1月4日の祈祷会の内容です。

祈祷会
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祈祷会         申命記4:25~49「神を知ること」      2023.1.4

 新しく2023年を迎えました。その最初の祈祷会です。聖書の学び、そして、共に祈ることで、信仰の歩みを深めていきたいと願います。今、申命記を読んでいます。かつて、イスラエルの人々は長く、エジプトで奴隷の状態にありました。そのイスラエルの人々の苦しみを知った神は、指導者モーセを送り、エジプトからの解放を成し遂げました。イスラエルの人々は、神は与えてくださる約束の地まで、荒れ野を旅することになりました。多くの困難や罪がありました。今や、約束の地を目の前にするヨルダン川の東側までやって来ました。ここで、指導者モーセは、約束の地に入って行くイスラエルの人々に、神の民として歩む意味をもう一度語っています。

 神の民として、約束の地カナンに入って行くわけですが、そこで大切なことは神の与えてくださった掟と法を守ることでした。守ることによって、人々は平和にそして豊かに生きることができるのです。しかし、守らなければ、たくさんの苦しみや困難を負わなければならないのです。モーセは、ここでその役割を終えて、死んでいくことになります。モーセが繰り返し語ることは、神の掟と法を忠実に守ることでした。

 神が、イスラエルの人々を神の民として選び、神の救いの業を行っていくのですが、何を大切にしているのかを確認する必要があると思います。神の民、神から特別に選ばれた民です。神の掟と法を守ることを求められています。基本的に、その神の掟と法を守ることは、人間として正しく生きることで、人間自身が幸福に平和に生きることができるのです。だから、選ばれたイスラエルの人々が、神の与えてくださった掟と法を守れば、それでいいのです。イスラエルの人々が、神の民として、ふさわしい歩みをすることが大切なのです。それは、人々が神の掟と法を守ることでした。それで、神の救いの業は終るはずだったと思います。しかし、それでは、終りません。それは、イスラエルの人々は、神の掟と法を守ることができないからです。そのことを神は最初から想定していたように思います。

 ここで、神の掟と法ですが、特に偶像礼拝に対する禁止が書かれてあります。神はいいます。「あなたたちは自らよく注意しなさい。堕落して、男や女の形も、地上のいかなる獣の形も、空を飛ぶ翼のある鳥の形も、地上を這ういかなる動物の形も、地下の海に住むいかなる魚の形も。目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。」(4:15~19)と。

 今日は4:25~ですが、約束の土地に入ったイスラエルの人々が、そこで定住し、生活していくと、慣れてきて、堕落し、偶像礼拝を行うようになるといいます。そこで、約束の土地から離されて滅び去るというのです。約束の地に長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされるというのです。そして、神はイスラエルの人々と諸国の民の間に散らされ、神に追いやられて、国々で生き残る者のわずかにすぎないであろうといいます。そこで、イスラエルの人々は、人間の手の業である、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない木や石の神々に仕えるだろうといいます。

 そして、ここからが大切なことですが、イスラエルの人々は、その所から、あなたの神を尋ね求めなければならないといいます。聖書を大きな視点で考えていきますと、それが神の御心だったのかと考えるのです。神はイスラエルの人々を選んで、神の民とされた。そして神は人々の掟と法を与え、それを守るように命じました。しかし、神はイスラエルの人々が、自分が与えた掟と法を守ることができないことを知っていたのです。守れないことによって、イスラエルの人々は苦しみます。約束の地を失い、諸国に散らされて、そこで他の民に仕えるようになります。大きな苦難になります。でも、その苦難から、イスラエルの人々は、真剣に神を尋ね求めるのです。イスラエルの人々は、大きな苦難の中から、神を求めます。心を尽くし、魂を尽くして求めるようになるのです。そして、そこでこそ、イスラエルの人々は、神と出会うことができるのです。これらすべてのことが、イスラエルの人々に臨む終わりの日、苦しみ時に、人々は神のもとに立ち帰り、神の声に聞き従うようになります。神は、憐れみ深い神であり、イスラエルの人々を見捨てることも滅ぼすことも、人々と結ばれた契約を忘れることもないからです。

 イスラエルの人々は、約束の地を前にして、モーセの言葉を聞いています。この時を、イスラエルの人々はいろいろな場面で、思い出し、聞くことになるのだと思います。イスラエルの人々の歴史を見ていきますと、まさしく、ここで書いているような歩みだからです。多くの困難に直面し、多くの悲惨な歴史を歩むことになり、その度ごとに、イスラエルの人々は、ここで語られたモーセの言葉を思い出し、悔い改めと、神の憐れみと経験するのでしょう。

 それは、私たちにも重なっていくのだと思います。人生の歩みの中で、多くの苦しみや困難とぶつかります。どうしていけば分からない時にも遭遇します。絶望の淵に立たされることもあります。そのような中で、私たちは神と出会うのです。出会うことができるようになるのです。神を知るということはどのようなことかを、この申命記は私たちに教えてくれます。

祈り 神よ。新しい年、初めての祈祷会をすることができますことを感謝します。この2023年も、神の言葉である聖書から、たくさん、あなたのみ言葉として聞くことができて、私たちが豊かな信仰生活を過すことができますように、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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