8月4日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会     レビ記13:29~59「重い皮膚病について」     2021.8.4

 レビ記には、神とイスラエルの人々が結んだ契約の内容が書かれてあります。レビ記10:10には、神が祭司アロンに直接に言われた言葉があります。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること」と。祭司がすべきことは、清いものと汚れたものを区別することです。それの理由は、神は聖であり、人間は罪を犯し汚れているからです。その流れの中で、レビ記11章は、清いものと汚れたものの規定が書かれてあります。実際には、食べてよい生き物と食べてはならない生き物を区別しています。レビ記12章は、出産に関することが書かれてあります。そして、レビ記13章~14章は、皮膚病に関することが書かれてあります。

 この皮膚病に関することですが、ここでは「重い皮膚病」が問題になっています。皮膚に湿疹、斑点、疱疹ができた場合として、いろいろな皮膚病の症状が出ています。「重い皮膚病」とは、どのような皮膚病をさすのでしょうか。レビ記は古い時代に書かれたものですから、皮膚病に関する医学的な知識も乏しかったものと考えられます。皮膚病の中でも、重い皮膚病は、汚れたものとして考えられていました。それを宣言するのは祭司の役割だったのです。

 私たちが使っている聖書は、新共同訳聖書ですが、以前の訳は「らい病」となっていました。旧約聖書はもともとヘブライ語で書かれたものです。それを日本語訳にする時に、「らい病」としたわけです。その結果として、「らい病」が汚れたものとして考えてしまうきっかけになってしまったのです。現在、「らい病」という言葉は差別用語、不快用語として使わないようになっています。そして、新共同訳聖書も「らい病」から「重い皮膚病」と翻訳を変えたのです。

 かつて私は神奈川のキリスト教学校で聖書を教えていました。高校3年生には、キリスト教倫理を教えていました。現代の問題を聖書から考えるという視点で教えていました。そこに「らい病」に関する内容も含まれていました。「らい病」は、人間の歴史の中で、古くから知られ、恐れられた病気の1つです。らい菌が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、外見上から見える状態から、差別と偏見を生み出してきました。治療法が確立した現代では完治する病気です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのハンセン医師の名前を取り、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

レビ記13:45~46

重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。

 このレビ記の聖書の箇所は、重い皮膚病になった人がすべきことが書かれてありますが、これが、「らい病」とされていたことによって、聖書がハンセン病にかかった人を差別と偏見を生み出してしまったという反省が起ってきたのです。私はその時に、らい病、つまりハンセン病のことを学びました。東京の東村山市にある多磨全生園にある国立ハンセン病資料館に行き、実際に経験された方の証言も聞く機会がありました。この患者さんが、ハンセン病になった時に、どのような歩みだったのかを聞きながら、涙が出てきました。家族から引き離されたこと、隔離施設に入れられた時に名前を変えられたこと、死ぬまでそこから出ることができないことなど、治療法が分かり、完治する病気だと分かっても差別は偏見が変らないことです。

 教会の中で、社会的な差別や偏見にどのように対応するのか、とても難しい問題です。いろいろな対応があります。また、その対応の違いによって、対立も起っています。ただ、私は、「らい病」、つまり「ハンセン病」の方々の歩まれた現実は知る必要があると思います。その後の対応については、いろいろなことがあってもいいと考えます。この世界には、いろいろな問題があり、それをどのように受け止め行動して行くのか、私たちは、神から問われています。

祈り 神よ、祈りの時をありがとうございます。重い皮膚病について考えてきました。私たちが、この問題にどのように対応し、行動して行けばいいのでしょうか。あなたからの豊かな知恵を私たちに与えてください。今日でもこの問題で苦しんでいる人が多くおります。その人たちの苦しみを忘れることがありませんように導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

コメント