4月5日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        申命記12:13~31「血は命である」     2023.4.5

 イスラエルの人々は、エジプトを出てから、約束の地を目指して、荒れ野の旅を続けていました。今や、約束の地を目の前にするところまでやって来ました。ここで、モーセはイスラエルの人々に神の民として生きることの意味を語っています。それが申命記の内容になります。

 約束の地では、神へのささげものは、神が選ばれる場所で、ささげなければならないことが繰り返しいわれています。神へのささげものとは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油などの10分の1のささげもの、牛や羊の初子、人々が誓いを立てた満願のささげもの、随意のささげもの、収穫物の献納物などです。そして、神の選ばれる場所で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人と共に食べることができます。神の前で、人々の手の働きをすべて喜び祝うことができます。また、ささげものとはなりませんが、かもしかや雄鹿も食べることができます。また、神がその名を置くために選ばれる場所が遠い場合、神が与えられた牛や羊を屠り、食べることができます。宗教的に汚れている者や清い者も食べることができるとされています。

 また、後半の方では、イスラエルの人々が入る約束の地において、先住民が拝んでいた神々を拝んではならないことがいわれています。先住民は、神がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じてささげたとあります。

 今日の聖書の箇所の大切なことは、ささげられる牛や羊の血についてです。16節「ただし、その血は食べてならず、水のように地面に注ぎださねばならない。」23~25節「ただ、その血は断じて食べてはならない。血は命であり、命と肉を共に食べてはならないからである。血は食べることなく、水のように地面に注ぎ出さなければならない。それを食べてはならない。」

 このように血については、決して食べてはならないとされています。その理由として、血は命だからです。血について旧約聖書は、特別なものとして扱っています。血についての内容をみていきたいと思います。

創世記9:4~6

ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。

 創世記のノアの洪水後に、神は人間に食料として植物だけでははく、動物や魚も鳥も食料として食べてもよいとされました。その流れでは、しかし、動物などの血は、決して食べてはならないとされているのです。ここでもその理由として、血は命そのものだからだといわれています。血は命そのものなのだと旧約聖書はいっています。

レビ記17:10~12,14

イスラエルの家の者であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、血を食べる者があるならば、わたしは血を食べる者にわたしの顔を向けて、民の中から必ず彼を断つ。生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。それゆえ、わたしはイスラエルの人々に言う。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、だれも血を食べてはならない。

すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。わたしはイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。

 レビ記では、神へのささげものについていっています。かみへのささげものとして焼き尽くすささげもの、穀物のささげもの、和解のささげもの、贖罪のささげものがあります。特に、贖罪のささげものは、人が罪を犯した場合として、牛や羊をささげることがいわれています。人の罪を牛や羊が代わりに負ってくれることになります。家畜の血が流されることは、人の罪の贖いになっていきます。罪の赦しになっていきます。血はその中の命によって、罪の贖いとするのです。この贖いを、人々は繰り返し行うことになります。

ヘブライ9:26~28

世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 旧約聖書では、人々の罪は家畜をささげることによって、罪の贖いが完成するとされていました。それは不完全なものでしたが、神の子イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださったことによって、完全な人の罪の贖いになってくださったのです。それだけでは終らずに、イエス・キリストの再臨によって、この世の終り、新しい神の国の完成となっていきます。そこでは、私たちの罪の赦しと復活、永遠の命が与えられていくのです。今週の教会暦は、受難週です。金曜日には、イエス様の十字架の死、そして、次の日曜日は、イエス様の復活であるイースターを迎えます。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を持つことができますことを心から感謝します。イエス・キリストの十字架の救いの意味を理解することができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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