6月22日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       民数記21:21~35「戦争に勝利すること?」    2022.6.22

 時は流れていきます。時は川のように流れ、留まることがありません。私たちの歩みも、この川の流れのように流れていき、止まることはありません。明日、6月23日は、沖縄の慰霊の日です。かつての戦争で、沖縄での激しい戦いが終った時でした。多くの人々が傷つき、死んでいったのでした。その日から77年の時が流れようとしています。日本でも悲しい戦争があり、忘れてはいけないことです。ウクライナとロシアの戦争のことが連日のように報道されています。どうして、人はこんなに悲しい戦争を犯すのだろうかと考えながら、自分には何もできない空しさを覚えています。1日も早く戦争が終ることを神に祈っています。

 エジプトを出たイスラエルの人々は、シナイの荒れ野で神と契約を結びました。神の民としての準備をして、約束の地に向かって旅をするのです。約束の地に近づいて来ました。この時に、イスラエルの人々は約束の地に入ることを拒否したのでした。そのことで神の怒りにあい、荒れ野を40年間さまようことになってしまったのです。イスラエルの人々が約束の地に入るということは、そこに住んでいる人々と戦って排除することでした。イスラエルの人々が約束の地に住む人々に戦争を仕掛けて、追い出すということです。日本に住んでいる私たちは、戦争はいけない、戦争に正義はないと考えています。それが、旧約聖書では、戦争を肯定しています。ヨシュア記にいきますと聖戦という考え方がでてきます。

 今日の民数記21章の後半の部分ですが、イスラエルの人々がエジプトを出てから40年後のことが書かれてあります。荒れ野の40年が終って、イスラエルの人々の次の世代の話であるということです。イスラエルの人々は、新しい世代になって再出発していきます。約束の地に近づくことになり、ヘシュボンとモアブ地方の占領のことが書かれてあります。イスラエルの人々は、アモリ人の王シホンに使者を送り、「あなたの領内を通過させてください。道をそれて畑やぶどう畑に入ったり井戸の水を飲んだりしません。」と、いわせました。しかし、シホンはイスラエルの人々が、自分の領内を通過することを許さず、全軍を集めて、イスラエルと戦うことにしました。

 民数記20:14~21「エドム王との交渉」では、同じように領内の通過を求めたのに対して、エドムは入ることを許さず、戦うことを決めたのです。その時に、イスラエルの人々は、エドムの地を入らずに迂回して、旅を続けました。先ほどはまったく違う選択です。アモリ人とイスラエルの人々は戦い、勝利しました。イスラエルの人々は約束の地に向かって旅を続けていきます。アモリ人を追い出し、そこに住みました。そして、バシャンに至る道を上って行きますと、バシャンの王オグは、これを迎え撃つために全軍を率いてやってきました。この時に、主はモーセに「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその全軍、その国をあなたの手に渡した。」と、いわれたのです。主の言葉を聞いたイスラエルの人々は、オグとその子らを含む全軍を一人残らず撃ち殺し、その国を占領していきます。

 かつて、イスラエルの人々が約束の地に最初の土地侵入を企てたことがありました。(民数記14:39~45)この時は、イスラエルの人々が約束の地を目の前にして、入ることを拒否したことのすぐ後に起ったことでした。神の裁きのことを聞いたイスラエルの人々は、自分たちの過ちに後悔して、約束の地に侵入することにしたのです。実は、神は約束の地に入ることを拒否した人々に対して、神の裁きと共に、モーセに「しかし、今はアマレク人とカナン人とがあの平野に住んでいるから、向きを変え、明日、葦の海の道を通って、荒れ野に向かって出発しなさい」(民数記14:25)と、いっているのです。つまり、イスラエルの人々は、神の指示に反して、行動しているのです。それで、敗北をしてしまいました。神の導かれる時ではなかったからでした。

 いろいろな失敗を重ねても、イスラエルの人々の歩みは続いていきます。イスラエルの人々が、約束の地に入っていくこと、それは、繰り返しになりますが、先住民に戦いを挑み、勝利して、そこに住むということです。少数民族であったイスラエルの人々が、当時の世界にあって、生き延びていくためには必要なことだったのでしょうか。

マタイ5:9

平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

 この聖書の個所は、かつて私が勤めていた平和学園の学園聖句です。平和をつくることの大切さを語っているものです。果たして、平和な世界、戦争のない世界を来るのでしょうか。ウクライナとロシアの戦いを見ながら、もし、私たちの場合だったら、いったいどうするのだろうと考えて、悩んでしまいます。決して他人事ではないと思います。神からの知恵を与えて欲しいと祈ります。

祈り 神よ。聖書の学びをすることができましたこと、共に祈ることができましたことを感謝します。人はどうして戦い合うのでしょう。どうして、殺し合うのでしょう。人はどうしたら、戦争のない平和な世界をつくることができるのでしょう。無理なことなのでしょうか。イエス・キリストの十字架を見上げながら、平和をつくることの意味を考えています。平和を実現することができる知恵を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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