12月20日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会   ヨシュア記10:22~43「神がイスラエルのために戦われる」 2023.12.20

 ヨシュアによって導かれるイスラエルの人々は、神がアブラハムに約束された土地に入って行きます。ヨシュア記の内容はイスラエルの人々が約束の土地を征服し、部族ごとに土地を分割していくものです。約束の地に入って、ヨルダン川を渡り、エリコとアイの町を攻撃し、占領しました。ギブオンの人々が和を求め、その協定を結び、イスラエルの人々の中に入っていきました。そのことを知った周りの5人の王は連合して、ギブオンの人々を攻撃していきます。ギブオンの人々はすぐに、ヨシュアに救援を求めます。そのギブオンの人々の助けを受けて、ヨシュアはイスラエルの全軍を派遣して、5人の王とその軍隊に戦いを挑み、勝利します。

 この5人の王とその軍隊との戦いの勝利の時に、神が先頭になって戦ってくださることが書かれてあります。まず、敗走する5人の王の軍隊に対して、天から大石を降らせます。それは雹でした。この雹によって、多くの兵士が亡くなったのです。また、神は1日を伸ばしてくださって、戦いを続けることができて、確実な勝利を得ることができるようにしてくださいました。それが、ヨシュア記10章の前半の内容でした。今日は、ヨシュア記10章の後半の内容です。ここには、5人の王がマケダの洞穴に隠れたこと、それを知ったヨシュアが兵士に命じて、大きな石を転がして、洞穴を塞ぎました。ヨシュアとイスラエルの人々は完全に5人の王の軍隊を滅ぼすことができました。

 次に、ヨシュアは洞穴の入り口を開き、5人の王を自分の前に引き出すように命じます。5人の王とは、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちです。ヨシュアは5人の王を引き出すと、イスラエルの人々に、「ここに来て、王たちの首を踏みつけよ」と命じます。人々は来て、5人の王の首を踏みつけます。この時に、ヨシュアは神の言葉を出して、「恐れてはならない。おののいてはならない。強く、雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対して、主はこのようになさる」といいます。ヨシュアはその後、王たちを打ち殺し、5本の木にかけ、夕方までさらしておきます。太陽の沈むころ、その死体を彼らが隠れていた洞穴に投げ入れ、入り口を大きな石で塞ぐのです。これから、ヨシュアとそのイスラエルの兵士たちは、マケダ、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビルとを攻撃し、剣を持ってすべての人々を滅ぼすのです。

 ヨシュアは、山地、ネゲブ、シュフエラ、傾斜地を含む全域を征服し、そこに住む人々をすべて滅ぼし尽くすのです。これは神がヨシュアに命じたことでした。ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、ゴシェン地方一帯を経て、ギブオンまで征服したとあります。ヨシュアがただ一回の出撃で、これらの地域を占領することができたのは、神がイスラエルの為に戦われたからであるといっています。ヨシュアは全イスラエルを率いてギルガルの陣営に凱旋したとしています。

 このヨシュア記10章の後半の内容を見てきました。ここには、聖戦の考えがあります。神がヨシュアに命じたことは、約束の土地に入る時、そこに住んでいる人々をすべて滅ぼし尽くせということでした。それは、イスラエルの人々が約束の土地に入って、先住民がいると、彼らが信じている偶像礼拝に迷わされるからだと、それを排除するために、滅ぼし尽くせというのです。約束の土地に住んでいる先住民は、偶像を拝み、道徳的な乱れがあるから、神の裁きを受ける必要があるというのです。この聖戦の考えを聞いて、多くの人々は納得することはできないと思います。神は愛なる方ではないか、すべての人々を愛し、救うのが本来の神の働きではないかと思うでしょう。その通りだと私は思います。しかし、聖書の読み方といいますか、聖書が語ることはいろいろなことを含んでいるのです。聖書全体から見ることが必要だと思います。この聖戦について、私は神がいかに人間の罪を憎んでいるかということを意味していると思います。

 創世記6~9章にかけてノアの洪水の話が出ています。それは、地上に生きる人間が神に対して、罪を犯し続けていることに対して、神は怒り、人間の住んでいる地上の世界を、洪水を持って、すべて滅ぼしてしまうのです。ここには人間の罪に対する神の怒りが出ています。しかし、神は洪水を起した後で、そのことを後悔している場面も出てきます。この時に、ノアとその家族だけが救われて、人間の歩みをすべて滅ぼすことはしませんでした。人間の罪に対する神の怒り、それが、聖戦として出ているだと思います。ヨシュア記では、イスラエルが神の手として導かれています。しかし、違うところで、イスラエル自身も神の裁きを受けているのです。

 今度の日曜日にはクリスマス礼拝を守ります。イエス・キリストの誕生日を祝います。イエス・キリストの誕生を、神はどのように受け止めているのでしょうか。愛する独り子を、私たちの世界に送ってくださいました。それは、私たちのすべての罪のために十字架につけてしまうということでした。イエス・キリストの十字架には、神の人間の罪に対する激しいまでの怒りがあります。神は私たちの罪を赦すことはできないのです。でも、神は私たち人間を深く愛し、罪を赦して、永遠の命を与えたいと願っていました。そのために、神がしてくださったのが、愛する独り子である御子を、この世に生まれさせ、最後には十字架につけてしまうということです。神が私たちに対する思いを受け止めつつ、神の苦しみやうめきを少しでも受け止めていきたいと願います。

祷り 神よ。聖書の学びと祈る時を与えてくださり、感謝します。ヨシュアに導かれたイスラエルの人々が、約束の地に住む人々を滅ぼしていく様子をみてきました。その背後には、神が人間の罪に対する激しい怒りがあることを知りました。でも、あなたは私たちを愛してくださいます。そのために、大切な御子であるイエス・キリストを、私たちの世界に送ってくださいました。十字架へと導くためです。今度の日曜日にはクリスマスを祝います。あなたの本当の思いを少しでも受け止めることができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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