1月31日の祈禱会の内容です。

祈祷会

祈祷会    ヨシュア記15:20~63「ユダ族の町々、エルサレム」   2024.1.31

 ヨシュア記は、イスラエルの人々が神から与えられた約束の土地に入ることと、その土地に住むことが書かれてあります。ヨシュア記は全部で24章あるのですが、1~12章が約束の土地に入ること、13~24章がその土地に住むことが書いてあります。今日の15章は、ユダ族の境界線とその町々のことが書かれてあります。

今日の15:20~63は、ユダ族の町々が書かれてあります。たくさんの町の名前が書かれてあります。私たちが持っています新共同訳の聖書地図にある地名を見ると、ベエル・シェバ(28節)、ガザ、エジプトの川(47節)、ヘブロン(54節)、ベツレヘム(59節)などです。特に今日は、エルサレム(63節)について考えていきます。

・ヨシュア記15:63

ただし、ユダの人々はエルサレムの住民エブス人を追い出せなかったので、エブス人はユダの人々と共にエルサレムに住んで今日に至っている。

 ここでユダ族の人々は大切な町エルサレムを手に入れることがまだできなかったことが書かれてあります。どうしてなのでしょうか。ヨシュア記10章によると、エルサレムの王は周りの王と同盟を結んで、ヨシュアが率いるイスラエルに対して戦いを挑んで滅ぼされたことが書かれてあります。また、ヨシュア記11章では、ハツォル王が周りの人々と同盟を結んで、イスラエルと戦いをすることが書かれてあります。その中に山地のエブス人の名前も入っています。ここでもイスラエルの勝利となっています。どのような理由なのか分かりませんが、エルサレムとそこに住むエブス人はそのままだったことを示しています。

 エルサレムが完全にイスラエルの人々のものとなったのはダビデ王の時代です。聖書には次のように書かれてあります。

サムエル記下5:6~10

王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。」しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。そのとき、ダビデは言った。「エブス人を討とうとする者は皆、水くみのトンネルを通って町に入り、ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て。」このために、目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない、と言われるようになった。ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。

 ヨシュアの時代からダビデの時代まで、どのくらいの時間が過ぎたのでしょうか。ダビデの時代に、エルサレムはまさにダビデの町になったのです。エルサレムはイスラエルの中心的な町となっていきます。ここにはダビデによって王宮が建てられ、ソロモンによって神殿が建築されるようになっていくのです。その後の、エルサレムの歩みですが、ソロモン王の死後、イスラエルは南北に分裂します。北王国はアッシリアによって滅ぼされ、南王国もバビロニアによって滅ぼされます。この時に、エルサレムの町は燃やされ破壊されていきます。

列王記下25:8~10

第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。また親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した。

 南王国のエルサレムはバビロニアによって破壊されていき、バビロン捕囚となっていきます。その後、バビロニアは衰退し、ぺルシアが出てきて、イスラエルの人々がエルサレムに戻って神殿などを再建するようになるのが、エズラ・ネヘミヤ時代です。ここからイエス様の時代までいきます。イエス様の時代から40年後に、ユダヤ戦争が起り、イスラエルの人々は約束の地を失い、全世界に散らされていきます。それから2000年後の1948年に、約束の地にイスラエル国家を築くことになります。ここからパレスチナとの戦いが始まり、今日に至っています。終ることのない憎しみと悲しみに満ちた戦闘が続いています。

 今、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地となっています。特に、嘆きの壁は、ユダヤ人の聖なる場所になっています。厳しい歴史を歩んで来たイスラエルの人々にとって、神との約束が心の支えになっているのでしょう。約束の地にいつ平和が訪れるのでしょうか。遠い日本に住む私たちは、この悲しみをどのように喜びに変えることができるのでしょうか。

祈り 神よ、祈りの時と聖書の学びをすることができますことを心から感謝します。イスラエルの人々の歩みと現在の状況を考えてきました。どうか、平和な時が来ることができますように、心から願い、祈ります。この祈りを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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