2月12日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、58(1)471(1)504(1)91(1)です。CSではバルーンハウスをつくります。

礼拝説教         マタイ28:11~15「復活の出来事」    2023.2.12

 新しい1週間が始まります。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝します。神のみ言葉をいただいて、よりよい1週間の歩みをすることができなすようにと祈ります。

 イエス様の十字架の死と埋葬、そして、復活の場面を見てきました。まもなくマタイによる福音書も終ろうとしています。今日の聖書の場面は、イエス様の墓を見張っていた番兵が、イエス様が復活されたことを祭司長たちに伝える場面です。少し流れを振り返ってみたいと思います。イエス様は神の活動をされました。その神の活動をしている中で、祭司長たちや民の長老たち、律法学者たちと激しく対立して行きます。祭司長たちの考えは、イエス様は神の律法を守っていないと考えていたからです。安息日を平気で破っている、許すことはできない。神の教えを破る者は、十字架につけて殺さなければならないと考えるようになっていきました。

 イエス様が弟子たちと共にガリラヤからエルサレムに過越し祭を祝うためにやっていきます。過越し祭を中心に、イエス様の活動はクライマックスを迎えます。十字架の時です。祭司長たちは、騒ぎが大きくなることを避けて、イエス様を捕らえようと考えていました。エルサレムで暴動が起きれば、ローマ軍が行動して、自分たちも被害を受けることを恐れたのです。しかし、イエス様の弟子の1人であるイスカリオテのユダの裏切りによって、急展開していきます。イエス様を捕らえるチャンスが来たのです。祭司長たちは、このチャンスを逃さないようにすぐに行動します。多くの人々を集めて、朝早くゲッセマネの園に行き、イエス様を逮捕することができました。そして、イエス様の十字架への道は進んで行きました。大祭司の家での裁判、ローマ総督ピラトでの裁判、結果的に、イエス様の有罪が確定し、十字架刑が決まりました。

 祭司長たちは、イエス様を自分たちの願い通りに、十字架につけることができました。イエス様の十字架上での死、そして、アリマタヤのヨセフの墓への埋葬と、問題の決着をすることができたのです。それで、祭司長たちは安心するはずでした。でも、彼らには不安が残っていました。それは、イエス様が生前に、「自分は十字架につけて殺される、しかし、3日後に復活する」という言葉を残して死んだことです。「死んだ者が復活する」、普通に考えれば、ありえないことがと判断するでしょう。しかし、ところがです。心配なのです。不安なのです。そしてマタイ27:62~66で、安息日にも関わらず、自分たちの大切にしていた律法を守ることを破ってまで、行動して行きます。イエス様が十字架で死なれたのは、金曜日の午後3時ごろでした。まもなく日没が始まります。日没から日付が変わります。安息日が始まっていきます。その安息日に、祭司長たちはローマ総督ピラトのところに行くのです。そして、「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていた時に、自分は3日後に復活するといっていたことを思い出しました。ですから、イエスの墓を見張るように命じてください。そうでないと、イエス様の弟子たちが来て、イエスの死体を盗み出し、イエス様は死者の中から復活したと民衆にいいふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。ピラトは「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい」といいました。そこで祭司長たちは、行って墓の石に封印をし、番兵をおいたのです。それで、祭司長たちは安心したのでしょうか。

 そして、安息日が終って、日曜日の朝早くに、イエス様の復活になっていきます。二人の女性が、イエス様の墓の入り口に立っていました。もちろん、番兵たちもそこにいました。大きな地震が起りました。天使が下って来て、イエス様の墓の前にあった大きな石が転がり、墓の入り口が開きました。その石の上に天使が座ったのです。天使の姿は、稲妻のように輝き、衣は雪のように白かったとあります。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったのです。番兵たちは、すべて、イエス様の墓から逃げてしまったのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、今日の聖書の箇所をみると、数人の番兵はすぐに都エルサレムに帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告したと書いてあります。どのような報告だったのでしょう。マタイによる福音書をみていくと、地震が起ったこと、天使が現れたこと、墓の入り口が開いたことは目撃しているのです。女性たちにその後、イエス様が現れたのですが、ここにはいなかったと想像します。だから、天使が現れたこと、地震が起って、墓の入り口の石が動いて、空いたことは知っているはずです。おそらく、そのように報告したのでしょう。考えてみれば、イエス様の復活に最初に遭遇したのは、この女性たちだけではなく、番兵たちも含まれることが分かります。

 この番兵たちはローマの兵士だったと思われます。通常なら、兵士たちは、祭司長たちではなく、ローマ総督ピラトにもとに行くべきです。しかし、あえて、行かずに、祭司長たちにところに行ったのです。番兵が、墓の入り口を見張っていて、天使が現れて驚いて逃げて来たとなれば、大問題になるのです。職場放棄となってしまうのです。次のような聖書の箇所があります。

使徒12:18~19

夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。

 ここでは、ヘロデ王が弟子たちを迫害して、ペトロを牢に入れたことが書かれてあります。天使によって、ペトロは墓から解放されるのですが、番兵たちは、ペトロを逃がした罪で死刑になっています。

使徒16:25~28

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」

 ここでも、看守は囚人が逃げたと思い、剣を抜いて自殺しようとしています。これほど、番兵というか看守の役割の重さを感じます。話は戻りますが、番兵たちが祭司長たちに所に行って、墓で起った出来事をすべて話しました。そこで、祭司長たちは、民の長老たちをよんで集まって相談します。その結果として、兵士たちに多額の金を与えて「弟子たちが夜中にやって来て、我々が寝ている間に死体を盗んで行ったといいなさい」といいました。ここでも、寝ている間に、弟子たちが夜中にやって来て、イエス様の死体を盗んで行ったということですが、寝ているならば、どうして、弟子たちが死体を盗んで行ったことが分かるのでしょうか。そして、寝ているというのは、墓の番兵としての役割を放棄していることになります。これも同じく死刑になってしまうものです。ここには矛盾があります。何とかしなければならないことは分かりますが、とんでもないことです。当然、このことはローマ総督ピラトの耳にも入るはずです。番兵たちは、そのことを恐れているのです。祭司長たちは「総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたたちに心配かけないようにしよう」といいました。兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにしました。そして、祭司長たちは、ピラトにも多額のお金を渡したのでしょうか。

 この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっているとマタイは書いています。このイエス様の復活はうそで、イエス様の弟子たちが、墓からイエス様の死体を盗んだのだということは一般的に広まっていたことが分かります。事柄の本質を考えてみると、このようなウソのニュース、最近ではフェイクニュースといわれます。いろいろなことに影響を与えているのです。このイエス様の死と復活から2000年以上が過ぎています。キリスト教は世界に広がって行き、教会は、この世に対して、イエス様の死と復活を語っています。真実は、時代を超えて、伝えられていくのです。ウソのニュースは途中で消えていきます。イエス・キリストの十字架の死と復活、そのことは真実であり、教会の伝える福音です。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。イエス様の死と復活を巡って、祭司長たちのことに触れてきました。大切なメッセージは時が過ぎても変らないことを改めて知りました。イエス・キリストの十字架の死と復活、この大切な福音を、私たちはいつの時代でも、大切に受け伝えていくことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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