祈祷会 民数記36章「相続人が女性である場合の規定」 2022.11.9
民数記も最後の36章となりました。内容が「相続人が女性である場合の規定」と、新共同訳聖書ではなっています。そのまま表題とさせていただきました。エジプトを出たイスラエルの人々が約束の地カナンを目指しての荒れ野の旅が始まりました。たくさんの困難を乗り越えて、今や約束の地を目の前にするまでやってきました。荒れ野の旅はイスラエルの人々の罪によって40年間の歩みをすることになりました。荒れ野の40年でした。約束の地を目の前にして、神はモーセを通して、イスラエルの人々に神の民として歩むための準備をしています。約束の地に入ることは、先住民を戦いによって追い出し、そこに定住することを意味しています。戦う準備のために、12部族の20才以上の男子の数を数えました。兵士の数になります。その人数が、約束の土地の広さに影響してきます。数が多ければ多くの土地を得ることができ、少なければ少ない土地になります。その土地は、基本的にくじ引きによって決められることになっていました。また、レビ人の土地のことや逃れの町のことがいわれています。
土地は20才以上の男子の数で決まるといいました。しかし、民数記27章の前半で、12部族の中で、男子の相続する者がいない場合のことがいわれていました。マネセ族の子孫にあたるツェロフハドの娘たちです。名前が、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァです。彼女たちは、自分たちには相続人として男子がいない、そうすると自分たちには嗣業の土地が与えられないことになる、それは不公平ではないですかと申し出ています。彼女たちの申し出に、神はモーセを通して、彼女たちの申し出は正しい、あなたがたは、必ず娘たちに、その父の兄弟たちと同じように、嗣業としての所有地を与えなければならないとしました。娘たちにその父の嗣業の土地を渡すことになりました。しかし、そのことが新しい問題を提示することになったのです。
それが、この民数記36章です。マナセの子孫の家長たちは進み出て、モーセとイスラエルの人々の家長に訴えます。「神はくじにより、土地を嗣業の土地としてイスラエルの人々に与えるように命じました。神は、私たちの親族ツェロフハドの娘たちに与えるように命じられました。もし、その娘たちが他の部族のイスラエル人の誰かと結婚することになりますと、娘たちの嗣業の土地は私たちの先祖の嗣業の土地から削られ、嫁いだ先の部族の嗣業の土地に加えられることになります」と。また「ヨベルの年が訪れると、娘たちの嗣業の土地は嫁いだ先の部族の嗣業の土地に加えられ、その土地は二度と、戻ってきません」というのです。レビ記25:23~28にはヨベルの年のことが書かれてあり、土地を取り戻すことができるとなっていますが、しかし、結婚した女性の場合は適応されず、女性が結婚した男性の土地になってしまうというのです。
そこで、神はモーセを通して、「マナセの子孫の部族のいうことはもっともである、ツェロフハドの娘たちについて、こうしなさい。娘たちは自分の気に入ってくれた人と結婚してよい。ただ、父方の部族の一族の者とだけ結婚できる」といいました。確かに、このようにすると部族内結婚ですので、土地は他の部族に移ることはないわけです。イスラエルの人々の嗣業の土地が1つの部族から他の部族に移ることはありません。イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守っていかなければならないのです。イスラエルの人々の諸部族の中で、嗣業の土地を相続している女性は誰でも、父方の部族の一族の男性と結婚しなければならないことになりました。そうすることによって、イスラエルの人々は、父祖以来の嗣業の土地を固く守ることができるようになるのです。
ツェロフハド家の娘たちは、神がモーセに命じられたとおりにしました。彼女たちは、おじの息子たちと結婚したのです。彼女たちがマナセの子孫の男性と結婚したので、その嗣業の土地は、父の一族の属する部族に残ることができたのです。以上で、民数記は終りますが、これらはエリコに近いヨルダン川の対岸にあたるモアブの平野で、神がモーセを通してイスラエルの人々に命じられた命令と法になります。
まもなく、イスラエルの人々は、ヨシュアに導かれて、約束の地に入ることになります。いろいろな困難なことがあります。ダビデによって、イスラエル国家が建てられます。ダビデ、ソロモンの時代に、イスラエルの人々は黄金期を迎えます。その後、国は分裂し、それぞれ他民族の手によって滅ぼされていきます。バビロン捕囚などが起ります。捕囚から帰還しても、困難な時代が続きます。やがて、イエス様の時代がやってきます。神がイスラエルの人々の与えた約束の地に、人々はどのくらい住むことができたのでしょうか。非常に短い期間だと思います。今、約束の地に、イスラエルの人々は住んでいます。それでも、困難を抱えて住んでいるのです。
ヨハネ14:1~3
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
私たちは、6日の日曜日に、聖徒の日(永眠者記念日)の礼拝を守りました。神が、イエス様によって、天の故郷に私たちを招いてくださることを確認しました。約束の地と天の国は重なるのでしょう。イスラエルの人々は約束の地を得ることはとても大変なことでした。しかし、私たちに与えられる天の故郷である天の国は、イエス様によって、すでに用意されているのです。天の国のどの場所が与えられるのか、楽しみながら待ち望みつつ、歩んでいきたいと思います。
祈り 神よ。祈りと聖書の学びをすることができましたことを心から感謝します。民数記の学びを終えることができました。神の民としての苦しい荒れ野の旅をみました。それでも、神はイスラエルの人々を約束の地に導こうとされています。それは、私たちにとって、天の故郷である天の国を指しています。イエス様が、私たちのためにいるべき場所を用意してくださっています。その約束を信じて、歩むことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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