10月25日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会   ヨシュア記3章「イスラエル、ヨルダン川を渡る」  2023.10.25

 イスラエルの人々はかつてエジプトで長い間、奴隷として苦しい生活を送っていました。それを神はモーセを送って、奴隷からの解放、つまり出エジプトを完成させてくださったのです。エジプトを出てすぐに大きな試練にあいました。それは出エジプト記14章に書かれてある葦の海の奇跡です。イスラエルの人々は葦の海に沿って歩んでいました。海はどこまでも続き出口が見えない状態でした。そして背後からエジプト軍が迫って来たのです。前にも後ろにも行くことができず、イスラエルの人々はパニック状態になってしまいました。その時に、神はモーセを使い、目の前の葦の海を2つに分け、乾いた地をつくり、そこを渡ることができました。後方から迫っていたエジプト軍が海に入った時には、海は元どおりになり、エジプト軍は溺れて全滅してしまいました。これが、葦の海の奇跡物語です。それと同じようにことが、ヨシュアの場合起って行きます。

 イスラエルの人々は指導者ヨシュアに導かれて、いよいよ約束の地に入ろうとします。しかし、その前にはヨルダン川がありました。ヨルダン川をイスラエルの人々は渡らなければならないのです。しかし、この時に、ヨルダン川は春の刈り入れの時で、水は堤を超えんばかりに溢れていたのです。ヨシュアは、このヨルダン川をどのように渡ろうとするのでしょうか。それが、このヨシュア記3章の内容となります。

 ヨシュアは、朝早く起きて、イスラエルの人々と共に出発します。ヨルダン川の岸に着きます。3日後のこと、民の役人は宿営を巡り、民に命じて「あなたたちは、主の契約の箱を祭司たちが担ぐのを見たら、今いる所をたって、その後に続きなさい。契約の箱から約900mの距離をとり、それ以上に近寄ってはならない。そうすればあなたたちの行くべき道は分かる」といいます。次に、ヨシュアは民にいいます。「自分自身を聖別しなさい。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われるから」と。イスラエルの人々がヨルダン川を渡ることは、宗教的なことなのです。ただ、イスラエルの人々がヨルダン川を渡るということではなく、神が中心となって行くことなのです。神が中心となって、イスラエルの人々を約束の地に導くことを意味しています。その宗教的な意味として、主の契約の箱が中心となって行くこと、イスラエルの人々自身が聖別すること、身を清める必要があるということなどです。主は明日、人々の間で、驚くべきことをしてくださるのです。

 その驚くべきことが具体化されます。ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民に先立って、渡れ」と命じますと、祭司たちは契約の箱を担ぎ、民に先立って進んで行きます。主はヨシュアに「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい」といいます。これから起きる奇跡によって、何よりもイスラエルの人々に、新しく指導者となったヨシュアがモーセのように大いなる者として受け止められるようにすることが大切なのです。

 ヨシュアはイスラエルの人々に「ここに来て、主の言葉を聞きなさい。生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。見よ。契約の箱があなたたちに先立ってヨルダン川を渡って行く。主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう」といいます。

 そして、いよいよイスラエルの人々はヨルダン川を渡ります。まず、契約の箱を担いだ祭司たちが、民の先頭に立ち、ヨルダン川に達しました。春の刈り入れの時期で、川の水は堤を超えんばかりに満ちていました。箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水ははるか遠くの町アダムで壁のように立ったのです。そのために塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができました。契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているいるうちに、すべてのイスラエルの人々は干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終えることができたのです。

 イスラエルの人々がヨルダン川を渡ることは、宗教的なことだといいました。主の契約の箱を担いだ祭司たちが、まず先頭に入り、すると水は止まり、干上がった川床が現れます。祭司たちは川の真ん中に立ち続けます。その間に、イスラエルのすべての人々が川を渡りきることができました。契約の箱は、そこに神がいることを示します。つまり、神がイスラエルと共にいてくださること、神が先頭になって、イスラエルを導いてくださることを示しています。

マタイ28:20

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

 私たちは人生を1人で過ごしていると感じることがあります。しかし、この聖書の言葉の通りに、イエス・キリストは、いつも私たちと共にいてくださるといってくださっています。だから、人生いろいろなことが起ります。しかし、絶望する必要はありません。なぜならば、イエス様が私たちと共にいてくださるからです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時をありがとうございます。神はイスラエルの人々と共にいてくださることを知ることができました。ヨルダン川を渡る時に、神の導きによって、渡ることができているからです。また、イエス様は、いつもあなたがたと共にいると約束してくださいました。感謝します。人生のいろいろな場面で、神が一緒にいてくださることを忘れることがないように守り導いてください、この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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