4月2日の礼拝の内容です。

礼拝

4月2日の礼拝の内容です。讃美歌は、298.303.304.26です。

来週の日曜日は、イースターになります。イエス様の復活をお祝いしましょう。

礼拝説教       使徒1:6~11「神の証人となる」    2023.4.2

 2022年度の歩みを終えることができました。1年前を振り返ると、まだまだ新型コロナウィルス感染症の影響が強く残っていました。教会堂の増改築工事の完成に向かっていました。工事が遅れて、どうなるのだろうかと不安の中にあったと思います。それでも、工事も完成し、7月24日には、献堂式を無事に終えることができました。本当にいろいろなことがありました。なんとかなるということを実感しました。そして、今日、2023年度の最初の日曜日を迎えました。新型コロナウィルス感染症も落ち着いてきかたどうかは分かりませんが、マスクの自己判断、コロナ前の生活に戻りつつあることは事実です。新型コロナウィルス感染症は、私たちにいろいろなことを教えてくれました。教会に集まって、礼拝することは当たり前のことでした。それが、そうではないことを教えてくれたのです。日曜日に、教会に集まって礼拝することができる、これは本当に感謝なことなのだと示されました。このことは忘れてはいけないことだと私は実感しています。

 今日の教会暦は、しゅろの主日です。受難週に入ります。灰の水曜日に始まって、イエス様の苦しみを覚える受難節を過してきました。そして、来週の日曜日は、イースターです。いつもは、ゆで卵を使ったイースターエッグを探したり、愛餐会をしたり、イースターの楽しみですが、それらはまだ早いと考え、今回はしませんが、イエス様の復活日であるイースターを、心からお祝いしたいと思います。今週は、イエス様の受難、十字架を覚える時です。

 礼拝では、マタイによる福音書を読んできました。それも終わり、前から使徒言行録を読み始めています。イエス様は十字架におつきになり、死なれました。アリマタヤのヨセフの墓に葬られ、3日後に復活されました。復活されたイエス様は、弟子たちに、その復活されたお姿を40日間に現わしてくださいました。イエス様の復活後の40日間、ご自分が生きていることを数多くの証拠を持って弟子たちに示されました。また神の国について話してくださいました。弟子たちと一緒に食事もされたのです。その時に、神から聖霊が送られることを話してくださいました。弟子たちには、しばらくエルサレムに留まって、聖霊が下るのを待つようにと指示されたのです。

 そして、今日の聖書の内容は、イエス様の昇天のことです。イエス様は神のもとに帰って行かれます。弟子たちは集まって、イエス様に話されました。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と。マタイによる福音書を読んでいる時も、お話ししましたが、イエス様の弟子たちの願いは、イスラエルの復興でした。この時も、ローマ帝国の支配下にあり、イスラエルの国家の建設を望んでいました。そのためには、ローマ帝国と戦い、勝利することが条件でした。イエス様が十字架に出死なれ、3日後に復活されても、弟子たちの思いは変わることがなかったのです。

 変わらなかった弟子たちが、やがて、聖霊の働きによって、まったく新しい者に変えられるのを、これから私たちは見ることになります。この大きな変化を、私たちは驚きを持って、見ていきたいと思います。イエス様は弟子たちに答えます。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」と。イエス様の十字架のこと、復活のこと、そして、聖霊が降ることなどは、私たち人間の知るところではないのです。それは、神ご自身がお決めになることだと、イエス様は強調されています。聖霊が弟子たちに降る時に、弟子たちは力を受けるのです。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、神の証人となると、イエス様は弟子たちにいわれます。

 この使徒言行録は、そのことが証明されていくのです。イエス・キリストの福音が、エルサレムで始まり、ユダヤ地方とサマリア地方全土に広がって行きます。そして、地の果てまでも広がっていくのです。当時の世界の中心であったローマ帝国の首都ローマまで、福音が伝わって行きます。

 イエス様が話し終えると、イエス様は弟子たちが見ているうちに天に上がられたが、雲に覆われて、弟子たちの目からは見えなくなりました。イエス様が離れて去って行かれる時に、弟子たちは天を見上げていました。イエス様はマリアから生まれて、約30年間、普通の人としての生活をされていました。父のヨセフは早く亡くなり、イエス様は長男として、一家の大黒柱として働いていきました。大工としての日々の歩みだったと想像します。人間として生きること、人間が感じる、いろいろな悲しみや苦しみや悩み、一方で喜びやうれしさなども味わって生きていたのでしょう。そして、3年間の神の子としての働きをされました。最後は、十字架の死と復活につながっていきました。

 死から復活されたイエス様は、弟子たちと40日間、一緒に過ごされたのです。弟子たちにとって、イエス様の3年間と復活後の40日間は、どのような意味があったのでしょうか。イエス様の復活は、一時的なものではなく、確実なものであることを証明する40日間でした。その40日間も終える時がやって来ました。復活されたイエス様は父なる神のもとに帰って行かれるのです。イエス様は弟子たちの見ている前で、天に上げられて行ったとなっています。やがて、雲に覆われて、弟子たちの目から見えなくなっていきました。弟子たちは、天を見つめていたとありますが、どのような思いだったのでしょうか。不安の中にあって、今後、自分たちがどのようになっていくのかを考えていたのかもしれません。

 弟子たちにすれば、イエス様の最後の言葉「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」との内容を振り返っていたのでしょう。ここに、白い服を着た2人の人がそばに立っていうのです。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上がられたイエスは、天に行かれるとのをあなたがたが見たのを同じ有様で、またおいでになる」と。

 ここでいわれていることはとても大切なことがいわれています。まもなく聖霊が降ることは話しています。そして、弟子たちが、聖霊から力を受けて、伝道者に変えられて、エルサレムからユダヤとサマリア、または地の果てにまで福音を伝えて行くようになるのです。その通りになって行きます。弟子たちから、新しい弟子たちが起こされて、伝道者として、福音を伝えて行くようになってきます。そのことが繰り返し繰り返し起っていきます。この世界が終るまで、その歩みが終ることはありません。私たちは、その流れの中にあるということができるのでしょう。

 私たちの歩みは、この瀬戸の地域の人々に、イエス・キリストの福音を伝えて行くことです。私たちは神を礼拝することと伝道することを、神から求められています。そして、最後のメッセージです。「あなたがたから離れて天に上げられたイエス様は、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」ということです。それは、この世の終りが来るということです。私たちが見ている世界、私たちが生きている世界は、いつか終る時が来るのです。

 私たちの生きている世界は、変って行きます。変化して行きます。この世界に生きている者は、いつか死を迎える時がやって来ます。繰り返しになりますが、この世界は変化していきます。変っていきます。その変化の先に何があるのかを、私たちは、この言葉によって知ります。クリスマスの時に、イエス様は私たちの世界に来てくださいました。十字架の死と復活後に、神のもとに帰って行きました。そして、もう一度、私たちの世界にやって来られるのです。それが、この世界の終りです。そして、神によって新しい世界がつくられます。神の国、または天の国です。

ヨハネの黙示録21:1~4

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 私たちは、この聖書の言葉によって、これからの世界、未来に対して、希望を持って歩んで行くことができるのです。イエス・キリストが再び、私たちのところに来てくださる、その日を待ち望みながら、希望と信仰を持って歩んでいきましょう。

祈り 神よ。このようにあなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。この世界に生きることは様々な困難があります。しかし、この世界の先にある未来の世界を信じることができますように、そして、未来への希望を持って歩むことができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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