1月18日の礼拝の内容です。

scenic view of lake in forest 礼拝
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1月18日の礼拝の内容です。讃美歌は、368.394.434.471.24です。

礼拝説教      使徒20:32~38「神とその恵みの言葉」     2026.1.18

 1月11日に瀬戸市では、各地で成人式が行われたようです。実は、次の日の中日新聞でそのことを私は知ったのです。月曜日は雪でしたので、成人を迎えた方は良かったなあと思いました。成人された方々は、新しい人生の門出のスタートをされたと思います。皆様の身近なところで、成人を迎えられた方がいた方もおられるでしょう。

それとは違った成人式が、瀬戸市でありました。1月16日に、瀬戸少年院で二十歳の集いが行われました。私は教誨師をしている関係で、毎年出席しています。今年は18名の方がその日を迎えました。式の中で、院生の誓いの言葉というのがあるのです。その保護者の方も出席できる方は出ておられました。院生の誓いの言葉を聞きながら、私は涙が止まりませんでした。自分の犯した過ちを見つめながら、これから更生の道を歩んで行こうとする決意が語られています。ある院生は、自分が逮捕された時に、母親に「もう親子の縁を切る」と宣言したそうです。それから母親とは会っていないといいます。他の院生は、目の前にいる父親や母親に、迷惑かけてばかりでごめんさないといい、でも、お父さん、お母さん、僕はあなたの子どもで生まれて本当に良かったと涙を流しながらいっています。でも、先の院生は、この場所には来ていない母親に向かって、本当は来て欲しかった。そして、成人をおめでとうといって欲しかったと涙ながらにいうのです。18名のいろいろな人生があります。少年院で成人式を迎えることの意味を深く考えさせられました。18名の院生の誓った言葉が実現することができますように、神に祈りました。

 当たり前のことですが、人はいろいろな人生があります。40人いれば、40人の人生があります。違った人生です。生まれた場所や生まれた環境で、いろいろな重荷を背負って歩まなければならないこともあります。私は瀬戸少年院で教誨師をしています。もう7年になりました。これまで6人の少年たちと毎月1回、約1時間ですが、話し合う時を持っています。少年たちの犯した過ちのことを聞くこともありますが、それ以上に、自分の犯した罪を向き合い、どうしたら、更生することができるのかを真剣に考え悩み、取り組んでいます。私は瀬戸永泉教会に来て、この瀬戸少年院の教会師をすることができていることを深く感謝しています。若い少年たちの声を直接に聞く機会が与えられているからです。逆に、自分のしていることは少年たちに役に立っているのだろうかと自問自答を続けています。

 使徒言行録を読んでいます。今日の聖書の箇所は、パウロの第3回伝道旅行のミレトスでエフェソの教会の長老たちと会い、別れを告げいている場面です。ここを3回に渡って話していますが、今日はその3回目になります。パウロはエフェソの教会に3年間滞在して、一生懸命に伝道して来ました。3年間の間にいろいろな問題が起って来ました。それを乗り越えて歩んで来たのです。パウロには今後の計画がありました。3回に渡る伝道旅行の中で、各地の伝道地で、献金のお願いをしていました。それは貧しいエルサレムにある教会のための献金でした。集まった献金を直接、エルサレムの教会に届けたいと考えていたのです。その後、ローマに行き、イスラニアへの伝道と働きを進めて行くことにしていたのです。そのような意味で、パウロは旅の歩みを急いでいました。五旬節にはエルサレムに行きたいと願っていたのです。エフェソの教会の長老たちをミレトスまで呼んで、最後の言葉を語っています。

 それは、エフェソの教会をパウロの手からエフェソの教会の長老たちの手に渡すことです。最初にパウロは、エフェソの教会の長老たちに、今、あなたがたが皆もう2度とわたしの顔を見ることがないと分かっていますと告げます。それは、これからパウロはエルサレムに行くのですが、投獄と苦難が自分に待ち受けていることが分かっているからだと答えています。パウロは、神のご計画をすべて、ひるむことなく伝えて来ました。パウロは長老たちに、聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのですといいます。

 そして、パウロがエフェソの教会を去った後で、起ることを予言しています。まず、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが起るということです。また、エフェソの教会の中からも、あなたがた自身の中からも邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。その時には、パウロが3年間、あなたがた1人1人に夜も昼も涙を流しながら教えて来たことを思い起こして、目を覚ましていなさいと伝えています。

 そして、今日の聖書の箇所になります。エフェソの教会の歩みについて、様々な不安や恐れが考えられます。そのためにこそ、長老たちが神によって選ばれたのだといって、丁寧に対応するようにいうのです。しかし、それでも不安は残るのです。そして、ここからパウロはとても大切なことをいっています。

使徒20:23

そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。

 パウロは、今後のエフェソの教会の歩みのために長老たちにゆだねています。その上で、神とその恵みの言葉にゆだねています。神の導きを信じています。聖書の言葉が、教会の歩みを支え守っていくのです。このパウロの言葉は、すべての教会の歩みにあてはまるものです。

 パウロは長老たちに、自分の歩みについてもう一度語っています。自分は他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがたも知っているとおり、自分は自らの手で、自分の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いてきたことをいいます。そして、あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように願っていることを伝えています。イエス様が受けるよりも与える方が幸いだといっていることを加えています。パウロ自身がそのように生きて来たことを繰り返し強調しています。自分はいつも身をもって示して来ましたといいます。このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈るのです。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻しています。特に、自分の顔をもう2度と見ることはあるまいとパウロがいったので、非常に悲しんでいます。人々はパウロを船まで見送りに行きました。

 パウロは、エフェソの教会の長老たちに、教会の歩みを神とその恵みの言葉にゆだねるといいました。最初に、瀬戸少年院の20歳を迎えた18名の話をしました。その1人の1人の歩みを、神とその恵みの言葉にゆだねていきたいと思います。神は私たち1人1人を造ってくださいました。あの18名も同じです。彼らも神によって造られた1人1人です。神の守りの中で歩み、いつの日か、教会に導かれ、神と出会い、神の言葉を聞き、有意義な意義ある人生を歩みことができますように、心から祈るのです。

 私たちの教会は、新しい年度の歩みを考える時期になりました。1月の長老会で、次年度の計画や予算について話し合いました。特に、次年度の予算については、様々な困難が予想されます。これは私たちの教会だけではなく、日本基督教団の教会全体の問題でもあります。教会員の高齢化、礼拝出席者の減少、若者が少ない、教会学校の停滞、それと連動するように教会会計の減少が起っています。教会の歩みを大きく展開していく流れではなく、どのように礼拝出席の減少、教会予算の減少をどのように向き合えばいいのかと課題を向き合っています。今後、2月の長老会で検討し、2月22日の臨時教会総会で、教会予算の決議を行います。どうか、長老会のために祈っていただきたいと思います。

 そして、いろいろな課題がありながらも、パウロがここでいっているように、私たちにはいつも希望があります。それは神とその恵みの言葉があるということです。どのような時でも、神はおられます。神は私たちを導いてくださいます。私たちには神の言葉としての聖書があります。最後に、私たちには、この神とその恵みの言葉があることに信頼して、希望を持って歩んでいきたいと思います。

祈り 神よ。あなたをこのように皆と共に礼拝することができましたことを心から感謝します。あなたは私たち1人1人の歩みを支え守り導いてくださいます。そして、私たちの教会の歩みの守り支えてくださいます。私たち1人1人が、あなたとあなたの恵みの言葉を信仰の中心として歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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