルカによる福音書をもとにして制作しました。あるところに1人の羊飼いがいました。その羊飼いは100匹の羊を飼っていました。いつものように羊飼いは羊たちを連れて、野原に出かけていきます。おいしい草を食べさせるためです。その中にメーコがいました。メーコは元気がよく、いろいろなことに興味があります。周りには美しい花々がきれいに咲いていました。メーコはその花を見ているうちに迷子になって行きます。途中でウサギなどと出会って楽しく過ごしていました。しかし、あたりはだんだん暗くなっていきました。メーコは心配になってきました。そこにオオカミがやって来てメーコを食べようとします。メーコは逃げたのはいいのですが、崖から落ちてしまいました。崖から落ちたことでケガをして立って歩くことができません。メーコはどうしていいのか分からず泣いてしまいます。

 羊飼いと羊たちは家に帰って行きました。羊飼いはいつものように羊の数を数えます。しかし、一匹足りません。何度数えても一匹足りないのです。メーコがいないことに羊飼いは気づいて、メーコを捜しに行きます。山を越えて、谷を越えて、川を越えて、野原を越えて行きますが、メーコを見つけることができません。メーコ、メーコと大きな声を出しながら探しに行きます。羊飼いの声を聞いたメーコはやっと出る声で「助けて、羊飼いのおじさん」といいます。メーコの声を聞いた羊飼いは、メーコを捜し出します。羊飼いのおじさんはメーコを抱いて、家に帰って行きました。迷子になったメーコは安心して羊飼いのおじさんも腕の中で眠ってしまいました。

 なぜ、ルカによる福音書の迷子の羊の話をしたかといいますと、今日の聖書の箇所は、羊飼いのクリスマスの内容だからです。この物語は、羊飼いの仕事の様子をよく知ることができるからです。今日の聖書の箇所にも、羊飼いの仕事の様子が書かれてあります。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(ルカ2:8)です。羊は生き物ですから、いつも側にいて面倒を見なければなりません。だから、羊飼いは、野宿をするのが当たり前で、それも夜通ししていたのです。考えてみれば、大変な仕事だと思います。イスラエルの人々はずっと羊を飼っていましたから、羊飼いの人々は、そのような羊と共にいる生活をずっとして来たのです。イスラエルの人々にとって羊は大切な家畜でした。生きていくために必要な家畜だったのです。それと羊は神へのささげものとして必要なものでした。このようにイスラエルの人々と羊はとても大切な関係にあったのです。羊を世話する羊飼いは、とても大切な仕事だと思います。

 しかし、イスラエルの人々の中で、羊飼いは軽んじられていたといわれています。どうしてそのようなことになってしまうのでしょうか。神へのささげものとして大切な羊の世話をしているのですから、考えられないことです。羊飼いが軽んじられる理由は、その仕事ゆえにあります。律法は、安息日を守ることを求められています。安息日には仕事をしてはならないとなっています。じゃあ、羊飼いは安息日だからといって、羊を世話しないということができるでしょうか。できないですよね。だから羊飼いは羊のために安息日を守ることはできないのです。でも、羊飼いは安息日を守らないダメな人々だと同じイスラエルの人々からいわれていたのです。矛盾していますが、羊飼いはそのような差別された状況にあったのです。

 クリスマス、イエス様が誕生されました。ローマ皇帝は、ローマ帝国内に住んでいる人々に住民登録の命令を出しました。それは、確実に税金を取るためだったといわれています。イエス様の両親のヨセフとマリアはガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。約120㎞の旅です。マリアはすでに身重になっていました。やっとの思いでベツレヘムに着きました。すでに大勢の人々が移動していて、2人に泊まることできる部屋はありませんでした。2人が泊まった場所は家畜小屋だったのです。そこで、マリアはイエス様を産んだのです。そのイエス様の誕生を、神は天使を遣わして、羊飼いたちを招くのです。ベツレヘムの近くの地方で、羊飼いたちは野宿をしながら、夜通し羊の世話をしていました。すると、神からの天使が近づいて、神の栄光を照らしたので、羊飼いたちは恐れたとあります。

 天使は羊飼いたちにいうのです。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられた大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に眠る乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と。

 すると、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して歌うのです。「いと高きところに栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と。天使たちは去って行きました。突然のことでした。羊飼いたちはいったい何が起ったのかと迷ってしまったでしょう。あれは夢だったと考えて、何も行動しなかったのでしょうか。そうではないのです。すぐに行動に移して行きます。羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合っています。そして急いで行って、ベツレヘムの家畜小屋を見つけることができました。そこには、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てることができました。その光景を見て、羊飼いたちはマリアとヨセフに、天使が告げたことを話したのです。聞いたものは皆、羊飼いの話を不思議に思ったとあります。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめて、賛美しながら帰って行ったのです。

 クリスマスの時には、必ず読まれる聖書の箇所です。教会学校などでもクリスマスページェントで天使が羊飼いたちに、イエス様の誕生を伝えて、羊飼いが羊を連れて、家畜小屋に行き、御子をあがめて讃美することは良く知らせている話です。そもそも神は天使を通じて、羊飼いに、イエス様の誕生を告げたのでしょうか。イスラエルの人々の宗教的な指導者は律法学者たちや祭司長やファリサイ派の人々などです。それらの人々にどうして、伝えなかったのでしょうか。それは、旧約聖書の中で、イスラエルの人々が神に選ばれた理由から分かります。

申命記7:6~7

あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。

 神がイスラエルの人々を選ばれたのは、他の民よりも数が貧弱だったからです。その神の意志によって、イスラエルの人々の中で、軽んじられ差別されていた羊飼いたちが、イエス・キリストの誕生の告知を受ける栄光に預かることができたのです。でも、羊飼いだけがクリスマスを知るということではなく、羊飼いを通して、イスラエルのすべての人々にクリスマスの告知がなされるということです。もっといえば、すべての人々にクリスマスの告知がなされていていくということです。2023年のクリスマス、今、世界中の人々がクリスマスを祝います。神の救いの業が始まっていくのです。イエス・キリストの十字架のへの道が始まるのです。クリスマスを心からお祝いしましょう。

祷り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。クリスマスを皆で祝うことができました。あなたの独り子であるイエス・キリストの誕生日を感謝します。ここに神の救いの業が完成するのです。イエス・キリストの十字架によって、私たちは救われることができたのです。神に感謝し、イエス・キリストの十字架の信仰を、人生の最後まで持つことができますように導いてください。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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