4月7日の礼拝の内容です。

礼拝

4月7日の礼拝の内容です。讃美歌は、58.194.394.430.91(1)です。

礼拝説教     使徒8:20~25「神さまからのプレゼント」     2024.4.7

 4月最初の日曜日です。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から神に感謝したいと思います。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがより豊かなものとなりますようにと祈ります。振り返ると2023年度が終りました。4月に入りましたので、2024年度になったのです。

 先週も台湾を中心に大きな地震がありました。自然の大きさを改めて感じます。今年の最初に能登半島でも大きな地震がありました。3ケ月が過ぎても、地震の被害がそのまま残っています。3月18日の月曜日に、災害ボランティアとして輪島市に行ってきました。活動をしながら、多くの家々が倒壊していました。輪島朝市の火災現場も見てきました。輪島教会の被害も見てきました。自然災害の前では、人間は本当に無力だと感じました。

 現代は科学万能の時代だともいわれています。生成AIが出てきて、私たちの未来は一体どのようになってしまうのだろうと考えてしまいます。それでも、人間は不安を感じています。大きなビルの中に神棚が設置されてあることがあります。車を運転している人に交通安全のお守りがあります。星占いや風水などのいろいろな情報があります。どんなに科学技術が発展しても、人間には何か不安があり、そのようなものを必要としているのでしょう。

 使徒言行録を読んでいます。今日の箇所はフィリポによるサマリア伝道のことが書かれてあります。そこにシモンという魔術師が出てきます。このシモンは以前から魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人と自称していたとあります。それで、小さい者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」といって注目されていたとなっています。サマリアの人々がシモンに注目していたのは、長い間その魔術に心を奪われていたからだと説明しています。どのような魔術だったのでしょうか。おそらく、病気を癒したり、傷を治したり、人々の前で不思議な現象を見せていたのでしょう。そのサマリアの町にフィリポがやって来たのです。ここにはフィリポの行った不思議な業が書かれてあります。フィリポはサマリアの町に入って、人々にキリストを宣べ伝えていきました。人々はフィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入っています。実際に、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人も癒していったのです。このフィリポの働きに人々を大変喜んでいます。

 魔術師シモンにしてみれば、フィリポの行う魔術が自分のよりもすごいのでびっくりして、どうしてこのようなことができるのかを思い、フィリポに近づいていきます。フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせると多くの人々が信じ、洗礼を受けていきます。シモン自身もその流れで信じて洗礼を受けています。シモンはいつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いています。シモンには自分もフィリポのような力がぜひ欲しいと思っていたのでしょう。そこにエルサレムからペトロとヨハネが来たのです。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、人々は聖霊を受けるのです。人々が聖霊を受けたことは実際に目に見える形だったのでしょう。人々は預言状態になったのだと思います。

 魔術師シモンは、フィリポの働きにびっくりし、更にペトロとヨハネの働きも、よりびっくりしたのでしょう。シモンはペトロたちが手を置くことで聖霊を与えるのを見て、自分もそれができるようになりたいと思ったのでしょう。すぐに行動して行きます。魔術師シモンはお金を持ってきて、ペトロたちに「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにその力を授けてください」といっています。

 そして、ここからが今日の聖書の箇所に入っていきます。するとペトロはとても厳しい言葉を語っていきます。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何の関りもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような思いでも、赦していただけるかもしれない。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている」(20~23)と。

 魔術師シモンが、フィリポやペトロとヨハネの働きを見て、自分にもそのような力が欲しいと思い、お金を持ってきて、その力をお金で買おうとした結果、このようにペトロの厳しい言葉となっています。シモンが持ってきたお金を指して、「このお金は、お前と一緒に滅ぼしてしまうがよい」といっています。問題は、シモンが聖霊を与える力をお金で買えると思っているところです。お金の誘惑といいますか。お金があれば何でもできると考えていることに対して、強い批判が出ているのです。しかし、よく読んでみると、ここには回復の部分があることが分かります。自分の悪事を悔い改め、主に祈れといっています。そうすれば赦していただけるかもしれないとペトロはいっています。

 シモンはペトロに「あなたのおっしゃったことが何一つわたしの身に起らないように、主に祈ってください」といっています。この後、どのようになっていたのか書いていませんので、わかりませんが、よい展開になっていったと思いたいです。この後、ペトロとヨハネはサマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰っていったとなっています。

 ペトロが魔術師シモンに、このように強い言葉を語った背景には、自分の犯した過ちがあったからだと私は考えます。かつてのことです。イエス様がガリラヤからエルサレムに行こうとした時に、ペトロたちに尋ねました。「あなたがたはわたしを何者だというのか」と。その時に、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答え、イエス様に喜ばれています。しかし、その後で、すぐにイエス様はペトロたちに受難予告を語ったのです。するとペトロは、イエス様をわきにお連れして「主よ、とんでもないことです。そのようなことあってはなりません」といさめ始めました。イエス様は振り向いてペトロに「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔する者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と激しくいわれたのです。(マタイ16章)

 次に、最後の晩餐の後で、イエス様が弟子たちに「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」といいますと、ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」といいます。イエス様は「はっきりといっておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないというだろう」と答えます。ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどと決して申しません」といっています。その後で、イエス様は逮捕され、大祭司の庭に連行されて行きます。ペトロもイエス様の後を追って行きます。その大祭司の庭で、三度、イエス様のことを知らないといってしまったのです。すると、すぐに鶏が鳴きました。ペトロは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」といわれたイエス様の言葉を思い出して、外に出て激しく泣いているのです。(マタイ26章)

 先週はイースターの礼拝を守りました。その礼拝の中で、1人の若い兄弟の洗礼式がありました。教会にとって、私たちにとって、本当に大きな喜びです。

 ここで、魔術師シモンやペトロのことを考えます。自分も神からの力である聖霊を授ける力があればと考えたことがあります。瀬戸永泉教会に多くの人々が来て、多くの人々がイエス・キリストを信じて、洗礼を受ける、そのようなことが起きればなあと思うことがあります。でも、そのことは大きな間違いです。聖霊は神から贈りものです。聖霊は、聖霊ご自身が働かられるのです。1人の若い兄弟にも聖霊は働いてくださいました。私たちの力ではなく、神の力、聖霊の御自身の働きによるのです。私たちはその聖霊の働きに仕える者です。私たちには聖霊が働き安くする奉仕が求められています。聖霊の働きは、神からのプレゼントです。

祈り 神よ。2024年度の歩みをスタートすることができましたことを心から感謝します。魔術師シモンから聖霊の働きについて考えて来ました。聖霊の働きによって、人々をイエス・キリストの救いを信じることができるのです。それは人間ができることではなくて、あなたご自身が働かれることです。私たちは聖霊の働きを邪魔することなく、働くことができますように、私たちの歩みを守り導いてください。聖霊の働きがより豊かに働くことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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