12月27日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会   ヨシュア記11章「神が人の心を頑なにすること」  2023.12.27

 ヨシュア記はイスラエルの人々が約束の地に入り、その土地を部族ごとに分割して住むことを書いています。前半は土地を征服すること、後半は手に入れた土地を分けることです。イスラエルの人々が入る約束の土地には先住民がいました。それらの人々と仲良く住むことを考えているのではありません。イスラエル軍が先住民に戦いを挑んで勝利することが求められています。ヨシュアに導かれたイスラエルの人々は、ヨルダン川を渡り、エリコやアイの町を攻撃して、手に入れることができました。そして、本格的な攻撃に入って行きます。最初は約束の地の南側になります。こちらの地方に住む王たちは集結して、イスラエルと戦おうとしました。ところがギブオン人は、イスラエルの人々を恐れて和を結びように策略を仕掛けます。その策略が成功して和平を結ぶことができ、イスラエルの中に入ることを許されました。

 エルサレムを中心とする5人の王たちは、ギブオン人がイスラエルと手を結んだことを知り、集結してギブオン人を撃とうとしました。ギブオン人はすぐにヨシュアに助けを求めます。ヨシュアは5人の王とその軍隊を戦うために、全軍を派遣します。ヨシュアが出陣する時に、神は「彼らを恐れてはならない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は1人もいない」といって励ましています。ヨシュアは神が共に戦ってくださったことにより、5人の王とその軍隊を破り、その土地を自分たちのものにすることができました。そして、今日の11章ですが、約束の土地の北部への攻撃に移って行きます。

・11:1~15、ハツォルとその同盟国の征服

 ハツォルとは、ガリラヤ湖の北側のある町です。ハツォルの王ヤビンは、イスラエルの人々が南部を征服したことを聞いて、周りの人々と共にイスラエルに対して戦いを挑むために出陣して来ました。彼らは全軍隊を率いて出動してきましたが、それは浜辺の砂の数ほどの大軍になり、軍馬や戦車も非常に多かったといっています。メロムという水場で陣を敷きます。神はヨシュアに「彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らをすべてイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の筋を切り、戦車を焼き払えと」いいます。ヨシュアは全軍を率いてメロムの水場にいる敵を急襲しました。イスラエルは彼らに勝利します。

・11:16~23「占領地」

 ここでは、ヨシュアの占領地が書かれてあります。約束の地全域に渡るように書いてあります。ヨシュアはこれらの王たちの戦いは長い年月にわたり、戦いは続きました。結局、イスラエルの人々と和を結んだのはギブオン人だけでした。ですから、すべて戦って獲得したのです。ヨシュアは攻め込んでアナク人を滅びしたと書いています。ヨシュアはアナク人を滅ぼし尽くしたとあります。しかし、ガザ、ガド、アシュドドは残したのです。それでも、ヨシュアは約束の地全域を獲得することができました。ヨシュアはそれをイスラエルの各部族の配分に従って嗣業の土地として与えていくのです。こうして、この地方の戦いは終りました。イスラエルの人々が約束の土地に住んでいる人々に攻撃を仕掛ける時に、「彼らの心を頑なにしてイスラエルを戦わせたのは主であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた。主は、モーセに命じたとおりに、彼らを滅ぼし去られた。」(20節)となっています。正直、私はこの表現には抵抗を感じます。神はイスラエルの人々が約束の地に入るために、先住民の心を頑なにして、イスラエルに戦いを挑むようにし、そして戦い、敗北させたということです。

 神は天地創造の時に、人間を造る時に、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」(創世記1:27)と、神ご自身にかたどって人を創造されたのです。これは、人に自由意志を与えられたということです。それが、そのことを無視して、人の心を神が操作して、神の意志のままに操っていくようなものです。人が神のあやつり人形になっているのです。

出エジプト記9:12

しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、彼は2人の言うことと聞かれなかった。主がモーセに仰せになったとおりである。

 出エジプト記の時に、神はエジプトに10の災いをもたらせました。その時に、神がエジプト王の心をかたくなにしたから、モーセのいうことをきかなかったと書いています。このように本当に、神は人間の心を操作されるのでしょうか。私はそうは思いたくないのです。新約聖書に、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダのことがあります。次のような場面があります。

マタイ26:24

人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。

 イスカリオテのユダは、自分の意志で、イエス様を裏切ろうとしています。神の操作によって、ユダがそのように行動していることは絶対にありません。そのユダに対して、イエス様はどうすることもできない悲しさの中で、いっている言葉です。エジプト王も約束の地に住んでいる王たちも、自分の意志で頑なだったのです。その頑なさが強く、それを聖書は、神が彼らの心を頑なにしたと表現していると私は思います。神は私たち1人1人の自由意志を最後まで大切にされるのです。だから、イエス・キリストの十字架が必要だったのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ヨシュアとイスラエルの人々が約束の土地を征服して様子をみることができました。激しい戦いがありました。どうして、人は戦い合うのだろうと思ってしまいました。そして、人の心の頑なさを思います。どうすれば神よ、あなたに喜びながら仕えることができるのでしょうか。あなたに従うことを喜びとする信仰を与えてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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