10月3日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、452(1)474(1)です。教会は増築棟の工事が進んでいます。

礼拝説教     マタイ19:23~30「らくだが針の穴を通る」    2021.10.3

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることを感謝します。神のみ言葉を受けて、よりよい1週間の歩みをすることができますようにと祈ります。

 1人の金持ちの青年がいました。その青年は、まじめに、そして一生懸命に仕事もして、ある程度の地位と財産を手に入れました。まだ、若いのに、とても努力家であったのでした。人間的な視点から見れば、理想的な人生を歩んでいたということができると思います。神の前に正しく生きて、一生懸命に働いて、豊かな富を手に入れた。他の人からみれば、その金持ちの青年は、自分の人生に満足して、何の問題もないかのようにみえたでしょう。しかし、青年自身は大きな心の中に不安があったのです。何か満たされることのない思いがあったのです。

その不安を抱えつつ、この金持ちの青年は、イエス様のところに行き、問いかけるのです。「先生、永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいのでしょう」と。イエス様は青年に「もし、永遠の命を得たいのなら、神の掟を守りなさい」と答えます。すると、青年は、イエス様に「どの掟ですか」と問い返します。イエス様は答えます。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」と。そこで、青年は「そういうことはすべて守ってきました。まだ何か欠けているのでしょうか」と答えます。イエス様は「永遠の命を得たいのなら、あなたの持っている財産のすべてを売り払い、貧しい人々に施しなさい。それから、わたしに従いなさい」といいました。青年は、イエス様のこの言葉を聞いて、悲しみながら立ち去ったのです。たくさんの財産をもっていたからです。

 この青年は悲しみながら立ち去ったとなっています。でも、青年は、自分が探していたものを見つけることができたのです。自分が不安に感じていたこと、自分に足りないことです。自分が大切にしている財産を手放すことができないでいることです。この金持ちの青年にとって、イエス様のところに行き、自分の悩みを聞き、その原因を発見でしたことはよかったはずです。おの金持ちの青年のことを考えながら、人間の人生とは何かと思います。真面目に生き、真面目に働き、ある程度の地位と財産を手に入れること、人間として大切なことだと思います。しかし、それでも、人間の悩みは尽きないものです。この青年は、自分の悩みの原因が分かった。きっと、後日に、その問題を解決することができたのだと信じます。

 イエス様は弟子たちにいいました。「はっきりと言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが天の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と。弟子たちや、当時の人々にとって、金持ちになることは神の祝福を受けていることで、大切なことだと考えられていました。この青年の生き方と弟子たちの生き方は同じ方向を目指していたのです。このことは現代の社会でも同じだと思います。それが、金持ちが天の国に入ることは極めて困難なことだと、イエス様は強調されています。

 どうして、金持ちは、天の国に入るのが、極めて困難なことなのでしょうか。お金をたくさん持っている。お金で心が一杯になっている。人間はお金をたくさん持っていることで、お金のことで心が一杯になってしまう、他のことを考える余裕がなくなってしまう。また、もっとお金を欲しいと願うものなのでしょうか。またはお金があることで、満足してしまっているのでしょうか。私自身、金持ちになったことがないので、本当のことは分からないのです。人間は生きるために、お金は必要です。いくらあっても多すぎることはないように感じます。お金のない時の不安は、とても大きいものです。人間が生きるためには、お金が必要です。人生のいろいろな場面で、お金が求められます。イエス様は、お金が悪いと言っているわけではなくて、人間がお金に振り回されてしまう、お金の奴隷になってしまう人間の弱さのことをいっているのです。人間はお金の主人であるべきですが、時には、人間がお金の奴隷になってしまうこともあります。それがいけないとイエス様はいっています。

 人間にとって、お金も大切ですし、それ以上に、天の国に入ることは大切です。そのお金をたくさん持つことによって、天の国に入ることをできなくしてしまう恐れがあることを、イエス様はここで弟子たちに警告しています。弟子たちは、これを聞いて、非常に驚きます。「それでは、誰が天の国に入ることができるでしょうか」といいます。イエス様は弟子たちを見つめて、「それは人間にはできないが、神には何でもできる」といいます。

 人生とは皮肉なものだと思います。人間が幸せに平和に生きるために必要なものを求めていきます。その1つがお金です。何でも言いましたが、生きるために絶対的に必要なものだからです。お金を得るために、一生懸命に努力して生きることは大切なことです。他にも勉強や仕事のこと、人間関係を上手に生きる。それが人生の中でうまくいき、幸せに平和に生きている。今の現実の生活の中で、十分に満足な生活をしている。本当に大切なことです。しかし、その満足感が、天の国を求めなくなってしまいます。その時は必要に感じないからです。

 旧約聖書のヨブ記があります。ヨブは、たくさんの財産を持ち、健康で、家族にも恵まれ、神を畏れて正しく生きていました。それが、突然にいろいろな不幸にあいます。一度にすべての財産を失い、妻以外の10人の子どもを失い、本人は重い病気になってしまうのです。すべてを持っていた人が、一度にすべてを失ったということです。そのような悲しい人生が起るのです。ヨブは、すべてを失ってから、真剣に神と向き合います。時には、神をののしり、悪口を言います。ヨブは、自分に起った大きな災いを、どうして、起ったのかと神に問いかけます。ずっと問い続けて、止めることはしませんでした。大きな悲しみの中で、神と向き合います。これが神への信仰だということです。この物語を読むと、人間は悲しみの中にいなければ、神と真剣に向き合うことができないのだろうかと思います。

 次に、ペトロがイエス様に「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」といいます。ペトロは正直な人だと思います。あまり考えないで、行動してしまうことがあります。ペトロの言っていることは、金持ちの青年の何も変わっていません。自分がイエス様に従ってきた、だから、その見返りとして何をくださいますかといっているのです。イエス様はペトロにやさしく遠回りに答えています。「はっきりと言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、12の座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる。わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者は、その100倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」といいます。

 しかし、最後の言葉があります。「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」と。弟子たちや私たちにとって、人生の中で一番大切なことは、天の国に入り、永遠の命にあずかることです。このことに対して、私たち人間は何もすることができないのです。この点はとても大切なことです。人間の努力で、永遠の命を得ることはできません。では、どうすればいいのかということになります。神が、イエス・キリストにおいて、すべてをしてくださいました。神の子であるイエス・キリストが、私たちの世界に来られて、十字架につかれて死んでくださいました。そして、3日目によみがえってくださったのです。このイエス・キリストの十字架の死と復活が、私たちの罪の赦しになり、天の国に入ること、永遠の命を得ることになるのです。すべては、神が、イエス・キリストにおいてしてくださったのです。これが、すべてです。これを、私たちは、「神さま、ありがとうございます。信じます。」と、いって受け取ればいいのです。

 神の一方的な恵み、イエス・キリストの贖いによって、私たちは救われました。その救いに感謝して、恵みをそのまま受けて、喜んで、イエス様に従っていきたいと思います。神を信じ、従って生きることもまた、神からの恵みです。私たちは、神からの一方的な恵みを、ただ信じて受け止めればいいのです。でも、そのただが、本当は難しいのかもしれません。

祈り 神よ。あなたがしてくださったことに感謝します。今日、与えられたあなたからのみ言葉によって、この1週間も喜びと感謝を持って、歩むことができますように、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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