2月15日の祈祷会の内容です。

祈祷会
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

祈祷会     申命記8章「40年の荒れ野の旅を振り返る」    2023.2.15

 イスラエルの人々は、エジプトで長い間、奴隷としての歩みをして苦しい日々を送っていました。それを神が指導者モーセを導いて、奴隷からの解放、エジプトからの脱出を成し遂げたのでした。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て、神が与えてくださる約束の土地に入って行こうとします。この荒れ野の旅は、40年の苦しい日々でした。それは、エジプトでは衣食住は確保されていたからです。奴隷としての苦しい日々はありましたが、生きるために必要な物はすべてそろっていました。エジプトを出たこと、それは自由を手に入れることはできましたが、自然の厳しさを味わうことになったのです。それは、生きるために必要な最低限のものがないということでした。水がない、食べ物がないということです。この荒れ野の40年の歩みはどのように過ごしていったのだろうと思います。それの男子だけで60万人の人々の旅です。女性や子どもや家畜の含めるとどのくらいの規模だったのでしょうか。

 この荒れ野の40年の旅、いろいろなことがありました。そこでは、イスラエルの人々の多くの罪がありました。それでも神はイスラエルの人々を約束の地へと導かれるのです。申命記は、イスラエルの人々が、約束の地を目の前にしているモアブの荒れ野において、モーセが人々に向かって、神の民として歩むことの意味を語っているものです。今日の申命記の8章では、この荒れ野の40年の歩みを振り返って、神の導きを語っています。

・8:1~10、神の賜る良い土地

 モーセは、イスラエルの人々に40年の歩みを思い起すように促します。イスラエルの人々の荒れ野の旅が、苦しいものだったことや飢えたことがあったことです。本当にそうでした。飲む水がないのです。食べる物がないのです。どうしたらいいのでしょう。生きることができない状況なのです。このままでは水を飲むことができず、食べ物を食べることができず、死んでしまうのです。人間が生きることができない自然環境でした。しかし、神は水を出してくださったのです。朝はマナ、夕はうずらを与えてくださったのです。人々が味わったことがないマナを食べさせたのでした。神が人々を養ってくださったのです。

 ここで有名な言葉が出てきます。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」というものです。マタイ4:4で、イエス様が語っています。この神の言葉は、イスラエルの人々が荒れ野の40年の歩みを振り返って、厳しい状況でしたが、守られてきたことを確認しています。40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかったといっています。イスラエルの人々の荒れ野の40年の旅で、神はイスラエルの歩みを守り導いてくださったのです。水を与え、食べ物を与え、生きるために必要なすべてのものを与えてくださったのです。それを、モーセはこの時点で、人々に語っています。

 モーセは、イスラエルの人々に、この荒れ野の40年の歩みは、神がイスラエルの人々を訓練されたのだといいます。この荒れ野の40年の旅は、イスラエルを苦しめて試し、人々の心にあること、このようにして神は戒めを守るかどうかを知ろうとされたのです。だから、人々は神の戒めを守り、神の道を歩み、神を畏れることが大切であることをいっているのです。イスラエルの人々は、約束の地において食べて満足し、よい土地を与えてくださったことを思って、神をたたえるようにといっています。

・8:11~20、主を忘れることに対する警告

 イスラエルの人々が、約束の地に入って、神の祝福の中で生活していく。人々は食べて満足します。銀や金が増します。財産が豊かになっていきます。人々は、日常生活の中で満足していくと、心がおごってしまうのです。神を忘れてしまうのです。人々は、自分の力と手の働きで、この豊かさ、富を築いたと考えてしまいます。そうなってはいけないとモーセはいいます。神を思い出し、富を築く力を与えてくださったのは、あなたの力ではなく、神があなたに富を築く力を与えてくださったと思い起しなさいといいます。

 神を思い起こすということはどのようなことかをいいますと、出エジプトの出来事と荒れ野の旅を思い起こすようにいいます。神がイスラエルの人々を、エジプトの奴隷の家から救い出してくださったこと、水のない乾いて広くて恐ろしい荒れ野に行かせて、硬い岩から水を湧き出させ、マナを食べさせてくださったこと、それは神がイスラエルの人々を苦しめて試し、ついには幸福にするためだったとモーセはいいます。神の御声に聞き従うようにいいます。

 ここで自分たちのことを考えていきたいと思います。私たちはいろいろな人生を歩んできました。1人1人違う人生です。それぞれの人生の歩みを振り返ってみて、どうでしょうか。いろいろな苦しみや悲しみや悩みがあったと思います。それでも、神は守り、ここまで1人1人の人生を守ってくださった。人の苦しみというのが、神の導きを感じることにつながるといいます。どうでしょうか。その与えられた苦しみ、味わってきた苦しみを振り返ってみると、自分の力と手で、すべてを成し遂げてきたのではなく、それを成し遂げることができるように、その力を神が与えてくださっただと考えるようになることができることが大切だといいます。私たちは、どこまで神の力と導きに支えられて、人生を歩んで来ることができたと思っているでしょうか。そのような神への導きを知ることが、私たちの信仰生活には大切なことなのです。

祈り 神よ。祈りと聖書の学びをすることができましたことを、心から感謝します。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることを知ることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

コメント