祈祷会 ヨシュア記24:1~18「わたしたちは主に仕えます」 2024.4.24
ヨシュア記も最後の24章となりました。少し長いのでこの24章を2つに分けてみていきたいと思います。ヨシュア記の内容はイスラエルの人々が神から示された約束の土地を得ることと、その土地に部族ごとに住むことが書かれてあります。この24章までに、そのすべてのことが完了してきました。前の23章では、ヨシュアの告別の言葉がありました。その内容は、神はイスラエルをここまで強い御手を持って導いてくださった。だから、あなたがたは神の教えを守ることが何より大切だといいます。特に先住民と交わることの警告をしています。先住民と交わることは彼らの信じている偶像を拝むことになるというのです。神を捨てることになるからです。
そして、24章になります。ヨシュアはイスラエルの全部族をシケムに集めています。イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び集めます。ここで、ヨシュアは神の言葉を伝えます。その内容はイスラエルの歴史です。イスラエルの人々をいかに神が守り導いてくださったのかをいっています。まずはアブラハムです。アブラハムは昔、ユーフラテス川の向こう側に住み、他の神々を拝んでいたとあります。アブラハムは最初、イスラエルの神ではなく、偶像を拝んでいたという理解です。そのアブラハムを神は連れ出して、カナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えてくださいました。アブラハムからイサクへ、ヤコブへとつながっていきます。ヤコブとその子どもたちはエジプトに下って行きます。
次は出エジプトと荒れ野の旅です。神はモーセとアロンを遣わして、エジプトに災いをくだしました。イスラエルの人々の解放のためにです。出エジプトでは、葦の海の奇跡がいわれています。イスラエルの人々がエジプトを出た後、すぐに葦の海での出来事です。エジプト軍は戦車と騎兵を差し向け、後を追って来ました。人々が主に助けを求めて叫ぶと、主はエジプト軍との間を暗闇で隔てて、海を彼らに襲いかからせて覆われました。エジプト軍は全滅してしまったのです。それから、人々は長い間、荒れ野にいることになります。ヨルダン川の東側のアモリ人と戦い勝利し、その国を得ることができました。その後、モアブの王バラクが立ちはだかりました。バラクはバラムを呼び寄せてイスラエルの人々を呪うようにいいました。しかし、主が働いてくださり、バラムは呪いではなく、祝福を与えたのです。
イスラエルの人々が、ヨルダン川を渡りエリコに着いた時、エリコをはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人などが戦いを挑んで来ましたが、勝利することができました。神は恐怖を先に示し、剣によらず、弓によらず、アモリ人の2人の王を追い払ってくださいました。ここではもちろん、イスラエルの人々の働きもあったのですが、それ以上に、神の導きを強調しています。神は更に、人々が労せず、得た土地、自分で建てたのではない町を与えてくださった。人々はそこに住み、自分たちが植えたのではないぶどう畑とオリーブ油の果実を食べることができているといいます。神の救いを褒め称えていこうというものです。
そのイスラエルの歴史を振り返りながら、神がいかに守って来てくださったのかを確認をして、だから、あなたたちは主を畏れ、真心を込めて真実を持って、主に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさいといいます。ここでヨシュアは、イスラエルの人々に一方的に従いなさいとはいいません。逆に問うています。従うこともできる、従わないこともできるといいます。その結果として、その責任は自分のところに返ってくるということも忘れていません。自分で選びなさいというのです。向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人での神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさいと強調していいます。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えますとヨシュアは答えています。
イスラエルの人々はヨシュアに答えています。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。主は、わたしたちの先祖を、奴隷とされていたエジプトの国から導き上り、目の前で数々の大きな奇跡を行ってくださった。また、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。主はまた、この土地に住んでいたすべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」と。
このイスラエルの人々の神への信仰の応答を聞いてヨシュアは何を思ったのでしょうか。本当に、イスラエルの人々のいったとおりになればいいのになあと思います。神の導きを知り、神から離れることなく、ずっと信じて従って行こうとするその流れを大切にしていって欲しいと心から願うのです。しかし、ヨシュアの反応は冷たいものでした。ヨシュアはしかし、人々に「あなたたちは主に仕えることができないであろう」(19節)と答えています。振り返れば、いかにイスラエルの人々は、神に従うことをせずに、逆らい続けて来ました。何度も何度もです。これでもか、これでもかと罪を犯し続けてしまうのです。悲しいイスラエルの歴史がそのことを証明しています。このような神に対して、敵対するイスラエルの人々を、神は見捨ててしまうのかと思うのですが、決してそのようにはしません。関り続けるのです。導こうとされるのです。それが、旧約聖書の神の救いです。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時をありがとうございました。ヨシュアはイスラエルの人々に聞いています。「神はあなたがたを守り導いてくださった。でも、あなたがたには選択の自由がある。神を信じる道と神を信じない道である。あなたがたはその両方を選ぶ権利がある。今日、自分で選びなさい。」と。人々は「わたしたちは主に仕えます」と応答しています。この人々の応答が真実であるようにと願うのですが、難しい現実を知っています。神はそれでもイスラエルの人々を愛し、導こうとされています。この神の思いを、私たちは少しでも理解をすることができますようにと願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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