6月14日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        申命記22章「あなたの隣人を愛しなさい」    2023.6.14

 神は、イスラエルの人々と契約を結ばれました。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を40年経て、今や、神が与えてくださる約束の土地を目の前にする所までやって来ました。ここでモーセは、約束の土地に入ろうとしているイスラエルの人々に、神の民として生きることの意味をいっています。それが申命記の内容となっています。神の民として生きるということは、神の教えを守って生きるということです。神の教えは、十戒を中心として、神を愛することと自分を愛するように隣人を愛することです。今日の申命記22章の内容は、自分が隣人とどう愛し合って生きるのかがいわれています。これらの内容は、当時のイスラエルの人々の生活を背景していますので、私たちの生活環境と大きく違うことが出てきます。その違いを見ながら、受け止めていきましょう。

・22:1~4、同胞を愛すること

 イスラエルの人々の中で、同胞の牛や羊が迷っている時、見ないふりをしないで、必ず同胞のもとに連れ返すようにいっています。もしも同胞が近くの人ではなく、だれであるのか分からない場合、その家畜を家まで連れて行き、同胞が捜しに来るまで手元に置き、捜しに来た時に、その人に返すようにといいます。ろばや外套をなくした場合も、そのようにするようにいわれています。同胞のろばや牛が道で倒れている場合、見ないふりをしないで、その人に力を貸し、必ず助け起こすようにといいます。

・22:5、ふさわしくない服装

 女性は男性の着物を身につけてはいけないとあります。また、男性は女性の着物を着てはならないとなっています。これこそ、当時の状況が反映されていると思います。現代の日本なら、この内容をいったいどのように受け止めたらいいのでしょうか。

・22:6~7、母鳥とひな鳥

 人が道端の木の上や地面に鳥の巣を見つけたとします。その巣の中にひなか卵があって、母鳥がそのひなか卵を抱いている時は、必ず母鳥を追い出し、ひなか卵だけを取るようにいわれています。母鳥の愛情というより、今後の食糧の確保のことがいわれていると思います。母鳥を生かしておけば、またひなか卵を得ることができるということです。

・22:8、屋根の欄干

 人が家を新築した場合、屋根に欄干を付けなければならないのです。これは人の落下防止のためだと思います。

・22:9~11、混ぜ合わせてならないもの

 ぶどう畑には、別の種を蒔いてはいけないとあります。牛とろばとを組み合わせて畑を耕してはいけないのです。毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはいけないとあります。同じ物ではないものと組みわせることによって、不都合なことが出てくるのでしょう。

・22:12、衣服の房

 身にまとう衣服の四隅には房をつけるようにいいます。

・22:13~21、処女の証拠

 当時は男性中心の視点で書かれてあります。男性が女性と結婚します。そこで、結婚の条件として女性が処女であることです。男性が、結婚する女性が処女ではないといいますと、娘の父は町の長老たちの前で、自分の娘が処女である証拠を示す必要がありました。証拠として布が出てきます。娘が処女である場合、男性は鞭打ちされます。娘の父親に銀100シュケルの罰金を払うことになります。男性は生涯、その女性と結婚し、離縁することができません。もし、その娘に処女の証拠がない時は、娘を父親の家の戸口に引き出して、町の人たちは娘を石で打ち殺すことになります。結婚に関しての性のことはとても厳しいものがあります。

・22:22~29、姦淫について

 男性が人妻と性的関係を持っていることが分かれば、2人は殺されることになります。ある男性と婚約している処女の娘がいて、別の男性と性的な関係を持った場合、この2人も石で打ち殺されることになります。また、ある男性が、別の男性と婚約している娘と出会い、力づくで犯した場合、男性は殺されることになります。しかし、女性には何もしてはいけないのです。娘は助けを求めたが、助ける者がいなかったからです。ある男性がまだ婚約していない処女の娘と出会い、捕まえて性的な関係を持った場合、男性はその娘の父親に銀50シュケルを支払って、娘を妻としなければならないのです。男性は女性を辱めたのだから、生涯彼女と離縁することができないとなっています。この女性は、この男性と結婚して、幸せになるのかなと疑問に思いますが、当時の社会にあって、弱い立場の女性を守るための、このようにする必要があるのでしょうか。

 神の教えの特徴として、男女間の性的な関係の厳しさがあることを改めて感じることができました。当時のイスラエルの人々の受け止め方と、現在の日本の社会の状況の受け止め方は違っています。今、私たちはこの問題をどのように考えていけばいいのでしょうか。この22章の中で、特に最初に、隣人への配慮のことがいわれています。イエス様が語られた「善いサマリア人のたとえ」(ルカ10:25~37)を思い出します。追いはぎに襲われて傷ついて倒れいる人を見て、見ぬふりをして通り過ぎて行った祭司やレビ人ではなく、助けたサマリア人のように、「行ってあなたも同じように助ける者になりなさい」とイエス様はいっています。このような者でありたいと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神が私達を愛してくださったように、私達も自分を愛し、また自分の隣人を愛することができる者となることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

コメント