祈祷会 申命記23章「神の教えいろいろ」 2023.6.21
イスラエルの人々は、エジプトで長く奴隷として苦しい生活をしていました。その苦しみを見て、神はモーセを送って、エジプトからの脱出、奴隷からの解放を成し遂げてくださったのです。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て約束の地カナンを目指して歩んでいきます。神は旅の途中のシナイの荒れ野で、イスラエルの人々と契約を結ばれました。神の民として契約です。神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は神の民となるのです。イスラエルの人々は神の民としてふさわしい歩みをするように求められていきます。神の民としての歩みとは、神の教えを守って生きることです。神の教えとは十戒を中心としたものです。まとめると神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。イスラエルの人々は、目的地であるカナンを目の前にする所までやって来ました。ここで、モーセはイスラエルの人々に神の民として歩むことの意味を教えています。
今日の申命記23章にもいろいろな教えがいわれています。この教えは、当時のイスラエルの人々の生活を背景としています。今、日本に生きる私たちとは大きな違いがあります。それを受け止めつつ、当時の人々の生活を感じながらみていきましょう。
・23:1、父の妻との結婚の禁止
イスラエルの人々は誰も、父の妻と結婚してはいけないとされています。これは当然のことのように感じます。
・23:2~9、会衆に加わる資格
イスラエルの会衆に加わることができる資格についていわれています。睾丸のつぶれた者はダメです。混血の人もダメです。アンモン人とモアブ人もダメです。10代目になっても会衆に加わることはできません。その理由として、かつてイスラエルの人々がエジプトを出た時に、彼らがパンと水を用意して旅路で歓迎しなかったこととバラムを雇って、イスラエルの人々を呪わせようとしたからだといいます。主は、イスラエルのために呪いを祝福に変えてくださったのです。エドム人とエジプト人をいとってはならないとなっています。エドム人は兄弟だからです。エドム人の祖先はエサウであり、ヤコブの兄にあたります。エジプト人は、イスラエルの人々がエジプトにいた時に寄留者としていたからです。彼らは3代目に会衆に加わることができるとあります。
・23:10~15、陣営を保つこと
イスラエルの人々が敵に向かって陣を張ります。その時に注意することは、すべての汚れから身を守ることです。夜、夢精によって汚れた者は、陣営の外に出て行き、夕方になって水で体を洗い、日没になって陣営に戻ることができました。また、トイレは、陣営の外につくって、そこですることになります。
・23:16~17、逃亡奴隷の保護
主人のもとから逃れて、あなたのもとに来た奴隷を、その主人に引き渡してはならないとなっています。一般的には、逃亡奴隷は、その元の主人に戻すことが普通でした。逃亡奴隷は、どこかの町に好きな場所に望むがまま住まわせることになります。
・23:18~19、神殿で禁じられていること
イスラエルの人々の中で、女性は1人も神殿娼婦になってはいけないのです。また、男性も神殿男娼になってはいけないのです。またいかなる請願のためであっても、遊女のもうけや犬の稼ぎ(神殿男娼のもうけ)を主の宮に携えっていってはいけないのです。この神殿娼婦や神殿男娼は、異教の習慣としてあったようです。
・23:20~21、利子
イスラエルの人々の中で、同胞には利子をつけて貸してはならないのです。銀の利子も、食物の利子も、その他利子のつくいかなるものも利子をつけてはならないのです。外国人には利子をつけて貸してもいいとされています。
・23:22~24、誓願
あなたが主に誓願を立てる場合は、遅らせることなく、それを果たすのです。主は必ずあなたに求め、あなたの罪とされるからです。請願を中止した場合は、罪を負うことはありません。口で約束した請願は、主に誓願したとおりに実行するのです。
・23:25~26、人の畑のもの
イスラエルの人々の中で、隣人のぶどう畑に入る時には、思う存分満足するまでぶどうを食べてよいのです。しかし、籠にいれてはいけないのです。隣人の麦畑に入る時は、手で穂を摘んでもよいのですが、鎌を使ってはいけないのです。イスラエルの人々の中では、当然のこととして受け止めることができたのでしょう。落穂ひろいなどもその流れです。(ルツ記など)また、イエス様の弟子たちが空腹の時に、他人の麦畑から麦の穂を摘んで食べています。(マタイ12:1)
レビ記19:9~10
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。 ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。
貧しい者や弱い者への配慮が、この教えにいわれています。素晴らしいものです。私たちは、これらの教えをどのように受け止めることができるでしょうか。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、感謝します。あなたの教えは、イスラエルの人々の中にあって、弱い者や貧しい者への配慮が豊かに書かれてあります。私たちも、それぞれの生活の中にあって、少しでも生かしていくことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって。祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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