1月18日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会      申命記5:23~33「神の言葉を聞くこと」   2023.1.18

 イスラエルの人々は、エジプトで長い間奴隷の状態でした。それで神はモーセを送って、イスラエルの人々をエジプトから解放したのでした。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て、約束の地カナンを目指して旅していくのです。荒れ野の旅は40年間かかりました。エジプトを出てから40年後に、イスラエルの人々は旅の目的地である約束の地を目の前にする所までやって来ました。そこで、モーセは、イスラエルの人々に、約束の地において神の民として生きていくことの意味を語っているのが申命記の内容です。神の民として生きることは、神の与える掟と法を守ることでした。その掟と法の中心的な内容が十戒です。申命記5章の前半は、十戒がそのまま書かれてありました。

 この十戒は、出エジプト記20章に書かれてあります。申命記5章では、同じ内容が書かれてあるのです。十戒が書かれた出エジプト記20章では、エジプトを出たイスラエルの人々がまもなくシナイの荒れ野に到着しました。そこでシナイ山において、神はモーセを通して神の民としての契約を結ばれました。その中で十戒が与えられたのです。この時、イスラエルの人々はシナイ山のふもとにいて、シナイ山頂にはモーセだけが上って、そこで十戒が与えられているのです。山の上に人々は上ってはならないと神は厳しく命じています。モーセだけが上ることが許されていたのでした。

出エジプト記19:20~21

主はシナイ山の頂に降り、モーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登って行った。主はモーセに言われた。「あなたは下って行き、民が主を見ようとして越境し、多くの者が命を失うことのないように警告しなさい。」

出エジプト記20:18~19

民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」

 ここでは、神がモーセ以外にシナイ山頂に上ることを許さなかったことと、イスラエルの人々が神の言葉を直接聞くことを恐れて、モーセだけが聞くように願っていることが書かれてあります。それに対して、申命記では、イスラエルの人々が神の言葉を直接に聞いたかのように書いてあります。

申命記5:1~4

モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。主は山で、火の中からあなたたちと顔と顔を合わせて語られた。

 ここでモーセがいっていることは、40年前に、神がイスラエルの人々に十戒を語られたのではなく、今、目の前にいるあなたがたすべてと結ばれたこと、シナイ山の上で神とイスラエルの人々が顔と顔を合わせて語られたことを強調しています。そして、今日の箇所ですが、イスラエルの人々が、神の声を直接に聞いていて、恐れを覚えて、モーセにこれ以上に自分たちが、神の声を直接聞くことなく、モーセだけが代わって聞いて、それを自分たちに語って欲しいと願っているのです。

申命記5:25~27

これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます。一体誰が火の中から語りかけられる、生ける神の御声を我々と同じように聞いて、なお生き続けているでしょうか。どうか、あなたが我々の神、主の御もとに行って、その言われることをすべて聞いてください。そして、我々の神、主があなたに告げられることをすべて我々に語ってください。我々は、それを聞いて実行します。」

 ここでは、神の言葉を直接に聞いたイスラエルの人々が、神を恐れて、これ以上直接聞くことをやめて、モーセだけが聞いて、それを、自分たちに語って欲しいと願っています。この申命記は、40年前にエジプトを出てすぐのイスラエルの人々に語られたものを、40年が過ぎて、モーセが新しい世代のイスラエルの人々に、直接に神が十戒を語っているかのように強調して語っているように書いているのです。

振り返ってみれば、40年前に、十戒が与えられた時に、イスラエルの人々はシナイ山のふもとにいました。神を恐れているようにありましたが、金の子牛の像を造って拝んでしまっていました。ここで、十戒は一度破棄されてしまったのです。怒ったモーセが、神が書いてくれた十戒の2枚の石の板をたたき割ってしまいました。それでも神は十戒を再契約してくださったのです。十戒は再契約されたものでした。そして、カデシュ・バルネアでの事件です。約束の地を入ることを拒否した人々に対して、40年の荒れ野をさ迷うと神の罰が与えられました。そして、40年後に、新しい世代になった人々に、神はモーセを通して、この神の与えてくださった掟と法である十戒を、新しい契約のようにしてくださったのです。

神の言葉は生きていて、いつもその場その場で、私たちに直接に語りかけてくるものなのです。聖書の言葉は書かれたものですが、読んでいる私たち自身に直接に神の言葉として語りかけているのです。そのような思いで、聖書の言葉を生きた神の言葉として受け止めていきたいと思います。

祈り 神よ、あなたの言葉は生きています。イスラエルの人々にその時にその時に時代を超えて語りかけてくださいました。今を生きている私たちにも、聖書の言葉を通して、直接、語りかけてくださいます。聖書を生きた神の言葉として聞き取ることができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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